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2021年03月04日

支配から自主管理へ-7

前回の記事から、もともとの人類にとって、自主管理の集団こそが普遍的であり、支配構造で社会を構成するような国家のほうが特殊ではないかという示唆を与えられた。

現代では支配-被支配という理不尽な関係では人々は決して満足できない。では、なぜ支配構造による国家が形成されてきたのだろう?

その要因として、遊牧という生産様式があった。家畜を飼いならすという意識が急激な気候変動によって農耕を生業とする部族から略奪し、人を飼いならすことは容易に想像できる。至るところでそういった略奪が発生すれば、それまでの自主管理の集団ごとバラバラに解体されてしまい、略奪したならずものの勝者に依拠せざるをえなくなる。その勝者敗者の力関係が支配被支配の原型だ。生殺与奪は支配者に委ねられてしまった。

今回は逆に支配構造に至った経緯を探り、いち早く本来の自主管理体制に移行することが合理的であることを明らかにしたい。

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文明史年表② 【5700年前頃~4500年前】 5500年前頃イラン高原での戦争の始まりと略奪集団の登場

5500年前 シュメールで城壁都市
5400年前 エジプトで城壁都市
城壁都市ができているということは、それ以前から戦争が始まっているということ。従って、戦争が始まったのは、5700年前(原白人の第二次南下)~5500年前(城壁都市)の間のどこかである。

では、どこで始まったのか?・・・イラン高原でと考えられる。
前提条件として、メソポタミア・コーカサス・アナトリアの生産様式は農耕が中心で一部牧畜である。それに対して、イラン高原は遊牧がほとんどで、一部オアシス農耕が行われていた。遊牧部族が農耕部族を攻撃したのが戦争の始まりと考えられる。

ここで、殺し合いから逃げ延びて略奪集団(山賊・泥棒)に転じた者たちが大量に発生した。

彼らは元々遊牧なので簡単に移動する。わずか10~30年間で、略奪集団がメソポタミア・コーカサス・アナトリアへと拡散する。当時シュメールに作られた物見櫓は、この略奪集団に備えたものである。こうして、5500年前のイラン高原での最初の略奪闘争(戦争)をきっかけとして、略奪集団と緊張圧力が中東全体に伝播した。

5200年前 交易都市エラム(シュメール?)
5100年前 エジプトに国家が出現
5000年頃 交易都市スーサ
5000年前 セム系遊牧部族が地中海東部沿岸やアラビアへ進出、地中海沿岸に城壁をめぐらした要塞が建設される。エーゲ海文明始まる。
4600年前 インダス文明(トラビィダ人:原住民は南方モンゴロイド+シュメール人の混血?)
4500年前 ウル第一王朝(シュメール)、黄河流域で龍山文化

 

略奪闘争を引き起こしたものは何か?~観念による殺しの正当化~

父系集団に転換した遊牧部族は女達の持参財を契機に、私有意識・蓄財意識をはびこらせ、次第に自己中集団化=私権集団化していきました。
(その結果必然的に集団間の緊張は高まりました。)

その後約6000年前から始まるイラン高原での急速な乾燥化により、自分達ではどうしようもない状況に置かれた遊牧部族は、少しの水と食料のたくわえを持った農耕部族に対する略奪闘争を仕掛けるようになりました。

それが人類最初の「戦争」のはじまりです。

ただ、この「飢えたから家畜を奪ってもよい」から「殺してもよい」という意識に至るまでには、大きな断層があります。そこには、同類を殺すという本能を超えたものが存在するのです。
それは、同類同士の殺し合い=戦争には人類だけが持っている「観念機能」が大きく関わっているのです。

当初、人類は自然の背後に精霊を信仰しその観念を発達させてきました。
やがてその精霊信仰は、集団規模の増大に合わせ次第に集団内の統合力を補う道具に使われるようになりました。自集団の利益第一になった頃には、部族は集団を統合するために自らの都合の良い精霊を選び、唯一絶対信仰・守護神化していきました。
観念によって自部族を徹底的に正当化したことにより、他集団に対する攻撃性を異常に強くし、殺しの正当化観念を成立させていったのです。

 

食糧難という自然の圧力がきっかけとなったが、自己正当化という意識こそが元凶であり、略奪行為に至ったことがはっきり言えば致命的な誤りであったといえるのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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