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2019年12月17日

2019年12月17日

初期人類の多様性の中心は、東南アジアの島々

10年近く前、謎に包まれた初期人類の小指のかけらがシベリアで発見された。この未知の人類は、骨が発見されたアルタイ山脈のデニソワ洞窟にちなんでデニソワ人と名付けられた。

彼らはネアンデルタール人に近い種で、何万年もの間アジアで暮らしていたと考えられている。そこまでわかったのはDNAが採取できたおかげだが、化石は指の骨、数本の歯、頭蓋骨のかけらが1つしか見つかっていない。しかも、発掘された場所はデニソワ洞窟だけと、試料の数自体はきわめて少ない。

ところが、2019年4月「学術誌Cell」に発表された論文により、驚きの新事実が明らかになった。いや、むしろデニソワ人の謎が深まったと言える。東南アジアの現代人のDNAを大規模に調べたところ、デニソワ人は実は1つのグループではなく、独立した3つのグループが存在したことが示唆されたのだ。そのうちの1つは、ネアンデルタール人とデニソワ人の違いと同じくらい、他のデニソワ人と異なっているという。

さらに、1つのグループは、およそ4万年前に姿を消したネアンデルタール人よりも新しい時代まで生き残っていたかもしれない。論文によると、デニソワ人は少なくとも3万年前、おそらく1万5000年前まで、ニューギニア島で現生人類と共存し、交配していた。この年代が確かなら、デニソワ人は、知られている限り、私たち現生人類以外で最も最近まで生きた人類ということになる。

複数いた謎の祖先

近年、古代アジアの人類が驚くほど多様だったことを示す発見が相次いでいる。フィリピンで新種の初期人類ルソン原人が見つかったと発表されたばかりだが、今回の刺激的な発見もそうした流れに連なるものだ。

初期人類の多様性の中心は東南アジアの島々だということが、突然表面化したようなものです」と、論文の共著者でニュージーランド、マッセー大学のマレー・コックス氏は、フィリピンやマレーシア、アジアの先の広大な海域に浮かぶその他の諸島を指して言った。

2018年、米ワシントン大学のシャロン・ブラウニング氏らが、デニソワ人と現生人類の交配の波が2度起きていたことをすでに明らかにしていた。今回の論文はそれを拡張するものだが、ブラウニング氏は今回の結果と意味に興奮しつつも、こう注意をうながす。

人類史のほんの一部にすぎません。でも、こうした小さな発見の積み重ねで、全体が明らかになるのです

デニソワ人は、少なくとも40万年前にはネアンデルタール人との共通祖先から枝分かれした可能性が高い。そして、ネアンデルタール人がヨーロッパと中東に広がる一方、デニソワ人はアジアに広がり、やがてアジア系の現代人の祖先と交配した。そのおかげで、デニソワ人の遺伝子の痕跡が現代のホモ・サピエンスに残され、デニソワ人の謎を解き明かす手がかりとなっているのだ。

【参考】ナショナル・ジオグラフィック
「デニソワ人に別グループ、アジアでまた驚きの発見」(リンク
「解説:新種の人類、ルソン原人を発見、フィリピン」(リンク

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2019年12月17日

言語機能を司る脳の構造(小脳発達/左脳が右脳を抑制制御)

『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』(中田力著 紀伊国屋書店)に、鳥類の歌う機能と対比しながら人類の言語機能を司る脳の仕組みを論じた一節がある。

その論点は、
【1】鳥類には知性(観念機能や共認機能)はないが、言語機能(聞いて真似て発声する機能)は持っている。このことは言語機能は観念機能とは独立して存在し得るものであることを示唆している。

【2】人類も鳥類も、運動機能を司る小脳の進化によって、言語機能を進化させた。

【3】人類も鳥類も言語機能に優位半球がある(左脳優位になる)。

【4】言語(発声)機能に使われる筋肉(球筋)は、もともと呼吸や食物摂取をはじめとする基本的な生命維持に必要な筋肉である。一般の筋肉は右側の筋肉は左脳、左側の筋肉は右脳に支配されているが、この球筋は左右両脳の支配を受ける。これは、片側の脳に障害が起こっても、生命維持に不可欠な球筋が麻痺しないためである。


【5】ところが、言語機能の場合だけ、右脳の支配を抑制制御する仕組みを脳は作り上げた。これが言語機能における優位半球(左脳優位)である。

以下、その引用。
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脳科学の立場から興味深いことは、カナリヤが歌を歌うために用いる脳に優位があり、その内容が学習によることである。カナリヤは人間の言語同様に、片側の脳を優位に使って歌を歌い、父親から最初の歌を習う。

ここに、ヒトの言語が生まれてきた秘密を解く鍵が隠されている。
脳の機能画像で確認されたことの一つが、言語と音楽とは、少なくともヒトの脳にとっては、ほとんど同一の機能であること。
ここから、言語機能の発生にとって、高い知能が必須でなかったことがわかる。
オウムも九官鳥もカラスも、人間の真似をしているだけではあるが、言葉を話す。ヒトの言語が鳥の「オウム返し」の言語と違うところは、高度の知性にもとづいていることである。鳥は言語機能を獲得したものの、高い知性を獲得しなかったために、あまり知性の高くない言語しか持っていない。

