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2020年2月2日

2020年02月02日

原始人類の道具の進化史~従来説よりも早くから人類は道具を進化させていた

『別冊日経サイエンス 化石とゲノムで探る人類の起源と拡散』「創造する人類」(H.プリングル)「祖先はアフリカ南端で生き延びた」(C.W.マリーン)の要約。
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人類の創造性は、出現から数百万年間さしたる進歩を遂げなかったが、人類が発明や芸術などの創造性を獲得した時期は,4万年前の後期旧石器時代の初頭であると従来考えられてきた。ヨーロッパにいたホモ・サピエンスが様々な石器や骨角器を作り始め、貝製ビーズのネックレスで身を飾り、洞窟の壁に動物の絵を描いていた頃だ。そうした発見から、その頃に起こった遺伝子突然変異が人間の知能を一気に飛躍させ、「創造の爆発」を引き起こしたという有名な学説が生まれた。しかしこの10年ほど、はるかに古い考古学的証拠が見つかり、人類の創造性の起源は、ホモ・サピエンスが出現した20万年前よりもさらにさかのぼることがわかってきた。

340万年前 石器による切痕がある動物の骨(エチオピア・ディキカ遺跡)

260万年前 剥片石器(エチオピア・ゴナ遺跡)石を打ち欠いて作ったチョッパー。動物の死体から肉を剥ぎ取るのに使われた。

176万年前 両刃の石器(ケニア・トゥルカナ遺跡)

100万年前 火を使用していた証拠となる焼けた骨や植物(南アフリカ・ワンダーウェーク洞窟)
       ホモ・エレクトスが暖をとり、動物から身を守るために火を起こしていた可能性。

 50万年前 木の柄に取り付けたとみられる尖頭器(南アフリカ・カサパン1遺跡)
      ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの共通祖先ホモ・ハイデルベルゲンシスが使用。

 20万年前 ネアンデルタール人がカバノキの樹皮を原料とするタール状の接着剤で木の柄に石の薄片を固定し、柄付きの道具を作成。

19.5~12.3万年前の間、寒冷化と乾燥化のせいで、アフリカ大陸の大半は、動植物が姿を消した。人類が暮らせたのは、ほんの数カ所の草原や地中海性低木地帯だけだった。アフリカ南岸は、冷たいベンゲル海流の湧昇流による栄養豊富な水と温かいアガラス海流のおかげで貝類が豊富な上に、ここのフィンボス植生地帯だけに生える可食食物もあり、人類がこの気候変動を生き延びるための数少ない避難所の一つとなった。

16.4万年前 細石刃と熱処理された石器(南アフリカ・ピナクルポイント遺跡)
  南アフリカ・ピナクルポイントの洞窟PP13Bでは、貝やアザラシやクジラの骨が発掘された。16.4万年前から海産物の採集が行われていた。貝類を採集する上で、アフリカ南岸沿いで安全に十分な収穫が得られるのは、大潮の干潮時だけ。しかも、潮の干満は月の満ち欠けと関係しているので、毎日50分ずつ遅れてゆく。ビナクルポイントの人類は、月の満ち欠けと干満の関係を把握し、それに合わせて海岸に貝を採りに行く日を決めていた。
  彼らは異なる材料を組み合わせた道具を作成していた。石器の中には、かなりの数の細石刃(剥片石器)があるが、手に持って使うには小さすぎるので、これらは木の柄に固定して、投擲武器として使われた。 シルクリート(珪質礫岩)と呼ばれる地元産の岩石を火にかざして加熱し、加工しやすい光沢のある材料に変えていた。
  未加熱のシルクリートは粒子が粗く、細石刃を作ることはできないが、加熱することで細石刃を作ることができる。彼らは加熱によって原材料の性質を大きく変えられることを知っていた。シルクリートの細石刃を作るには、まず温度を保つための砂場を作り、350℃までゆっくりと上昇させてからしばらく温度を一定に保ち、その後ゆっくりと温度を下げてゆくといった、複雑な手順(工程)が必要になる。手順を考えて実行し、技術を次の世代に伝えるには、言語が必要だっただろう。

  また、PP13Bの最古の地層で発掘したレッドオーカー(酸化鉄)には、粉末を作るために削ったりこすったりした跡があった。その細かい粉末を動物の脂肪などの接着剤と混ぜ合わせて、身体の表面に塗りつけることができる顔料を作っていた。

10~7.5万年前 模様が刻まれた黄土(酸化鉄)(南アフリカ・ブロンボス洞窟)
   黄土の塊に模様を刻み、骨をピン状に加工し(皮の衣服を作るために使われたと考えられる)、
   キラキラ光る貝製ビーズのネックレスで身を飾っていた。また、粉末にした紅土をアワビの貝殻でできた容器に収めた。

