2021年03月12日
お見合いの歴史
現代は自由恋愛の末の恋愛結婚が主流になっていますが、戦前はお見合い結婚が主流でした。
お見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転したのは1960年代。リンク
では、昔主流だったお見合い結婚の歴史を見ていきましょう。リンクより
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1.お見合いのはじまり
歴史上、お見合いの始まりに近いといわれているのが、鎌倉時代です。
武家の間で、家の結びつきのための政略結婚が盛んに行なわれるようになりました。
しかし、この時代のお見合いは、武家・公家・貴族など、身分の高い家の風習であり、農民には許されていませんでした。
家の存続をかけて行なう戦略結婚では、決定権は男性側にあり、女性の役割は、裏切りを防止する人質のような扱いでした。
この頃に、今の仲人の原型となる「中媒(ちゅうばい)」と呼ばれる男女を合わせる人が登場します。
そして、政略結婚が盛んになると、お色直しや高価な引き出物、里帰りなどの風習もうまれました。
2.お見合いの語源
お見合いの語源は、「妻(め)取る」の意味をもつ、娶(めあ)わせること、「目と目を合わす」「妻合わせ」から由来します。
妻を合わせること、要するに、結婚させるという意味です。
■お見合いが広まった理由
鎌倉時代には、身分の高いものだけの風習だったお見合いは、時代の流れとともに変化をしていきます。
お見合いの時代の流れと変化についてお話します。
1.江戸時代の庶民の風習
この頃のお見合いでは、仲人役の人が、男女両家の釣り合いを見て、男性を伴い、女性の家を訪れます。
そして、男性は女性がお茶を出す様子や立ち振る舞いをよく見て気に入れば、出されたお茶を飲む、お菓子を持ち帰る、扇子を置いて帰るということが合図でした。
お茶にもお菓子にも手をつけずに帰る場合は、気に入らなかったということですね。
ここに、女性の意見を尊重することはありません。
男女の格差があった時代。良し悪しを決定するのは男性側でした。
また、それとは違うお見合いスタイルもこの頃にありました。
当人同士が向き合うという形ではなく、水茶屋(寺の境内や花見の時になどに設けられたお茶を出す簡素な店)や芝居小屋など、人の賑わうところで偶然出会ったという形を装ったそうです。
しかし、どのお見合いも自分たちの幸せのためではなく、家の幸せのための結婚であることが多かったようです。
そして、この頃の結婚平均年齢は
男性が25~28歳の間
女性が18~24歳の間
ちなみに、近年の平均初婚年齢は
<2015年現代の平均初婚年齢>
男性 約31歳 女性 約29歳
初婚年齢に対してもずいぶんと変化してきたことが伺えます。
2.戦前は70%以上がお見合い結婚
戦前の結婚率については、明確な統計はないものの、結婚の方法はほとんどが見合い結婚で全体の約7割だったといわれています。
恋愛結婚も全くないわけではありませんでいたが、戦前は婚姻に戸主の同意が必要だったので、恋愛で当人だけの勝手な結婚は事実上許されていなかったのです。
農家などは見合いの機会もなく、親同士の話しで決まってしまうこともあったといいます。
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2021年03月12日
支配から自主管理へ-8
前回、歴史をさかのぼって始原人類が自主管理の共同体から支配構造の社会に転換してしまったのかその経緯を探った。そこから見えてきたのは”自己正当化”という意識が元凶であること。個々人の意識もさることながら、民族としても自民族を正当化した観念として武装したことに誤りがあったといえる。
であれば、その誤りを正せばよいだけだ。現代に生きる我々にとって、この”自己正当化”は当たり前のように感じてしまうが、こういう意識は周りと意見が衝突したり、あたかも平等な競争原理に則って行動している場合でもしばしば頭をもたげる。しかし生物全般にとって、もともと生存闘争の場面ではそういう歪んだ意識は起こりえない。あくまで現実の状況にいかに対応するかに沿って行動しているだけに過ぎない。類人猿以降に進化し、集団間で闘争を行う状況に至っても、縄張りを維持することだけで殺し合いにはならない。
そうすると、”自己正当化”という意識から派生した唯一絶対の守護神、果ては恋愛感情、市場拡大絶対という価値自体を廃棄することが必要だ。それを塗り替えていくことで支配-被支配という構造から脱却できる。
そのカギは極限的な環境を生き延びてきた人類が持っていたと思われる”人類皆仲間”という意識にある。それは同類だけではなく万物に対して同化を試みて一体意識を持っていたがゆえに、探索志向から観念機能を進化させてきた命綱でもある。
その一端となる記事を紹介したい。
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