ヒトも鳥も小脳の機能を顕著に進化させることで、運動機能の飛躍的進化を果たした。事実、ヒトの脳が相対量として最も増加させた脳は小脳であり(絶対量としては前頭葉である)、鳥の脳でその中心を占める脳もまた、小脳である。
言語機能は運動系の進化から、それも、小脳の進化から生まれてきたと考えられる。
音による意志伝達の方法論を既に獲得していた哺乳類であるヒトの祖先は、高度化した声を出す運動機能を用いて、音による意志伝達のための機能をも精密化することに成功する。ここに言語が生まれることとなった。
言語機能にとって小脳が重要な役割を果たすことは、自閉症の研究によって知られていた。言葉を発しない子供たちに共通の因子は、小脳の未成熟度であった。
鳥類は小脳の進化による運動機能の精密化を飛行という形で成し遂げた。中には、その能力を発声の運動機能に応用する種が生まれ、音楽機能を獲得したのである。しかし、鳥類では、高度な知能を保証する脳はなく、その結果、歌を歌う能力と、オウム返しの言語能力しか獲得できなかった。

歌を歌う鳥はその音楽機能に片側の脳を優位に使う。ヒトが言語機能に優位半球を持つこととまったく同じである。
ヒトの脳が持つ左脳と右脳との機能乖離はヒトの脳が持つ最大の特徴とされるが、歌を歌う鳥は同じような機能乖離を獲得している。人類と鳥類というかけ離れた進化の道を歩んだ種が、音楽機能と言語機能という基本的に同一の脳機能を誕生させるに至って、優位半球という極端に特殊な機能形態をも共有することになったのである。
これは、言語機能の基本構造が調音器官の精度の高い運動機能として登場する時に、優位半球を持つことが必須であったことを意味する。

その必須条件とは何だったのか?何故、両側の脳を使っていてはいけなかったのか?
発声に使われる筋肉は、元々、呼吸とか食物の摂取とか、生きてゆくための基本的な動作に必要な筋肉である。神経学的には球筋と呼ぶ。これは、これらの筋肉を直接支配する神経が出発する部分(延髄)が、球根のような形をしていることから生まれた名前である。
球筋に独特の特徴は、左右両方の脳から支配を受けることである。ここに優位半球登場の秘密を解く鍵が隠れている。
全身の筋肉は左右対称に存在する。一部の例外を除いて、身体の右側にある筋肉は左の脳、左側にある筋肉は右の脳に支配されている。
従って、一方の脳に障害が起こると、反対側の身体半分が利かなくなる。
ところが、球筋は左右両方の脳の支配を同時に受けている。これは、球筋が身体の中央に位置することと、生命に直接関係した筋肉であることから出来上がった仕組みと考えられている。
両側の脳からの支配を受けていれば、たとえ、片側の脳に障害が起こったとしても球筋の麻痺は起こらない。呼吸や食物の摂取など、直接的に生命の維持を左右する筋肉は麻痺しない。

左右の脳から二重の支配を受けることは、片方が壊れたときの保険としては良い構造である。しかし、両方の脳が健全な時には、ちょっと働き難い。左右両方の脳の正確な同期を要求するからである。
これは職場に同じ決定権を持っている上司が二人いる場合と同じである。片方がいなくなっても仕事はできるが、普段の仕事では常に二人の合意を取っていなければならない。それでは、あまり効率の良い仕事はできない。
それでも仕事の効率に問題を起こさないためには、普段から行う仕事の内容を一定にして、あまり複雑なことをやらせないようにしておくことである。実際のところ、球筋の主な仕事である呼吸とか食物の摂取などは、ほとんど一定の作業として決められている。随意に動かす場合でも、それほど自由な動きをさせることはできない。

ヒトは調音器官に高度の運動機能を獲得することで、言語機能を獲得した。その調音器官の中心的な運動は球筋によってなされる。ところが、球筋は、元々左右の脳の両方から支配を受け、単純作業をやるものと決められていた筋肉である。言語機能という繊細な運動機能には向いていない。
そこで、脳は言語機能の場合だけ、球筋に指令を出す脳のランク付けをすることにした。
言語機能に関する運動においてのみ、球筋への命令を与える権利を片側の脳に優先的に与えることにしたのである。

とはいっても、いざというときの保険を残したまま、つまりは、基本的な球筋の運動の両側支配は残したまま、言語運動のときだけ片方の脳に支配させる機構を作ることは、それほど容易ではない。
そこで、脳が選んだ方法が、(意識して故意に行う)随意運動でのコントロールである。言語運動は随意運動である。従って、球筋の随意運動に左右の脳にランクをつける機構を開発したのである。
脳は、随意運動を開始する信号を受けて、自動的に片方の脳の支配を押さえ込んでしまう制御装置を作ることにした。随意運動の開始が自動的に片側の脳の支配力を低下させ、その結果、片側の脳が球筋の運動支配に優先権を持つようにしたのである。優位半球の登場である。
神経学的には、このような機構を抑制制御という。

