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2012年7月28日

2012年07月28日

日本婚姻史に学ぶ共同体のカタチ シリーズ2‐④「縄文の源流をタヒチにみる ~性は日常・性は充足~」

前回の記事では、縄文人のルーツを探り、縄文人の特性として南方系の影響が大きいことを明らかにしました。そして、漁労・採取といった生産様式を基に、自然をありのままに受入れ応合することが、縄文人(→日本人)の資質の土台になっていることが分かりました。今回は、引き続き縄文時代にスポットをあて、ブログのテーマである婚姻様式を探っていきたいと思います。
ここで・・・
今後の共同体のカタチや男女の在り様を探るため、みなさんに質問です☆
Q. 貴方は、性の話しを仲間や子供にオープンにできますか? 
例えば、子どもから「赤ちゃんはどうやって生まれてくるの?」と質問されたら、多くの親はその返答に窮します。あるいは、親しい仲間でも性についてオープンにすることには抵抗があると思います。
しかし、戦前までの日本には夜這い婚の歴史(リンク)があり、日本人の性は元々皆に開かれたものでした。そして、この開かれた性は、遠く縄文時代まで遡ると考えられます。
そこで、縄文時代の婚姻様式(性の在り様)を探る上で、参考となる記事を紹介します。

るいネット『集落内墓地の埋葬形態から婚姻様式を考える』
田中良之氏(九州大学教授)の研究によると、縄文~5世紀後半までは、男女問わず同じ集落内でも近い血縁関係にある死者を近くに埋葬する傾向が強いようです。
縄文期は(母系・父系の特定はできない)兄・弟・姉・妹・従兄弟・従姉妹が同じ場所に埋葬されていることが多く、近親関係が無い(薄い)配偶者と思われる女性の人骨が、父系の墓地の近くに埋葬されるようになるのは古墳時代以降だということです。
こうして双系の兄妹を近くに葬る縄文の埋葬形態は、未開時代のタヒチなどポリネシア原住民に近いようにも思われます。

縄文の婚姻様式(=兄妹婚)とは、どのようなものだったのでしょうか?
そのイメージを持ってもらうために、白川竜彦著『未開人のエロス』をもとに、縄文と近いとされる未開時代のタヒチやポリネシアの事例をみてみます☆
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タヒチの夕暮れ (画像引用元)
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