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2022年03月04日

観念機能とは何か?~脳の機能不全の事例から見る観念の役割~

 

画像はコチラからお借りしました。

 

前回の言葉を持たない部族の事例に引き続き、「観念機能とは何か?」について、言葉の無い世界から探っていきたいと思います。

 

ところで、人間の脳の構造として、観念機能を司っているのは左脳の部分と考えられています。

今回の記事では、人間の左脳と右脳、それぞれに機能障害が起きた場合にどうなるのかという事例などを俯瞰し、人類にとって観念機能とはどういう役割を持っているのか、その切り口を見つけてみたいと思います。

 

まずは、私たちが使う観念機能が無くなったらどうなるのか

過去に本ブログでも紹介している、女性の神経解剖学者ジル・テイラー博士が脳卒中を経験し左脳の機能を失い、右脳だけの働きとなった状況を見てみましょう。

 

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自分が宇宙と一体化していく。脳が作っている自分という働き、それが壊れてしまうのだから、いわば「自分が溶けて液体となり」、世界と自分との間の仕切りが消えてしまう。つまり宇宙と一体化するのである。

右脳の情動(右脳マインド)は言葉のないコミュニケーションに敏感で、感情移入し、感情を正確に読み取ります。宇宙とひとつになる永遠の流れを気持ちよく受け入れます。それは聖なる心、智者、賢人、そして観察者の居場所なのです。直感と高度な意識の源泉です。右脳マインドは常にその時を生きていて、時間を見失います

右脳マインドは新しい可能性を受け入れて、枠にとらわれず自由に考えます。左脳マインドが決めた枠内の規則や規制なんかには縛られません。右脳マインドは、新しいことにトライしようという意欲があり、とても創造的なのです。それは混乱さえも、創造的なプロセスの第一歩として評価します。運動感覚があり、機敏で、世界の中で流体のように動く体の能力が大好き。細胞が「直観」として伝える微妙なメッセージにも耳を傾けます。右脳マインドは触って体験して学習するのです。

右脳マインドはひたすらに自由な宇宙を求め、過去や未来の不安によって身動きが取れなくなることはありません。わたしの生命と、あらゆる細胞の健康を讃えます。気遣うのは自分のからだだけじゃありません。あなたのからだが健康かどうか、社会の精神的な健康、そして母なる地球とわたしたちの関係までも気にするのです。

右脳マインドは、宇宙が織物のように複雑にからみあい、お互いに結びついていることを理解しています。

境界についての知覚が全くないので、右脳マインドはこんなふうに言います。「わたしは全ての一部。わたしたちは、この惑星上の兄弟姉妹。わたしたちは、この世界をもっと平和で温かい場所にするのを手伝っている」。右脳マインドは、生きとし生けるものがひとつに調和することを思い描きます。

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この事例を見て分かることは、左脳が停止すると、あらゆる対象と完全に一体化し、一体充足で充たされた至福の境地へと向かう右脳の本質は「一体充足の回路」なのでは、ということです。

 

次に、右脳に障害が起きたときの状況を記している事例を見てみたいと思います。
下記、右脳が壊れるということー「話す」と「わかる」より引用します。

 

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>いっぽう、右脳 に障害を受けた人たちとしばらく一緒にいると、なんとはない違和感のようなものを感じることがよくありました。「そこまでわかっているのならどうしてやらないの?」というような違和感だったり、病識のなさからくる違和感だったり。
例えばこんな会話になります。
患者「入院中にどうしても、歩けるようになっておかないと、退院してからではなかなか
リハビリもできないでしょうから、リハビリがんばろうと思ってます」
私「今日のリハビリ、午前中でしょ?もう済まれましたか」
患者「はあ、今日は休みました」
理由は「頭が痛い」「先生がえこひいきする」「先生が嫌い」「行く気がしなくて」「リハビリ室が混んでる」などなど。言うに事欠いて「今日は雨だから」といった人もいます。

相手の心情を気遣えるのが右。言い方に配慮できるのが右。目配せがわかるのが右。困った表情を理解するのが右。言葉のトーンを理解するのも右。

つまり、右脳にダメージを受けた人に対して、身振りや表情、微妙な言い回しや言外のニュアンスや言葉のトーンなどの理解を求めるのは、後遺症で下肢マヒがある人に歩けというような、無理な要求というものなのです。

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この右脳不全の事例から考えられるのは、人との意思疎通ができない、空気が読めないということは、自分が発する言葉の対象への意識が弱い、もしくは不在になってしまうということなのではないでしょうか。

 

人間は共認動物一体化する対象がいてこそ、相手とのコミュニケーション(共認)に必要な道具≒観念機能に意味があるということなのでしょう。

 

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