抑制制御の装置を加味することで、もともと存在した両側支配の構造を変えずに、片側支配を作り出すことができる。言語機能という随意運動の場合のみ、球筋への支配は優位半球からの信号が優先されることになる。

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2019年12月17日

日本の婚姻史3 族外婚

日本の婚姻史2の「族内婚」に続いて、もう一つの群婚である族外婚について紹介します。(高群逸枝著『日本婚姻史』より)

群の定着と族外婚
縄文前期ごろから群は定着し、生産力の増大、人口の増大から、かつては別れ去った分枝群もいまは隣り合って集落を作るようになる。この段階で群は族内婚から、隣群との族外婚に進む。(筆者注:氏族単位で集団分割した上で集団統合力強化のため、氏族間で交じり合う婚姻制に転換する。交叉婚ともいう。)

族外婚の典型はオーストラリアに見られ、A群の全男子はB群の全女子と夫婦、B群の全男子はA群の全女子と夫婦というもの。有名なカミラロイのように四群からなるもの、八群からなるものなどいろいろあるが、基本的には二群式が原則。

ところが日本では、二群単位とは限らず、二群でも三群でもが集落をなし、その中央に祭祀施設のあるヒロバをもち、そこをクナド(神前の公開婚所)とし、集落の全男女が相あつまって共婚行事をもつことによって、族外婚段階を経過したと考えられる。(筆者注:拡大族内婚とでもいうべき世界史的にも非常に希な形態です。「日本の交叉婚の特殊性」参照。)

通婚関係にある男女は、各自別群に所属している。だから子は当然母の群に生まれ育ち母の族員になることにより、母系氏族制がはじまる。群は氏族になり、氏族は母系によって継承されることになる。そして族員たちは互いにハラカラ(同母族)と呼び合うようになった。

クナド方式

クナグという古語は性交を意味する。(『トツグ、マク、クナグ』参照)
「允恭紀」にマクナギ、「霊異記」に婚合をクナガヒ、「今昔」にクナグ、「続古事談」に「妻をば人にクナガレて」などとみえる。だからクナドとはクナギドコロ、すなわち婚所の意味。
クナドの神なるものは、数ヵ村共有のヒロバや入会山や交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や村の入口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっている。

クナドは文字通り神前共婚の場所であるが、そのことによって他群と交通し結びつくことになる場所でもある。原始段階では性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。大国主神の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのもこの理由に他ならない(後日詳解の予定)。

・猿田彦神話では、国堺のヤチマタに異国人の猿田彦が立ちはだかっていると、ウズメという女神が乳房と陰部を露出してこれに立ち向かい、両者唱和して交通がひらけたとある。だから猿田彦は交通の神でもあり性の神でもあり、ウズメは雄取式舞踏(カグラ踊り)の祖神となった。

・女が性器を出して先駆すれば必ず敵軍を軟化させ得るという俗言から、沖縄の軍陣ではサキパリ(先張り?)というウズメ式巫女が用いられたという。
交通の要所に立つチマタの神や、道祖神や、村境にあって外からの害悪を防ぐサヘの神、これらが複合して同時にクナドの神とされ、いまも性の神とされているのは、その場所で神前集団婚が行われたからで、市場における定期的な集団婚カガヒ(歌垣)のことは、「万葉」にも謡われている。
カガヒは掛け合いの義。歌を掛け合うという意味で歌垣ともよばれる。カガヒは筑波(右の写真)や杵島などの入会山でも行われた。歌垣山という名の山も各地にみられる。歌を掛け合い踊りを踊ってそれを婚交の前奏曲としたことは、つぎの招婿婚(婿入婚)段階にもひきつがれて、ヨバヒの場合の唱和や相聞歌となり、平安期には文使いの儀式となったりした(文の方式は、村には明治ごろまで遺存して、若者たちの通い婚の序曲となっていた)。和歌など文学の起源はここにある。(筆者注:歌垣は、東南アジアや中国南部の雲南地方など、照葉樹林文化圏に広くみられる。)

クナドでの族外婚では、それが集落婚姻圏を超えて広域的なものとなればなるほど、男性略奪(雄取り)と同じ観念、つまり子ダネをとるという観念が第一義となったろうが、それだけでなく外族との和平や政治的、経済的ブロックの拡大への動機がからんでいた。原始部落の女性たちは、胸乳をあらわしホトを露出したウズメ式の身振りの尻振り踊りによって他部族の男性を誘惑した。

・この段階が過ぎて個別婚の時代になると、この雄取式形態は、神社の巫女によって相続者をうる手段とされ、または娼婦によって歪曲化されて受け継がれた。
・平安時代には遊女(アソビメ)という娼婦がいたが、外来者とみれば取り囲んで歌舞し男客を誘惑した。

・沖縄の娼婦ズリの起源も外来者との婚交にあり、まれ人(客人)に仕える神の妻(め)にあるようだ。

・人妻と処女の別なく、外客を迎えて枕席にはべった鎌倉期の俗、とくに長者制の俗(長者の家での外客への饗応にはじまった娼婦制)も同じ原始の雄取婚からの遺制にちがいない。

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