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2019年10月1日

2019年10月01日

日本の古代史(縄文人・弥生人のDNA)

古代史探訪「古代史とDNA」(リンク)より引用します。

日本人の男性は1万4千年以上前から日本列島に住んでいた縄文人と、縄文時代後期及び弥生時代に江南地方(揚子江沿岸)から移住してきた弥生人にルーツを持っている。両者のDNA比率はほぼ半々で、弥生系がやや多い。Y 染色体はほとんど組換えを起こさず、父親から息子にそのまま伝わるため,男性の系譜の研究に役立てる事ができる。日本人のY 染色体は主として縄文系と弥生系からできており、この2 集団のY 染色体の違いは黒人と白人の差くらいに大きい。

日本人のY染色体は、旧石器時代から縄文時代に流入してきたC系統(4%)とD系統(40%)、縄文後期から弥生時代以降に流入してきたO系統(O1a 3%、O2a 1%、O2b 36%、O3 14%)とその他で構成されている。C系統は南洋方面とシベリア方面、D系統は日本とチベットに分布し縄文人の主系統、O系統はO1aが長江中流域(楚)、 O2a(越)とO2b(呉)が長江下流域、O3が黄河流域(漢)やアジア各方面、その他が2%ほどを占めている。弥生期に流入したものはO2bが多い。O2bは江南から大勢が逃亡し、九州北部と朝鮮南部に定着した。

東北アジア系騎馬民族(C3c)は日本列島には入ってきていませんので、DNAで判断する限り江上波夫先生の騎馬民族列島征服説は成り立たちません。
また地方別に見ますと吉備(中国地方)に特徴があります。D系統(縄文系)が19%と低く、その分O1a(楚系)が19%と非常に高く、O3(漢系)も31%と非常に高くなっています。O2b(呉系)は平均より少し低くて31%です。これは縄文時代に江南人などが有明海と吉備に大勢やってきて住みついたという説の証明になると私は考えています。有明海周辺のDNAについては目下調査中ですが、吉備と似た結果が分かれば面白いと思います。有明海や瀬戸内の吉備の自然環境が揚子江(長江)と良く似ていたから定着したのでしょうか。

縄文時代と違って弥生時代の江南人が列島へ移住してきた原因は、戦国時代における戦争の結果でしょう。紀元前473年に呉王夫差は越王勾践に破れ、呉が滅亡します。呉人は北方にある山東半島の南(徐州)方面に逃れます。越は紀元前334年に楚に滅ぼされます。越人は南方のベトナムや台湾方面に逃げるものと、北方の徐州方面に逃げるものに分かれます。越人に押された呉人は九州北部と朝鮮半島南部に逃れます。
楚は紀元前223年に秦によって滅ぼされます。秦の支配は厳しく、税や労役に耐えられなくなった越人は朝鮮半島西部に逃れます。楚人や漢人までもが朝鮮半島に逃れ、東部に住みつきます。その越人、楚人、漢人たちもやがて列島にも移住してきます。長江流域の楚人、呉人、越人は人種的には同類で黄河流域の漢人とは異なります。文化的にも大きく異なり、移動手段も南船北馬です。

全国制覇した秦も内紛と内乱で紀元前206年に滅亡。その後、楚漢戦争(そかんせんそう)が紀元前206年から紀元前202年の約5年間にわたり、西楚の覇王項羽と漢王劉邦との間で全面戦争となりました。またしても楚の敗北となり、前漢が成立。この時も楚人の一部が列島に逃れてきた事でしょう。このように江南人の列島への渡来は数百年かけて波状的にやってきました。列島内では、それぞれが争いにならないように住み分けていったと考えられます。列島の次に逃れていくところがないという環境の中で、争いは極力避けられたのでしょう。大陸での戦国時代に比べると、かなり戦いは減ったことでしょう。

列島全体として縄文人も弥生人を受け入れ共生しましたが、縄文人の一部は殺されたり山間地方に逃亡したと考えられます。言葉は縄文語を基本として弥生語の単語も取り入れて大和言葉(日本語)となったのでしょう。  DNAによると列島における楚人の比率は3%くらいと低いのですが、やはり支配力や文化程度は高く、影響力は大きかったのではないでしょうか。楚王の姓は羋(び)で氏は熊(ゆう)です。そこで、倭国における楚の影響について見ると、熊、隈、球磨、熊本、熊野、熊野神社、羽白熊鷲などの「くま」は楚の後裔が名付けたのではないでしょうか。それであれば、素戔嗚は楚系ということになるのですが…阿蘇、蘇我、熊襲、葛城襲津彦、倭迹迹日百襲姫などの「そ」は楚ではないでしょうか。

後漢に朝貢した奴国の倭人は自ら「呉の太伯の子孫」と言っています。奴国(博多)は呉人が中心の国だったのでしょう。吉備は縄文時代から住みついた江南人と、その後にやってきた呉人(姓は姫・き)や楚人(姓は羋・び)が多く住んでいるところです。吉備の名は姫羋(きび)からとったのかもしれませんね。穀物の黍(きび)という説もありますが、まだ学説は定まっていません。

