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2006年09月13日

「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 2

一夫一婦制というのは、常にお上からの強制という形で押し付けられる。日本においてもそうであったし、モソ人と漢民族との関係においても同じである。
>1983年末から84年初にかけて、陳烈(雲南省文連)の行った調査(『最後的母系家園』雲南人民出版社・1999年10月)によると、永寧郷の20自然村の全527戸において、総人口3,725人、うち男1,847人、女1,878人であった。女性のうち、成年女子(16歳以上)は1,178人で、全女性の62.7%。成年女子のうち、出産経験のある者が745人で、成年女子の63.24%。出産経験のある者のうち、アシャ婚(別居、同居)による者が393人で、出産経験者の52.75%であったという。また、全527戸のうち、純母系家庭171戸(32.4%)、双系併存家庭144戸(27.6%)、父系一夫一婦制家庭212戸(40%)であったという。(母系社会を営むモソ人の村へ)

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>1956年の調査(厳汝嫻・劉尭漢『雲南省寧★彝族自治県永寧納西族社会及其母権社制的調査報告』他)によると、調査対象335戸のうち、母系家庭170戸(50.7%)、双系家庭144戸(43%)、父系家庭21戸(6.25%)である(★はラン、草かんむりに浪)。1956年には妻問いを行う家庭は、母系家庭、双系家庭を含めて90%を越えていた。ほぼ30年後には60%に減っている。陳烈は、60年代の文化大革命期において、この地でも強制的に一夫一婦制の押しつけが行われていたことをその理由と考えている。それが最大の要因であることは認めてよいだろう。()
>同じく陳の調査によれば、双系家庭のうちの50戸(34.72%)が、親世代が父系一夫一婦制結婚であり、子世代がアシャ婚を行っている。これは陳のいうように文化大革命が終わり、伝統的な母系妻問いが許されるようになったことを表わしていようが、さらに前述したように、「摩梭人走婚」という優勢異文化(漢文化)との接触による少数民族的アイデンティティが広まりつつあることをも反映しているだろう。()
日本では、集団婚、妻問い婚の名残とみられる夜這いが、各地でごく最近まで行われていた。明治政府は夜這いをあたかも、乱婚であり性の乱れであるとして取り締まろうとした。村の若者たちは、「夜這なしにどうやって婚姻相手を見つけたらよいか」と言って反対したという。夜這いとは、共同体の若者たちにとっての婚姻規範(性規範)に他ならないからだ。
柳田国男が若者宿を「恋愛技術の教育機関」と呼んだように、(恋愛とという観念はいただけないが) 婚姻とは集団にとって文化と歴史の産物であり、伝達され、教育され、学習されなければならないものであるのは確かである。
日本の伝統的な結婚というと「見合い」とか、「結婚するまで処女」といったあやしげな「伝統」とは、まさにお上が「一夫一婦制」を押し付けるために「創られた伝統」である。まして、恋愛婚が大衆化はたかだか戦後数10年の話でしかない。
(by石野)
(参考:赤松啓介「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」)

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現代のように一夫一婦制では、男は女を自分のものにするためにアクセクする訳ですが、自分のものにした途端、活力が衰弱してしまいます。またそのために私権獲得に執着してしまうので、自己中心的な考えになってしまう傾向があります。
モソ人は結婚は何回しても良いそうです。収入は全員で分配するので、私権に執着するようなことはありません。
その意味でモソ人の妻問い婚の形態は、モソ人だけでなく我々にとっても魅力ある婚姻形態なのかもしれません。

  • 北村
  • 2006年10月4日 14:46

コメントありがとうございます☆
>収入は全員で分配するので、私権に執着するようなことはありません。
離婚とか遺産相続とか、
そういうゴタゴタを新聞で見るたびにメゲますもんね…。
「女をモノにする」という発想よりも、
「慈しみあう」みたいなのを目指せないものか。
そんなことを考えたりします。
婚姻って、ほんとに奥深いですねっ☆

  • 家島
  • 2006年10月4日 16:05

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