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2019年4月16日

2019年04月16日

「自我」はとても脆弱であり、単なる幻影に過ぎない

『大人のための図鑑 ~脳と心のしくみ~』から、脳学者・池谷裕二氏のインタビュー記事を紹介します。

無題

◆ヒトと動物を分ける自我
ヒトがほかの動物と大きく違うところは、自我、つまり自分が心を持つと自分で感じているところです。一方、ほかの動物は、意識を自分の周りの世界に向けています。目の前に現れた動物が自分の敵なのか、それともエサとなるものかなどを判断し、自分の行動を決めるためです。しかし、ヒトは意識のベクトルの先を、自分の外側だけでなく、内側にも向けています。そのため、ヒトは「私とは何か?」と考えるようなりました。

古代からヒトは自分について考えていましたが、特に現代人にとっては、「自分は何者か?」大きな問題になっています。でもそんな奇妙なことを考えているのはヒトだけです。どうして奇妙かといういうと、生命に必須な要素ではないからです。ほかの動物は「自分とは何者か?」と考えたりはしませんが、いきいきと暮らしています。自我は、その意味で無駄なものといえるでしょう。

ところが、人間は無駄なものとは思っていません。それどころか、ことあるごとに「自分探し」をやりたくなります。これは、自我を大切なものと考えていることの現れです。では、自我は本当に価値のあるものでしょうか? 脳研究をベースに考えていると、もしかしたら、自我は単なる幻影かもしれないのです。

私たちの成長過程を振り返ってみると、生まれたばかりの赤ちゃんは、「私って、何だろう?」と考える前に、お母さんやお父さんなど、周りのひとたちの存在に気がつきます。生命にとっては他人の存在に気づくほうが本質的ですし、なにより現実的です。それにもかかわらず、大人になると、自分の存在が最初にあって、その私がいま世界を眺めていると思ってしまいます。この「自分が先だ」という錯覚、そこが大勘違いだと、私は思います。

◆実態がよくわからない自我
それでは、なぜヒトは興味の対象を自分自身にも向けるようになったのでしょうか?
脳の構造において、ヒトとほかの動物との違いは、ヒトの大脳皮質が大きいことです。おそらく大脳皮質が発達したおかげで、ヒトは自分というものを考えるようになったのでしょう。

脳研究が進歩して、脳の機能はある程度わかってきました。しかし、自我を担当する場所はまだよくわかっていません。たとえば、自分の顔をと他人の顔を区別している領域や、記憶にに深くかかわっている領域などはわかてきていますが、だからといって、それらの場所が自我をつくっているとはいえません。強いていうなら、自我は脳のさまざま部分が連携してできるものです。つまり、自我は脳の広範囲に分散しており、その実態がまだよくつかめていないのです。

一方、私たちは自我を強固な存在だと思い込んでいるいますが、実は、とても脆弱なものであるという事実にも気づく必要があります。たとえば、寝いている間は、特に夢を見ていない時は、自我は消えています。また、麻酔にかかっている時も、私たちから意識が消失しています。そんなちょっとしたことで、なくなってしまう危うい存在。それが自我です。

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2019年04月16日

「江戸しぐさ」に学ぶ

江戸時代の人々の作法であるといわれる「江戸しぐさ」。
法律や規則で決まっているわけではないけど、粋で相手を思いやるこの仕草は、心に幸せを運んできます。
私たち現代人もぜひ真似をしていきたいものです。リンクより紹介します。

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「江戸しぐさ」は、今風に言えば江戸町民の「公衆マナー」であり、かつ「コミュニケーション・スキル」とでも言うべきものです。狭い江戸の町で「江戸っ子」といわれていた町民が使っていた世間との付き合い方や他人とのかかわり方などの所作全般を言います。この江戸しぐさの根底には、日本特有の「相手を思いやる心」を形にしたものといえます。

