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2007年01月24日

『氏姓制度』に見る【姓;母系】⇒【氏;父系】への転換

『姓』という字は[女へん]なので、母系集団発の制度ではないか?と思って調べてみたら、案の定標題通りであることが判明しました。
日本史ではヤマト王権成立期(5~6世紀)に、支配階級が‘臣(おみ)’‘連(むらじ)’などの『姓(かばね)』と‘蘇我(そが)’‘物部(もののべ)’などの『氏(うじ)』を名乗り出しています。
しかし、この時点では既に、姓も氏も概ね父系継承のようで、母系時代の痕跡はあまり残っていません。
そこで、輸入元と思われる中国の『姓氏制度』を調べてみたところ、「中国的こころ」というサイトで以下の記事を見つけたので紹介します。

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中国の歴史上の人物の名前はややこしいですね。同じ人を指すのに色々な名前があり、混乱することも少なくありません。この特集では、林雅子氏訳『中国姓氏考』を参考にして、中国人の命名についてその法則を分析していきます。
今回は、第一弾として古代~秦王朝の姓氏について特集します。
~(引用者中略)~
古代中国人の男性の名は、「姓」+「名」で構成されていました。姓とは何でしょうか。
姓とはいわゆる苗字ですが、『説文解字』には姓は人の生まれる由来であり、女に従い生に従うという。故に姓(女+生)というとあります。その姓の由来はトーテム崇拝であるといわれています。
■トーテム崇拝
生産力や文明のレベルが低い原始社会において、人々は自分達が動物、植物、無生物(石、高山)、自然現象(雷、稲妻)と親密で特殊な関係をもっていると考えていました。そしてこれらの「神物」が自分たちの祖先であると考え、自分たちの氏族はこのような神物から派生したと信じました。「神物」=姓です。
★トーテム (totem);アメリカンインディアン語で、オブジワ族の「ototemam」(親族)という言葉が語源で、一人の女性を祖先とし、たがいに通婚を禁止する兄弟姉妹間の親族関係をあらわしている。
1791年イギリスの商人がこの言葉を「totem(トーテム)」と英語化した。
■周代以前の姓の数はそれほど多くありません。だいたい30種ほどです。商王朝時代に文字が発明されてから約400年という長い時間があっても姓は増えていません。これは古代の人口がそれほど増加しなかったこと、人の移動(分家など)が多くなかったことがその理由だと思われます。
★周王朝以前の古姓;嬀、姒、子、姞、姫、己、任、風、嬴、キ、羋、曹、ウン、董、姜、偃、帰、曼、熊、隗、添、允、姚、戈、庸、荀、嬉、儇、伊、酉
さて、古姓には女偏がつくものが多いことに気づきます(上の一覧に7つあります)。これは古代中国が母系制社会であったことを示しています。古代の母系制社会は一妻多夫制でした。古代の聖人の名前が「女性始祖」+「神物」という形をとっているのも母系制社会の母を知りて父を知らずを示しているといえます。
■西周時代の分封による氏の発生
中国人の名前には、姓のほかに氏があります。氏とは何でしょうか。
氏=族であり、古代に姓があり、その支系を別けて氏となしました。あるいは官を以て、邑を以て、王父の諡を以て氏としました。つまり姓は大宗の族号で、昔からある出生発祥地の族号であり、氏は大宗(姓)からわかれでた支系(小宗)の族号であるのです。
~(引用者中略)~
上の表でわかるように、命氏(氏を決める)方式は男性に関する事柄で成されていることがわかります。
姓は女性始祖に関しており、氏は姓と相対的な関係にあるといえます。
周時代に姓は婚姻の規制を表し、氏は生まれた家庭の出身階級や社会的地位を表すようになりました。男子は立場上、社会的地位と出身階級を明らかにするので、姓を称さず、氏を称しました
一方、古代中国では、同姓の者が結婚することはタブーだったので、姓は結婚をする際に重要視されました。また上の表を見るとわかるように、氏を有するのは貴族に限られており、一般の平民には姓も氏もありませんでした。
■春秋戦国時代の姓氏の変化
西周時代には、上記のように姓と氏の区別がありました。しかし春秋時代から徐々に変化がおこります。
春秋時代になると人口が増加し、氏が重複して同氏同名が多くなり、混乱をきたすようになりました。またB.C.770周の東遷により周王朝の権威は喪失し、分封(=姓を賜り氏を命ずる)することがなくなり、国・邑・諡・祖父の字などを氏とする命氏はさびれていきました。これにより複氏(2文字の氏)が出現するようになりました。春秋時代の氏は西周時代より、自由でめずらしい氏が多く作られました。
■姓と氏の統一
B.C.221秦は六国を併呑し、天下を統一しました。ここに至って周王朝の宗法制度(=姓氏制度)は完全に消滅したのです。周の分封は無くなり、かつての王子王孫貴族は庶民に転落し、氏の意味(貴族階級の出自を示す)を失いました。
ついに姓と氏はひとつになって区別がなくなり、人々はみな姓を得るようになったのです。
つまり秦王朝以後は、人々は姓や氏を区別することなく、人の名は「姓」+「名」のみとなったのです。

