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2017年12月8日

2017年12月08日

教育改革~教員が、教える、という常識から見直す必要

「自らの未知を自ら追求してその未知を知にする思考は、知識の詰め込みでは育たないことは明白である。」
~学校教育における「問題解決」する力の育成について、教員自身の現場での実践事例から明確に書かれている。

文科省が掲げる「学力」は、「自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、問題を解決する資質や能力、、」
といった求むべきものであるが、学校現場では相変わらずテストの点を取るための勉強に終始しているようだ。
これでは学校に意味を見出せない子供たちが増えていくのも当然だろう。

いったい、なぜそうなるのだろうか。
目先の進学実績を上げるために、詰め込み教育から逃れられないのだろうか。
テストの学力では生きる力など身につかないことは当たり前だが、何が邪魔しているのか。
学校の教員たち自身が、子ども達の未来について、教育について本気で追求していないのではないかと思われる。
そもそも、教員たち自身も教員試験というテストに合格しただけの人間に過ぎず、追求力が秀でているわけでもなんでもない。

教育改革は、教員が、教える、というスタイルからそもそも脱しないと成立しないのだろう。
教員にこそ改革が必要であるということに学校組織として気付けるかどうか、いち早く気付いたところから改革が始まる。
教育イノベーションコンサルに求められるのも、改革の具体的道筋を提示することだ。

学校教育における「問題解決」する力の育成
学校教育では、中核となる子どもたちの学力をどのように育てればよいのであろうか。

学力というと、まず、文部科学省が提唱する「確かな学力」を想起する。
それは、文部科学 省が提唱する新しい学力の考え方であり、具体的な学力の内実としては、「知識や技能に加え、学ぶ意欲や、自分で課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力など」と定義され、より具体的には、知識・技能、課題発見能力、問題解決能力、思考力、判断力、表現力、学ぶ意欲、そして学び方という八つの力を挙げている。

しかし、学校現場では、依然として、その多くが教師主導型で、知識・技能面に重点をおいた指導がなされ、機械的な練習・習熟に流れてしまう傾向がいっそう強まっている状況さえみら れる。また、ほとんどの学力低下論争の論者たちも、受験に耐えうる知識・理解の領域に限定した狭くて偏りのある学力論しか想定していないようである。

人間はだれもがよりよく生きていきたいという願いをもっている。
その願いを達成するためには、問題を乗り越え、解決していかなければならない。
また、乗り越え、解決した喜びは自信となり、次の活動への意欲へとつながっていく。
「問題解決」は、人間が「生きていく営みそのもの」ともとらえることができる。つまり、人間は、よりよく生きるために問題解決をし、成長していく存在であるといえる。

そして、その問題解決は、自分の目的をもち、その時点までに獲得した情報をもとに、最善と判断した手だてを選択し、目的達成へ向かう、という一連の営みである。
もちろん、その途中でうまくいかない場合は、その場で修正しながら目的達成に向かうこともあるが、人間は毎日、こうした問題解決という人間的なそして創造的な営みをしながら生きている。

人間の最上位の思考は創造的思考と呼ばれる。
つまり、「問題解決」は創造的思考と同義語ともいえるものであり、一言で言えば「未知を知にする思考」である。
一人ひとりの人間にとっての創造とは、その人間にとってできないこと(未知)ができるようになる(知)、わからないこと(未知)がわかるようになる(知)、まだ身に付いていないこと(未知)が身に付く(知)ことである。

自らの未知を自ら追求してその未知を知にする思考は、知識の詰め込みでは育たないことは明白である。
そうであるならば、問題解決の能力を育て高めるためには、為すことにより育つ活動を行うことが必要不可欠となる。
しかし、未知を知にする体験が一度だけでは、問題解決の能力が育つはずもない。
また、年に数回でも育つとはいえない。子ども自身が自らの未知を自ら知にする思考と行動を繰り返し体験することが必要不可欠である。
量が質を左右することも自明の理である。

学校教育の目的が人間の人間らしさをはぐくむ営みであるとすれば、人間の人間らしさを特徴づける最上位の思考である「創造的思考能力」すなわち「問題解決」ができる能力を育成することが学校教育の使命である。
また、よりよい「問題解決」をすることは、人間の創造的な生き方そのものであり、まさに教育本来の目的でもある。

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