2022年12月09日
一夫一婦婚って本当?(1)~縄文時代の婚姻様式に迫る~
画像はコチラからお借りしました。
縄文時代の婚姻様式がどのようなものであったかは、諸説あります。
一夫一婦婚もしくは一夫多妻婚という説、またはサル時代からの乱婚や、それを踏襲した群婚だったという説。
・乱婚…行き当たりばったりに他の個体と繁殖を行い、特定の雄と雌といった性関係が無い婚姻形態のこと。
・群婚…複数の男子が複数の女子と婚姻する集団婚のこと。
ただ縄文時代となると記録がほとんどなく、遺跡などを頼りに推測するしかありません。婚姻様式なんてもってのほかです。ちなみに人類の前のサル社会は多様な婚姻様式をとっているため、初期人類においても多様な発想で考えられます。(オランウータンは単独。シロテナガザルは一夫一婦。ゴリラは一夫多妻。チンパンジーは多夫多妻など)
画像はコチラからお借りしました。
世間的に根強いのは、一夫一婦婚ではありますが、実際のところはどうなのでしょうか。
そもそも、このような追求に至るのは、現代の日本人の根本的な特性がこの時代に作られているからです。実際に、日本史を約1万年と見れば、8500年ほどは縄文・弥生で占められており、とりわけ、あらゆる集団(現代でも家族、学校、企業、市場など)の存在を規定しているのは、婚姻様式であり、男女の性関係にあるからです。
「歴史家のみた日本文化」(著:家永三郎/昭和36年)でも次のように述べられています。
>「歴史が人間の歴史であるかぎり、そして人間が常に男と女と大体半数ずつから成り立ち、その男女の結びつきの上にのみ人類社会の継続が依存しているものである以上、結婚や性がどんなに重要なものであるかは、ことごとく説明するまでもない所である」
それでは、縄文時代の婚姻様式とはどんなものであったのか?を追求していきます。
まずは、世間的に根強いとされる一夫一婦婚または一夫多妻派の根拠を挙げます。
・文化人類学の見解:オセアニアやアメリカ大陸の先住民のような原初的社会においても、一夫一婦制か一夫多妻制をとっており、乱婚的な社会は観察されない。
・考古学の見解:発見された遺跡・遺構から推測される社会は、少人数が暮らす家屋(縄文時代なら竪穴式住居)と、それらが集まった集落であり、それらの家屋の中に住んでいた「家族」はそのサイズからして群婚/集団婚/乱婚に基づく家族では無かっただろうと推定される。
・進化生物学の見解:ホモ・サピエンスの性的二型(雄と雌の間の体格や色の違い)が他の霊長類と比較して大きくはないから。
たしかに縄文時代に見られる竪穴式住居は、直径が3~4mの円形に地面が掘り窪められ、数本の主柱と棟持柱に垂木がわたされ、草木などで屋根が葺かれるという構造になっています。 家の中には石囲い炉が1箇所設けられ、住居の平均面積は20平米程度です。
画像はコチラからお借りしました。
しかし、現代に引き付けて、縄文時代の婚姻形態も「一夫一婦の家族」とするのは早計です。
・各家屋が家族ではなく、若衆宿や複数母子のような暮らし方も考えられるから。
・私有意識がない時代なので、私の家、私の家族、という考えもないと思われるから。
・縄文時代なら、既に大きな家を作れ、みんなで住むことも可能だったはずだから。
竪穴式住居やその集落をとってみても、複数の反論が考えられます。
竪穴式住居が家族でないとすれば、どんな住み方をしていたのか。そもそも家屋で5~6人の単位だったのか?なぜ5~6戸が集落となっているのか。家族の住み方でないとすれば、このサイズ感や集落には何か強いこだわりがあったのではないだろうか。
そこで次回は、竪穴式住居や縄文集落に着目して、縄文時代の婚姻様式がどうだったのか追求していきます。
- posted by momoki at : 2022年12月09日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comment form