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2021年03月12日

支配から自主管理へ-8

前回、歴史をさかのぼって始原人類が自主管理の共同体から支配構造の社会に転換してしまったのかその経緯を探った。そこから見えてきたのは”自己正当化”という意識が元凶であること。個々人の意識もさることながら、民族としても自民族を正当化した観念として武装したことに誤りがあったといえる。

であれば、その誤りを正せばよいだけだ。現代に生きる我々にとって、この”自己正当化”は当たり前のように感じてしまうが、こういう意識は周りと意見が衝突したり、あたかも平等な競争原理に則って行動している場合でもしばしば頭をもたげる。しかし生物全般にとって、もともと生存闘争の場面ではそういう歪んだ意識は起こりえない。あくまで現実の状況にいかに対応するかに沿って行動しているだけに過ぎない。類人猿以降に進化し、集団間で闘争を行う状況に至っても、縄張りを維持することだけで殺し合いにはならない。

そうすると、”自己正当化”という意識から派生した唯一絶対の守護神、果ては恋愛感情、市場拡大絶対という価値自体を廃棄することが必要だ。それを塗り替えていくことで支配-被支配という構造から脱却できる。

そのカギは極限的な環境を生き延びてきた人類が持っていたと思われる”人類皆仲間”という意識にある。それは同類だけではなく万物に対して同化を試みて一体意識を持っていたがゆえに、探索志向から観念機能を進化させてきた命綱でもある。

 

その一端となる記事を紹介したい。

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カタカムナの世界観を知る2~ヒビキ(対象との共鳴→一体化)によって潜在思念(アワ)に立脚した観念(サヌキ)を生み出していく

現代でも、対話によって、コトバを自然や他者に届け、対象と共鳴or一体化することによってこそ、コトバの確かさはうまれる。ヒビキすなわち対象との一体化を実践することが、思考をまっとうに保つためには非常に大事であるということをカタカムナは教えてくれる。

人間は、なまじ進化した脳がある為に、何をするにも、「アワ(※潜在思念or本能)が感受して脳に指令を出させる前に」、いち早く、脳から「サヌキ」(※思考or観念)を出すクセがつき、感受性のチカラ(アワ)を、いちじるしく劣化させてしまったのである。その為に、我々現代人は、進化した脳の「落し穴」に陥り、自然の生物が皆知っている「アワ」を、最もわからないものにしてしまったのである。

カタカムナのサトリは、後代の聖人賢者のように、自分の体験した(ワカリ)真実(サトリ)を言葉(コトバ)にして教えただけのものでは無かった。カタカムナ人も、自分たちの発見した(ワカリ)根本原理(サトリ)を、コトバ化し(図象符や表象物にして)示しているが、それだけでは無く、更に、それを教え(ウツシ)られた者が、そのサトリ(ヒビキ)を、自分のもの(アシア)として、実現(マツル)することが出来なければならない。その為の方法(マノスベ)を、彼らは、八十首のカタカムナウタヒとして示した、と言っている。

あらゆる生物は(鉱物も植物も動物も)、生まれながらの固有振動をもっている。その振動数は、個体としては一生変わらぬものであるが、長い目でみれば、(元素にも同位元素があり、原子転換があるように、)あらゆるものは、変遷し、還元するものである。あらゆる生物は、固有振動を、一生変えることは無いのに、人類だけが、自分の生命の波動量の高調波をもつことが出来るようになったのである。

要するに、我々の思想は、その、自分自身の波動量なりのものである。(たとえ、他人の思想や学問や智識をいかに多く取り込んでも、感受が無ければ波動量は高まらない。)人間の思考力(サヌキ)は、脳の生命力(潜在アワ量)から出る。

「カタカムナ」を知りたいと思う気持ち(モトメ)を、楢崎氏は、人間の持つ「カミ感覚」といっていた。それは、生命が皆もっている、自分の生命の根源(カミ)に共振(ヒビキ)したい(感受したい)という生命本能(カン)である。

あらゆる生物は、カムアマの始元量の変遷物であるから、つねに、生命の根源(カミ)に共振(感受)して、生命力(イノチ)の補給(ウツシ)を受けなければ、生存を保つことは出来ない。

「カタカムナ ヒヒキ マノスベシ」とは、要するに、「宇宙のあらゆる万物万象は、すべてカタカムナの相似象であるという、宇宙のあらゆるチカラの時間・空間の統一場の表明である。

カタカムナ第一首「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナ ウタヒ」でカタカムナ人の言いたい気持ちは、次のようなものであろう。

「「人間のあるべきスガタは、「 カタカムナ ヒヒキ マノスベシ」という天然宇宙の根本原理(サトリ)を知って、自分(アシアトウアン)の生命をマノスベに生き(ウツシ)、そしてそれを他に伝える(マツル)ことである。伝えられた者は、又自分がアシアトウアンになり、ウツシ マツル。このようにして、親から子へ、人から人へと、めいめいが、カタカムナのヒヒキとなり、マノスベの生命をウツシ マツル。これが、人間(ヒト)の生命の、本当の、あるべきスガタである。

このサトリを知った(サトッタ)「アシアトウアン」が、マノスベの「カタカムナ ウタヒ」を示しますから、それに照らして、めいめいの生命力(ヒビキ)を養い、感受性(ウツシ)を鍛えて、よいおマツリをして下さい。」

 

「絶対視」は思考停止そのもの、一体化を阻む敵!

この前の女子会で、ボスに対する捉え方が間違っている!という気づきになった。

間違った捉え方として出てきたのは、

「ボスの命令は正しい=絶対と思っている」

という視点。絶対だからこそ、従う。

でもそれは、自分自身同じものを見据えて、追求した上で得心したものではないから、モヤモヤも当然出てくる。が、絶対なのでそれ以上追求はせず思考停止。で、成果が出なかったら、それは命令したボスが悪いと自己正当化。

一見従順なように見せかけた自己正当化は、ボスに対してだけでなく、他の男の人達、女の人達、あらゆる人に発揮する。最悪のさげまん(性悪)女だ。

本当のあげまん女は、男と女の追求力の差、思考の違いはあれど、精一杯、ボスと同じ方向を向いて、ボスが捉えているものを必死に捉えようと、追求に向かっている。だからこそ、ボスの凄さ・感謝、本当の意味で「この人にはかなわない」思いも湧き出てくる。そういう想いがボスだけでなく、男の人達、そして集団そのもの・・・と対象がどんどん広がっていく。女自身が本気で追求しているからこそ、男の人達に、集団に依存していける。女として充足していける。

何も追求せず、相手に丸投げの女が、『女』という(皮をかぶった人)だけで生きている時代はもう終わっている。

大転換の時代、「女として本気で追求して、充足している」そういう女しか生き残れない。

女達で、そこの地平に上がっていくためにも、女子会がある。

そういう本気の女育成の場にしていく!

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うわあ! 自己正当化するさげまん女、ひどいですね!!

でも怖いのは、こうやって言っておきながら自分の自己正当化に気づかないこと…。

共認機能を持つ人類である以上、自我が芽生える土台はあります。(自我は共認の部分否定)

ただその時、自我を増長するか?共認に戻るか?

それはやっぱり、どこまでも相手と一体化しようとするかどうか、そこにこそ充足があると実感できているかどうか、にかかっていると思います。

その意味で、上記Kちゃんの気づきにあるように、「相手を絶対視すること」が実は一体化を妨げてしまっているのです!!!

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