2019年03月12日
脳も、無限の波動に満ちた宇宙のホログラム(相似形)
脳は「非局在性」という性質を持つ。そして、素粒子=波動も「非局在性」を持っている。
非局在性とは、「この宇宙におけるあらゆる現象が離れた場所にあっても相互に絡み合い、影響し合っているという性質」
脳や微小管→中心体の機能を追求する上での前提となる性質である。
「素粒子の性質とテレパシー」から引用する。
重要なのは「無限の波動に満ちている宇宙は一つのホログラムであり、宇宙のどの部分もそのホログラムの断片であり、宇宙の時空に関する全情報が含まれている」ということであり、脳も小さなホログラム(宇宙)であるということ。従って、脳も宇宙の相似形(宇宙と同じ秩序構造を持つ小宇宙)であるということ。
—————————————————————-
■すべては量子の波動である
空間のあらゆる点は他の点と同じであり、「非局在性」なのである。
相互結合性の結論から導かれたこの非局在性の概念が意味することは、ある現象の原因が、たとえ粒子間の動きであっても、すべてのものは全体としての宇宙と分かちがたく結びついているので、その原因は現象そのもののなかに存在しないということを示している。
これは、私たちの住む本当の現実のなかには、それだけで存在しているというものはあえいえない、ということを表している。
私たちを含めたあらゆる事象がともども、一体性のなかに包み込まれているとこを意味しているのである。
だから、すべての事象が個別的な粒子の形をとるならば、二つの粒子の相互作用は、一つの分割不可能な連結状態という関係性を構成することになるのだ。つまり、いったん結びつくと、宇宙の果てまで引き離されても、一方に変化が生じると、他方も瞬間的に応答する関係性が生まれるのである。
「関係性こそ非局在の証し」。物理学者ベルによって数学的に証明され、ベルの定理と呼ばれる。ある現象の原因がその現象のなかには存在しないという、非局在性の空間概念の基となったこの関係性の存在が、量子物理学で提起されたのは20世紀前半であった。
ベルが厳密な数学的解釈に基づいて引きだしたこの「遠隔系の量子結合」の証明の意味するものは、まさに空間が非局所性であることを示すものである。
(中略)
物理的実体とは、通常のエネルギーの態様である波動でのエネルギー交換という相互作用を通して、波動が粒子様態となって表現され(相補性の関係・相補的関係性)、それらの粒子間で引き合う力が生じる結果、つまり共鳴という引き合う力による連結状態が生じる結果、エネルギーの波動が具象化したものである。
私たちの心と外界の具象の両者は、けっきょく一つの秩序から出現するものなのだ。この秩序を生みだす全体とは、宇宙を構成する一次的現実のエネルギーの波動という量子スープである。
交差する無限の波動に満ちている宇宙は一つのホログラム(であり、宇宙のどの部分もそのホログラムの断片であると考えられる。そこには、宇宙の時空に関する全情報がすでに含まれていることになる。この統合性の力(織り込まれた秩序)が共鳴力による連結状態を生み、具象化を促す潜在的可能性となる。
ある相互作用がいちど波動間で生起すると、それ以後その相互作用のパターンが他のパターンよりも生じやすくなる。言い換えれば、その作用に関連した場が発現するのである。そしてそのことが繰り返されると、それがまた場にフィードバックされ、場の影響力はますます強められることになる。
累積記憶とは、世代から世代にわたる長期間、相互作用の繰り返しによって形成された、強力な場のこと。最初に場を発現させた個人が死後もその場は存続し、次の世代に承継される。
(中略)
