2022年11月26日
原始日本の共同体性4~「祭り」は女性がエネルギを集める場
日本には、1000年以上の歴史を重ねている祭りが数多く残っています。
今回は、日本の歴史ある「祭り」について見てみたいと思います。
●御田植神事
神功皇后の時代の3世紀頃に始まったと伝えられており、その歴史は約1700年。神功皇后(じんぐうこうごう)に由来するといわれる御田(おんだ)で田植えをしている間、住吉大社の神楽女(かぐらめ)による田舞(たまい)のほか、さまざまな芸能が演じられる。
●愛染祭
聖徳太子の「苦しみ、悲しみを抱く人々を救済したい」という大乗仏教のご意向を直々に受け継ぎ、1400年の間続いている無病息災を祈る祭事。
愛染明王の御誓願を頼って開催される祭りに、色町の芸妓衆が駕籠に乗って参詣したのが「宝恵駕籠(ほえかご)」の始まりとなり、現在も浴衣娘が大勢参加する「女の祭り」。
●葵祭(賀茂祭)
今から約1500年前に始まったとされる賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭。
欽明天皇の567年、国内は風雨がはげしく五穀が実らなかったので、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったという。
自然への祈りが起源と言われている祭りを中心に挙げましたが、共通しているのはいずれも中心に「女性」がいること。
1000年以上続く祭りで、共通して女性が中心にいるということは、おそらく原始時代における当初からそうだったと考えられます。
では、自然に対する祈りでは、なぜ女性が中心になるのでしょうか?
原始時代における男の役割を考えると、敵への対峙と食料の確保が主要な役割。
それらは相当なエネルギーが必要になるため、おそらく意識はそれらのみに向かっていたと考えられます。
そうすると、女に求められるのはそれら以外の全ての課題に対応すること。そして、当時の状況を考えると、あらゆる課題の相手は「自然」。
そのような中で、女性は「自然」とやりとりをする力≒「自然」から全てのものを受け入れる力を身に着けたとは考えられないでしょうか。
さらには、女性自身が自然から(≒あらゆるものから)エネルギーを集める存在となっていったとも言えるのではないかと思います。
そう考えると、現代においても「女性がその場にいるだけで場が明るくなる」という実感ともつながるような気がします。
原始時代では、そのような女性たちが集団の中でどのような役割を果たすようになっていったのか?
そう考えると、人類の婚姻の歴史もイメージしやすくなるように思います。
- posted by syu-masa at : 2022年11月26日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comment form