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2022年12月02日

高群逸枝の日本婚姻史3~原始時代の群婚期

画像はこちらからお借りしました

高群逸枝の日本婚姻史2~婚姻の概観。日本婚姻史の3つの転換点

に続き、原始時代の婚姻様式である群婚期を見ていきます。

縄文時代の婚姻がどうであったかは、諸説あります。現代と同じ一夫一婦婚ではないか、未開部族にも見られる一夫多妻婚ではないか。よく聞かれるのは一夫一婦婚ですが、この説には多々矛盾があり今後記事にしていきたいと思います

では高群逸枝の日本婚姻史ではどうか。高群は群婚としています。群婚とはどのようなものか、というのも一つ追求すべきポイントですが、大雑把にいえば、特定の夫婦関係がなく全員が性を共にする様式です。

他の動物には見られない特長の一つとして、食を共有する、食を分け合うというのがあります。人類の直接的祖先である類人猿ですら食は取り合いです。また食だけでなく、子育てを共にするというのも人類固有の現象です。そして性も同じく共有していたのではないかというのが共食共婚の考えです。この共食共婚は、例えば村祭りや夜這い文化など昭和初期までその遺習を留めており、日本の歴史の根底に流れ続けてきたと思われます。

高群逸枝の日本婚姻史~原始時代を要約します。

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■原始時代(無土器・縄文・弥生)_群婚期
①族内婚
移動しながら自然物を獲得する群は必然的に孤立しており、共食共婚を同属の特権とし連携性の基礎とした。古語のヘグヒは共食、イモセは兄弟姉妹間の夫婦関係を意味するが、これらは共食共婚の俗をうかがわせる。また、一つ鍋の食事(ヘグヒ)をすれば同族になり、同じ女を分け合えば兄弟分になれるという後代の俗も族内婚の遺制と思われる。

原始の人間には、動物と同じく性周期があり、それに従って性交の時期も決まっていたと思われる。その証拠が月経で、月経を巡って女たちの生理は躍動し、それを身振りにあらわして男性を挑発したのが舞踏(尻振り踊り)のはじまりとされる。(踊りは、「雄取り」「雄捕り」から来た語)

群が発達して共同生活が規律化、秩序化してくると祭治制が発明され、食も性も神前における規律下に営まれるようになる。すなわち自然物の豊穣、人口の増加、成員の親和の象徴としての「生む」母神像を呪物的守護神として祭り、その神前で共食共婚の例祭を群の団結と繁栄の象徴とした。

この神前婚=共婚行事が族内婚の正式な婚姻制度となり、その場所以外での性交は野合としてしりぞけられたと考えられる。これらの遺習は、後代では村祭りに代表される村内共婚として多く見られる。様々な村祭りは、どれも個別的な好き嫌いを許さない共婚性を示し、帰着するところは食と性に対する共有共産の意識だろう。

つづきは次回・・

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