きっかけがなんであれ、ある相互作用がいちど波動間で生起すると、それ以後その相互作用のパターンが、ベルの定理にしたがって、他のパターンよりも生じやすくなる。言い換えれば、その作用に関連した場が発現するのである。そしてこのことが繰り返されると、それがまた場にフィードバックされ、場の影響力はますます強められることになる。
個々の具象の表現形態は、あるきっかけによる相互作用を通してそれぞれのM場(形態形成場)に形成され、その形成結果である表現形態はいちど形成されると、その後そこにずっと維持される。再度その相互作用が生起するたびに、場にそれがフィードバックされ、そこで既存の表現形態と「形態共鳴」が起こり、かつそのM場の非物理的影響力も強まり、同一の表現形態がますます表れやすくなる。つまり、その場にある種の内蔵された記憶ができるのだ。
- posted by KIDA-G at : 2019年03月12日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
2019年03月12日
脳は波動をホログラフィーのように再現する
現代の脳科学は「局在論」の立場に立っているが、それに対して、脳の様々な機能は局所ではなく脳全体に分布しているという「全体論」がある。その一つが脳医学者プリブラムの提唱した「脳のホログラフィー説」である。
以下、脳は外界の波をホログラムの様に再現するからの引用。
■80%以上の脳を切り取っても脳は機能する。
「全体論」は1940年代、アメリカのラシュリーによって提唱された。
ラシュリーは元々局在論の立場で、脳が「記憶」している場所を突き止める実験を行った。
彼は、ネズミに迷路学習を行った後、脳の一部を切り取り再び迷路を走らせるという実験を実施した。その結果、脳の80%を切り取ってもネズミは迷路をクリア出来るという、局在論では説明できない事実が明らかになった。
記憶は脳の一部分に局在しているのではなく全体に分布していたのである。
■脳の記憶方法とホログラムは似ている。
その後、ラシェリーの研究グループに加わっていたプリブラムが、「脳のホログラフィー説」を提唱し、脳の機能が「どのように全体に分布しているのか」に対する仮説を提示した。ホログラフィーとは、光の干渉を使って物体の三次元的像を作り出すための装置であり、脳はこのホログラフィーの仕組みと類似していたのである。
ホログラムの特徴は「全体性」である。例えばカメラのフィルムは半分にすると被写体は半分しか現れないが、ホログラムは、半分にしても、さらに半分にしても、どんなに小さく切ってもその断片に光を照射すると完全な三次元の立体映像が現れるのである。この事は、ホログラム全体に被写体の完全な情報が分布していることを意味している。
この事実からプリブラムは「脳は、外界のエネルギーの波動パターンを一瞬にして分析し、それをホログラムと同じような方式で脳内に組織化する。その結果、組織化された記憶は脳の全体のちょうど干渉縞にように数学的に変換され、符号化される。」という仮説を提示した。
■脳は外界からの情報をどう解読しているか。
プリグラムは 「どの様方法で脳は情報を符号化しているのか。」という問いに対して、「フーリエ変換」によって脳の機能が理論化できる事を実証した。
「フーリエ変換」は、込み入ったパターンを1組の単純な波に分解してしまう方式で、CTスキャンや人工衛星写真などにも使われており、不要な映像を取り去ってすっきりとした被写体の三次元映像を復元する事が出来る技術である。
例えば、テレビ受像機は電波という波によって運ばれた映像を画像化するが、それと同じ様に、脳は感覚器官が運んでくる外界からの波をフーリエ変換によって画像化すると考えた。
■脳はなぜ一瞬で知人の顔がわかるのか?