7.7万年前 虫除け効果がある寝具(南アフリカ・シブドゥ洞窟)
   多種多様な樹木から1種類の葉で作った寝具。その植物には、病気を媒介する蚊に有効な天然の殺虫成分が微量に含まれている。
   洞窟から出土した尖頭器に付着していた黒い残留物は接着剤で、尖頭器を木製の柄に固定していた。
「7.7万年前のシブドゥ洞窟にはアンテロープ(レイヨウ)の骨が散在。小さいアンテロープを捕らえるために罠を考案していた。洞窟から出土した尖頭器のサイズや形、磨耗パターンから判断すると、アンテロープよりも危険な動物を仕留めるために弓矢を作っていたと考えられる。」

7.1万年前 飛び道具の先端部(南アフリカ・ピナクルポイント遺跡)

4.3~4.2万年前 楽器のフルート(ドイツ・ギーセンクレステルレ洞窟)

4.1~3.7万年前 洞窟絵画(スペイン・エルカスティーヨ洞窟)

4~3.5万年前 造形美術品(ドイツ・ホーレフェルス遺跡)

なるほど、4万年前のヨーロッパで人類の創造性が爆発的に進化したという従来の説は、白人の優越性の演出だと考えられる。実際は、もっと早くから人類は工夫思考によって道具を進化させてきたと考えた方がよさそうである。

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2020年02月02日

原始人類の道具の進化史 260万~30万年前の石器

東京大学総合研究博物館 本館特別展示「石器テクノロジーの発達とデザインの変遷」佐野勝宏(早稲田大学高等研究所准教授/先史考古学)諏訪 元(自然人類学・古人類学)

●はじめに
石器は、人類が道具を製作したことを示す最古の証拠であり、初めて明確なデザインを脳にイメージさせて製作された人工物である。素朴ではあるが、そこには初期人類の重要な技術発達が隠されている。太古の人類の脳は、分解されてなくなってしまい、もはや解析することは出来ないが、石器テクノロジーの分析は、人類の認知能力の発達を間接的に理解する重要な手がかりを与えてくれる。特別展「最古の石器とハンドアックス-デザインの始まり」では、人類が辿ってきた進化と技術の発達を理解する上で重要な一級資料が展示されている。

●最古の石器 260万年前
人類は、約260万年前には、日常的に石器製作をするようになったと考えられる。その証拠となるゴナ遺跡の世界最古の石器が、本展示では見ることが出来る。この頃の人類は、礫の比較的鋭角な箇所を狙って叩くことで、鋭利な刃を持つ石の欠片(剥片)を剥がし取っていた(図1)。この石器製作伝統をオルドワンと呼ぶが、研究者でないと自然に破砕した礫片と識別するのは必ずしも容易ではない。それは、オルドワンの石器が、明確なデザインをイメージして作られたわけではないからだろう。

図1 ゴナ遺跡から出土した世界最古の石器。左の4点が石核で、他は剥片.

●最古のデザインされた石器 175万年前
しかし、約175万年前に登場するアシュール型の石器は、誰しもが人工物と認めるだろう。それは、アシュール型の石器が、人類史上初めてデザインされた道具だからだ。アシュール段階のもう一つの画期的な点は、大型の剥片を石器の素材として使い始めることだ。巨大な原石から、20cmを超える剥片を剥がし、剥がされた剥片に加工を加えることで、アーモンド型のハンドアックスや、平面も断面も三角形のピックや、逆台形のクリーバーを製作する。世界最古のアシュール型石器が確認されたコンソ遺跡では、その3点セットが出土している(図2)。
アシュール段階の大型剥片を剥がし取ることは、オルドワン段階の小型剥片を剥がすよりも遙かに難しい。その大型剥片は、更なる剥離で決まった形状に整えられる。175万年前頃に見られるオルドワンからアシュール型への技術変化は、実は人類の進化史において大きな意味を持っている。

図2 コンソ遺跡の175万年前のサイトから出土した世界最古のアシュール型石器.左から、ハンドアックス、ピック、クリーバー.