例えば江戸しぐさの一つに、「うかつあやまり」というのがあります。うかつ(迂闊)とは、うっかりしているさま、注意がたりないさまをいいます。例えば、往来などで足を踏まれたとき、踏んだほうが「ごめんなさい」と謝るのは当たり前の話ですが、この時、踏まれたほうも「いえいえ、私がうっかりしていたものですから」と、謝るのです。この場合、足を踏んだ側の人間は「とんでもないことをしてしまった、申し訳ない」と恐縮しているはずです。このような相手の過失を「どこに目を付けているんだ」と、せめるのでは無く、「私も注意が足りませんでした」と謝ることにより、踏んだ人間の心の負担は軽くなり、その場が和みます。このようにどの江戸しぐさも、「相手を思いやる心」に裏付けされています。これは、「お金や物よりも人間を大切にする」、「皆が仲良く平和に暮らせるためにはどうしたらよいか」、「差別なく皆が共生するためにはどうしたらよいか」という江戸時代の日本人特有の思想に裏づけされています。

ではつぎに、何故このような「江戸しぐさ」が生まれ発展していったのかを見てみましょう。徳川家康が江戸に幕府を開いてから、それまでの寒村だった江戸は、全国から、文化や習慣の違う人々が集まってきて、徳川幕府中期には百万人を超す世界最大級の文化都市に発展していったのです。しかも、江戸の町の特長は武家屋敷が大半を占め、町民や職人などの一般町民は限られた狭い地域(例えば、現在の神田や深川など)で生活をせざるを得ませんでした。そのため人間関係はたいへん難しいことになります。見かねた幕府はこの町の自治や治安などを「町衆」という大店の商人達に任せました。

町衆が最初に考えたのは、このような全国から集まったさまざまな人たちが仲良く平和に日常生活が送れるためにはどうしたらよいかということでした。そこで町衆たちは、それまでの自分達の経営哲学を具現化した、「商人しぐさ」(繁盛しぐさとも言う)、に着目しました。商人しぐさは、それまでの商人道、処世術、倫理観、道徳律、約束事などを包含し、高めたものです。この商人しぐさの背景には、仏教、神道、儒教などに影響を受けた日本人独自の哲学があります。(例えば「お天道様に申し訳ないことをしない」、「おかげさま」、「世間に対してはづかしいことはしない」、「因縁生起」などの考え方です。)
この商人しぐさを原型として一般の町民にも広げたものが[江戸しぐさ]といわれています。この「商人しぐさ」を江戸の町民全般に広げる役割を担ったのは「寺子屋」や「講」による初等教育でした。

寺子屋や講の教育の基本的考え方をあらわすこんな言葉があります。「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」というものです。意味は、「三歳で素直な心を作り、六歳で節度ある振る舞いを覚えさせ、九歳で人様に聞かれても恥ずかしくないような正しい言葉を覚えさせ、十二歳できちんとした文章が書け、十五歳で道理(理屈)を理解することが人間教育の基本であり、これらのことを如何に理解し、実践出来るかによって、その子の将来は決定する」、というような意味です。読み、書き、算盤などの知育教育はもちろん、それ以上に人間教育に重点をおいていたわけです。今では死語になってしまった、躾教育とか修身教育とか道徳教育に重点をおいた教育をしていたわけです。

江戸しぐさは口伝(くでん)で行われていたためその文献はありません。しかも江戸しぐさという名称も、近年になって芝三光(しばみつあきら、本名は小林和雄)という人が命名したものといわれています。現在はその弟子とも言える越川禮子氏が江戸しぐさを全国に広める活動をしています。

この江戸しぐさは、公衆マナーですから法律のように「何々をしてはならない」というようなものでは有りませんし、罰則があるわけでもありません。
江戸しぐさは、一見自分に不利益な行為に見えるかも知れませんが、大局的、あるいは長期的に見れば、相手も自分も、そして世間全体も、人間関係がよくなるとか、共生するとか、平和になるなどメリットは多いのです。
ところで、江戸時代にこの江戸しぐさが出来ないと、「野暮」とか「田舎物」とバカにされるばかりか、すりや悪い人に狙われたりしたようです。逆に、この江戸しぐさができてかっこいい江戸っ子を「粋(いき)な人」といいみんなの憧れの的でした。
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