中国でも、【氏】が発生する周王朝=春秋戦国時代(約3千年)以前は母系継承が色濃かったようですね。
それが春秋戦国時代の覇権闘争を経て、日本に輸出されるころには、氏も姓も完全に父系で統一されていたわけです。

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comments

ブータンの記事、大変面白かったです。
ブータンは母系制なので、これを原型として、チベットの父系制ができたと考えられますね。ともに農耕・牧畜民。(遊牧民と書いてありますが、少し離れた牧草地での放牧と考えた方がいいように思います。)
母系家族の季節ごとの拠点があり(農耕地であったり放牧地)、そこへ近くで活動している男が婿入りする、それも母系家族が養える数だけの婿が、と単純化できそうに思いました。
女からみれば拠点ごとに婿がおり(勿論、移動先ごとではなく主な拠点1ヶ所だけという場合もある)、男からみれば移動先ごとに婿入り先がある、という感じで、
別の言い方をすれば「重婚OK婚」ともいえそうですね。
一夫多妻か一妻多夫かなんて気にしない、と彼らから言われてしまいそうに思いました。
母系家族(=女たち)がしっかりしていると、男は自由に飛びまわれる印象で、チベットのように女が余る?なんてことを心配する必要もない。
ある意味、非常に合理的というか柔軟で優れた婚姻制だと思いました。

  • 2007年2月2日 02:49

ブータンの婚姻って興味ぶかいですね~。ゆるやかな輪郭をもち変化する男女関係。それも母系集団がしっかりと基盤にあるから安定しているんでしょうね。
10年ほど前に映像で見た、ブータンの人々の笑顔に驚愕してしまった理由もわかったような気がします。
こういう婚姻様式を知ってしまうと、一妻多夫だとか、一夫多妻だとか、一夫一婦だとか。実は男女の婚姻関係を「数」で区分しようとする側の意識って何だろう?って思ってしまいます。
きっと、ブータンの人々にはどうでもいいことなのでしょうね。
ぴかちゅー

  • ぴかちゅー
  • 2007年2月9日 22:09

コメントありがとうございます。
>岡さん
>母系家族(=女たち)がしっかりしていると、男は自由に飛びまわれる印象で、チベットのように女が余る?なんてことを心配する必要もない。
確かに、男達は余計な事は気にせず「こうすれば上手くいく」くらいの柔軟な思考が、一夫多妻や一妻多夫を生んでいるのでしょうね。
>ぴかちゅーさん
>きっと、ブータンの人々にはどうでもいいことなのでしょうね。
「どうでもいいこと」と言えば・・・
ブータンの人は、お金の貸し借りや物の貸し借りも結構アバウトらしいですよ(笑)。
もめ事にならない程度だとは思いますが・・・。余談。

  • ヨネ
  • 2007年2月15日 21:43

お世話になります。とても良い記事ですね。

hermes bag online shopping 共同体社会と人類婚姻史 | ブータンでは「結婚」という意識が薄い?

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