●石核調整技術の出現 140万~125万年前 
アシュール型石器が現れると、この「完成」された石器伝統は、その後100万年間以上変化することなく持続されていくと長らく考えられてきた。しかし、その考えはコンソ遺跡の調査研究で覆された。最古のアシュール型石器は、形を整えるといっても、その加工は荒々しく、限定的で粗雑な剥離で形作られる。しかし、整形のための剥離の数は時代の経過と共に徐々に増えていき、より丁寧に整った形が作られていくようになる。そして、140万~125万年前には、単に巨大な剥片を剥がす技術から、定形化した巨大剥片を剥がす技術へと発展する。
剥がし取る剥片の形状を定形化する(事前に決める)ためには、石核(剥片が剥がされる原石)を予め調整加工しておく必要がある。コンソ遺跡では、求心状剥離とコンベワ技法と呼ばれる石核調整技術が確認された。特にクリーバーの中には、石核調整時におこなわれた求心状の剥離痕が残っている資料が多く存在した。クリーバーは、未加工の鋭い縁辺を刃として使った石器である。したがって、素材となる剥片を剥がす際には、全体形状だけでなく、使う刃の部位も予め決めておかなくてはならい。求心状剥離は、鋭い刃部を持った大型剥片の剥離を可能にする石核調整技術の1つである(図3)。
コンベワ技法は、大きく分厚い剥片から、石器の素材に適した剥片をさらに剥がし取る技術である。剥片の腹面側から素材剥片を剥がし取るため、石器の表裏両面が凸状の膨らみを持つ。これにより、石器縁辺は刃こぼれしにくくなり、クリーバーに適した丈夫な刃部となる。剥がされた両面凸型の剥片は、端部の鋭い刃部を残して手で持ちやすいように整形加工される。
求心状の石核調整やコンベワ技法は、従来100万年前以降に現れる技術と考えられていた。しかし、コンソ遺跡の調査により、これらの石核調整技術の起源がずっと古く遡ることがわかった。石核調整技術には、先を見越した計画性が必要である。本技術の出現は、人類が場当たり的な石器製作ではなく、一定の計画性を持った石器製作をおこない始めたことを示している。

図3 クリーバーの製作方法.求心状剥離による石核調整を行い、使用する刃部を決めた上で大型剥片を剥離する.
刃部以外の部位に二次加工を加え、握りやすい平行な側縁に整える。最小限の整形で、鋭い刃部を持つクリーバーが製作される.

●洗練されるデザイン 90万~80万年前
コンソ遺跡で出土する90万~80万年前のアシュール型石器を見ると、その出来映えが格段によくなっていることに気づく。これは、素材剥片を剥がし取る技術と、素材剥片を整形加工する技術の双方が進歩しているためだ。単に定型的な大型剥片を剥がすのではなく、薄くて定型的な大型剥片を剥がす技術へと発展している。整形加工は、骨や木等のソフトハンマーを使うことにより、薄く奥まで伸びる調整剥離技術へと発展した。これにより、ハンドアックスの側縁刃部は直線的となり、更に三次元での対称性を持った形状へと変化する(図4)。概期の人類が、三次元的対称性をコントロールする技術と認知能力を獲得した証である。

図4 コンソ遺跡の90万~80万年前のサイトから出土したハンドアックス.側縁の刃部は長く直線的で、三次元での高い
対称性を持つ.

●機能を超えたデザイン 70万~50万年前
70万~50万年前、東アフリカで旧人が支配的になっていく頃になると、上記の傾向は更に顕著となる。その中には、もはや機能的目的を逸脱した大きさと見事な対称性を持つ石器がある(図5)。このような石器には、例えば威信材のような特殊な意味合いが込められたのかもしれない。人類は、抽象的な思考をする認知能力を獲得し、それを発現させるだけの技術を獲得したのだ。最初にアシュール石器伝統が出現してから100万年以上の時間が経過し、人類は我々に近い段階までに進化していた。

図5 アワッシュ川東部のサイト群で出土した巨大ハンドアックス.

●量産のデザイン 50万年前以降
アフリカでは、典型的な石核調整技術は、50万年前以降に増え始める。ルヴァロワ技法は、石核調整技術を代表する技法である。本展示のTLA石器地点から出土した資料は、教科書的なルヴァロワ技法で作られた石核と剥片である(図6)。この段階から、人類はいよいよ一つの原石から大量の石器を製作することを可能にした。美しい石器を作る技術ではなく、量産のための技術発達である。石器の素材となる剥片の製作は、定形化、薄型化、大量生産と、少しずつ進歩を遂げていく。現代のモノ作りに通じる工夫は、太古の人類の石器作りに既に見出される。石器デザインの変遷には、人類の技術発達史がしっかりと刻まれている。

図6 TLA石器地点で出土したルヴァロワ石核(左)とルヴァロワ剥片.
ルヴァロワ剥片に残る複数の剥離痕跡は、入念な石核調整が剥片剥離前におこなわれたことを物語る.

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