ホログラフィー理論を使うと、局在論では説明できなかった事が説明出来る様になる。
例えば、人間は友人の顔を距離が離れていても、人込みのなかに紛れていてもすぐに分かるが、この現象は既存の脳科学ではうまく説明できなかった。これを、フーリエ変換によって三次元の立体映像を一瞬にして作り出すと考えると矛盾なく説明出来る。
この様に、脳の機能は局在しているのではなく、全体性を有しているのである。
- posted by KIDA-G at : 2019年03月12日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
2019年03月12日
中心小体は始原生命体に最も近い生命体(統合体)2
物理学者のペンローズは、脳の神経細胞内の微小管が意識を発生させると主張する。
意識は何らかの量子過程から生ずる。意識はニューロンを単位として生じるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。それを量子力学と数式によって証明しようとしたのがペンローズである。
以下は、次の3つの記事を要約したもの。
中心体原基と意識の連関性「ペンローズ・ハメロフ・モデル」
中心体が共認機能の中核か
人の意識は「脳」ではなく、「微小管」にある
●ペンローズ「脳の神経細胞内の微小管が意識を発生させる」
この微小管とは中心体原基に他ならない。中心体原基は細胞の分裂装置(原核生物:収縮環FtsZ、真核生物:中心体)として働くだけでなく、細胞骨格から脳内ニューロンまで構成する。ペンローズはこのうち、脳内ニューロンに存在する微小管に注目した。
微小管を構成するチューブリンは分子中の電子の位置によってデジタル的変化(開くor閉じる)を取りうるので、それを束ねた微小管は、一つ一つがコンピューターのように機能でき、そのデジタル的変化こそが、ニューロンの発火=意識を呼び起こすとペンローズは考え、これを量子力学によって証明し、数式として提示しようとしている。
●ハメロフの麻酔実験
ペンローズの共同研究者である麻酔学者スチュワート・ハメロフの麻酔実験がある。
全身麻酔に使う麻酔ガスは、脳のほとんどの機能を維持しつつも、意識だけを消失させる。
神経細胞の軸索内には「微小管」と呼ばれる細長い管の束が存在する。この微小管はチューブリンタンパク質で作られているが、麻酔ガスの分子は、このチューブリンの分子構造の隙間にはまり込む。
アリゾナ大学の麻酔学者スチュワート・ハメロフ教授は、このチューブリンの隙間に麻酔薬の分子がはまることで、一つの電子の動きを阻害することを発見した。チューブリンは“開く”“閉じる”という二つの状態を交互に変化させているが、そのどちらかになるのかは、先ほどの一つの電子の位置で決定される。
量子力学によると、一つの電子が二つの違う位置に、同時に確率的に存在するという重ね合わせの状態を作れる。
ということは、一つの電子の位置で開いた状態と閉じた状態が変化するチューブリンも、量子力学的効果により「開いてもおり、閉じてもいる、重ね合わせの状態」を作れることになる。
もし、麻酔ガスが一つの電子の動きを阻害することで意識が喪失するのだとしたら、電子の動きが阻害され、その電子の位置が決定される・・・すなわち電子がどちらでもある状態でなくなったときに意識が消失してしまうという仮説が成り立つ。
「チューブリンが、量子力学的な重ね合わせの状態にある状態から、開く閉じるのどちらかである状態に崩壊する過程が、意識を生む働きと関係がある」と考えた。これが「ペンローズ・ハメロフ・モデル」という仮説である。
●中心体電磁気説
ペンローズの「微小管意識仮説」を実証するためのキーワードが、「八木・宇田アンテナ」である。
八木・宇田アンテナは、導電性の管がその長さに応じて特定の波長の電波を受信する装置。微小管は中空の管で、弱導電性。
つまり、微小管がアンテナとなって電磁波を受信している。微小管の電磁力の向きは、コイル構造をしたチューブリンが、右ねじの法則に従う(右旋性)か逆向き(左旋性)かで規定されています。中心体は0.4μmの微小管がおよそ40度で交わっており、断面が車輪のような構造をしている。
中心体が受信した電磁波の波長を変換し、微小管が導波管となって細胞液中の各小器官に伝えていると考えられる。その波束が収縮したものが膜電位であると考えれば、ペンローズ説が生物物理的に強化される。中心体の細胞内運動と細胞分裂、アメーバの移動、イオンチャネルの開閉、脳波の生成と睡眠など、生命現象を広く説明できる。
---------------------------------------------
量子力学の「2つのスリットを通る電子の位置が測定できない」ことの理由は未だ解明されていない。
それをそのまま麻酔に当てはめる論理には飛躍も感じるが、微小管→中心体が電磁波≒量子(光子や電子)を受信・発信するのは間違いなさそう。 とすれば、微小管→中心体の解明には量子論~宇宙論的なアプローチが必要かつ有効であると考えられる。
- posted by KIDA-G at : 2019年03月12日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
2019年03月12日
日本各地に遊郭街があった!オランダ人の夜の相手が不人気の理由とは?