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2019年10月01日

雌雄の役割分化4~雌の生殖負担(類人猿)

京都大学霊長類研究所「人間と類人猿の子育ち・子育てについて考える」より転載。
●昆虫や魚、などでは,大量に卵を産むだけで,子育てをしない種も多い。鳥類では,親が卵を温めたり,ヒナに食物を与えたりして子育てをする。 哺乳類では,親が子どもを産んで,母乳を与えて育てる。霊長類では少ない数の子どもを産み、子どもが親にしがみついて母子が密着して生活し、 子育ての期間も長い。とくに人間に近い類人猿では,より子育ての期間が長くなり、 親子の関係性もより複雑になる。そして,飼育下の類人猿では,育児放棄や育児困難などの事例が見られることもある。

【1】テナガザルは,おとなの男性とおとなの女性がペアになって子育てをする。父親・母親・それぞれ3歳ほど年のはなれた兄弟が数人という,人間の核家族のような集団でくらしている。井上陽ーさんの観察によると、2歳半ごろまでの子どもは,母親にべったりだが,それ以降は父親に抱かれて移動したり,父親と遊んだりすることがでてくる。3歳ごろに、母親が下の子どもを産んで,その子育てに集中するようになり,兄や姉は家族とともにくらしながら,10歳ごろまでに自立するすべを身に付けていく。

【2】ゴリラは,シルバーバックとよばれるおとなの男性が1人と,複数の女性がともにくらしている。野生のゴリラの子どもは,母親のちがう同年代の仲間たちとすごすことも多い。また,子どもが父親に遊んでもらったり,守ってもらったりすることも他の類人猿に比べて多い。竹ノ下祐二さんの飼育下ゴリラの研究から,意外な母親の役割が明らかになった。母親が子どもを叱らない,つねに子どもの味方をするというのは,他の類人猿たちとあまり変わらない。ちがうのは,母親が子どもと遊ばないということだ。母親は,我が子が他の女性や父親と遊ぶなどの社会的な交渉をもつことを促すように仕向ける。母親以外のおとなは子どもと遊びたくても,子どもが自ら近づいてきて遊んでくれるのをじっと待つ。母親が見守る中で、子どもと父親が少しずつ間合いをつめていくが,あまりにもゆっくりしていて,録画したビデオを4倍速で見ないとそれが社会的交渉だということがわからないこともあるそうだ。父親と子どものきずなもあり,一時的に父親が子どもと母親から離れてくらすようになった直後は,一日中父親のほうを見にいって,ないてばかりいたそうだ。

【3】チンパンジーは複数のおとなの男性と,複数のおとなの女性が一つの群れでくらす。飼育下では,管理のしやすさから,おとなの男性が1人だけということもある。また,野生では群れの中に同年代の子どもたちが複数いるのが普通だが,飼育下では子育てをしている母親の数が圧倒的に少ない。そのため子育てのしかたを学習する機会が少なく,子どもを産んでも育児拒否をしたり、うまく授乳ができないなどの育児困難が見られたりする事例もある。しかし岸本健さんらの研究から,双子チンパンジーの一方の世話を,母親以外の女性が分担することで、2人とも無事に育った事例が確認された。

【4】ボノボでは,基本的な群れの構造はチンパンジーとほぼ同じだ。しかし,女性が偽の発情をしたり,性的行動を社会的交渉に用いたりすることで,男性間の競合が和らげられて,チンパンジーよりも平和なくらしをしている。ザンナ・クレイさんらの研究から,興味深い発見があった。ボノボがくらすコンゴ民主共和国にあるサンクチュアリでは,食肉などの目的で母親をなくしたボノボが孤児として保護されてやってくる。もともと孤児として入ってきたボノボが成長して出産し、子どもを育てる事例も増えた。孤児の子どもと,母親に育てられている子どもを比べると、母親に育てられている子どものほうが、けんかでやられた仲間をなぐさめたりする行動がより頻繁に観察されたそうだ。けんかのときになきやむまでの時間も短く,より自分の感情をコントロールできることがわかった。母親に育てられるということが,社会的な行動や情動の発達にとって重要だといえる。
オランウータン母子
図: 母親のもつ食べ物にかじりつくオランウータンの子ども。
【5】オランウータンは出産間隔が約7年と,他の類人猿に比べても長い子育て期間をもつ。2歳ごろまでは,母子がほぼ密着して生活している。オランウータンはゆるやかな地域社会をもつが,単独ですごす傾向が強い。そのため,子どもは生きていくために必要な知識や技術を,すべて母親から学ぶ必要がある。山本英実さんらの観察から,オランウータンの母子では,子どものはたらきかけに応じて母親が食物をもつ手の動きを止めるという形で,食物分配が頻繁におこる可能性も示唆されている(図)。子どもは母親との強いきずなの中で,食物レパートリーや,樹上でくらすすべや,寝るための巣を作る方法などについて, 時間をかけて学んでいく。

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