江戸時代の遊郭は全国至るところにあったようです。
その中でも長崎の丸山遊郭では、日本人以外に中国人やオランダ人も訪れたとのこと。
そのお相手をする遊女たちにオランダ人は不人気だったそうですが、その理由とはいったい何だったのでしょうか?
リンクより紹介します。
**************************************************************
江戸時代には幕府公認の遊郭は、江戸の吉原、京都の島原、大阪の新町と、全国に3つしかないとされていました。しかし現実的には半公認の遊郭街は全国いたるところにあったのです。天保十一年(1840)ごろからは、蝦夷(北海道)から熊本(熊本県)にいたる201~207箇所ほどの「遊所」に番付をほどこし、データを掲載した印刷物がしばしば市販され、人気を呼びました。
各地の遊郭は、それぞれの地方の事情を反映しており、他地域から見れば「えっ?」みたいなことが常識なのですね。例えば今年、北陸新幹線が開通した金沢にあった「金沢東郭」。こちらは、加賀藩が設置をしぶりにしぶりまくり、文政三年(1820)になってようやく営業を許可したというエピソードがあります。その理由としては遊郭で不品行なことが起きれば、幕府から藩の取り潰しの命令を下されるのでは……と恐れていたからではないでしょうか。
現存する建物の雰囲気も、色街とは思えないほどスッキリとした清潔感があり、それだけでも特徴的ですが、遊郭に「武家の入場は禁止」とされ、他地域にはない独自ルールが貫かれていました。
さらに営業開始して約10年後の天保二年(1831)から、慶応三年(1867)年にかけては閉鎖されているのです。わざわざ遊郭街を作ったのに、(非公認営業の)私娼がいっこうに減らないことへに藩上層部が怒ったからでした。ところが幕府の監視に怯え、マジメに振る舞わねば……と思えば思うほど、加賀藩には逆に非公認の私娼があふれかえることになり、風紀は乱れがちだったそうです。
長崎の丸山遊郭も、その歴史に興味深いものがあります。丸山には外国人用の遊女もおり、彼女たちはオランダ人が暮らした出島や、唐人屋敷の中国人の相手をしました。もともと長崎の遊郭の歴史は文禄二年(1593)頃、南蛮人を相手にした遊女商売をはじめようとおもった「恵比寿屋」という遊女屋が、長崎に進出したことがきっかけでしたからね。
最盛時の元禄五年(1692)には、1443人もの遊女がいたそうです。
このため売れ残りで、なおかつ最下級の遊女の仕事が阿蘭陀行きでして、まったく自発的なものではなく、幕府の御役人に命じられて、しぶしぶ……いう感じでした。
ところが、阿蘭陀行きの揚げ代は銀三十匁で、なかなかの額でした。江戸・吉原でも中の上程度のランクとされる「散茶」の遊女と同相場です。それでもイヤイヤだったようですよ。中国人の相手をしても、五匁しかもらえなかったのですが、まだそのほうがマシとされていたのは興味深いことです。
オランダ人の相手を嫌がった理由として、表向きには金髪碧眼の外見や独特の体臭が、遊女たちから「鬼みたい」と嫌がられたから……とされますが、もっと直接的な理由がありました。アジア人と白色人種とでは体格差がありますよね。詳しくはいえませんが、サイズの問題もあります。遊女にとって大事な商売道具が破損する危険性があるとされ、そもそも言葉もわからない鬼に抱かれる気持ちで緊張しているわけですから……まぁ、よろしくはなかったでしょうね。これは終戦後にアメリカ軍兵士の相手をさせられ、負傷してしまったという遊女の証言からの推測ですが。
丸山遊郭の逸話といえば、オランダ人医師・シーボルトを父に、「引田屋」の遊女・其扇を母にして生まれた女の子・楠本イネが西洋近代医学を修得し、最初の女医として活躍しています。
****************************************************
- posted by KIDA-G at : 2019年03月12日 | コメント (0件)| トラックバック (0)