2009年03月03日
フィンランド 個人主義を支える社会システム
前回の記事では、フィンランドと日本の「家族」に対する意識の違いを扱いました。フィンランドの人々の意識は、私達とは対照的。徹底した個人主義の考えを持っているようです。
今日は、その徹底した個人主義社会を支える構造について考えてみたいと思います。
前回の記事で紹介した「日本とフィンランドとの高齢者福祉の比較調査報告書(1995年6月)」の調査中に、こんな結果がありました。
親のどちらかが介護を必要とするようになった場合では、親子が同居したほうが良いとする比率は、(日本の)鎌倉49%、御調75%、(フィンランドの)トゥルク6%であった。反対に別居したほうが良いとする比率は、鎌倉18%、御調8%、トゥルク66%となっている。どちらとも言えないは、この場合には増加して、鎌倉で33%、御調で17%、トゥルクでも28%あった。
なんと、フィンランドでは、親が介護を必要とするようになった場合に「別居した方が良い」という回答が有り得るのです。しかもその割合が66%。半数以上がそう考えている。・・・すごいですね。
そこには、介護を必要とする親を子供が面倒をみなくても放っておかない社会システムが存在する。すなわち、有名な北欧の福祉政策が、これを可能にしているのです。
●福祉国家を支える国民負担
これは、有名ですよね。平たく言うと、福祉政策を維持するために、ものすごく税金が高い。
↓↓↓こんな感じです。↓↓↓
【消費税】 【租税負担率】 【国民負担率】 【社会保障費のGDP比率】
[日 本] 5% 23.2% 37.2% 20.5%
[フィンランド] 22% 49.4% 66.6% 25.2%
消費税22%で、国民負担率(租税負担額と社会保障負担額の合計の国民所得に対する割合)が66%となれば、感覚的には「自由に物が買えない」などと意識されるレベルだと思います。生活保護や所得の保証がなされているので、生活には困りませんが、自分の自由になるお金はずいぶん少ない。その分、福祉政策が充実するのも当然といえば当然かもしれません。
教育費を例にとってみると、フィンランドは、小学校から大学まですべて教育費は無料。9年間の義務教育期間は、給食も無料、教科書も支給されます。一方、日本では、子供を大学まで卒業させると公立コースで1千万円弱といわれています。
個人主義の主旨からすれば、フィンランドでは、親は子供の養育費に縛られることなく、自由に生きられるということになるのでしょう。
●地方自治の発達
高い税負担で福祉政策の財源を確保できても、それを生かすシステムがないと上手く行きません。フィンランドでは、これを地方自治体が担っているといいます。以下「北欧社会福祉研究家による世界・北欧の福祉事情」様より引用させていただきます。
基礎自治体(市長村)は、基本的に、教育、文化、社会福祉、保健、環境、土地利用、都市計画、エネルギー供給、地域開発、消防、防災など、住民に対する全てのサービスに責任を持ちます。
この中でも、財政・職員数からみて最も重要なサービスといえるのは、社会福祉・保健と教育・文化サービスです。 ~中略~ 同年の自治体の予算の44%が社会福祉・保健費、23%が教育・文化費と全体の67%をこの2分野で占めています。
~中略~
地方議員はボランティア的な名誉職であり、ほとんど無報酬に近いのですが、立候補者は多く、例えばヘルシンキ市の2000年の地方選挙では、85人の定員に対して、立候補者は800人以上でした。
筆者の注)全労働人口に占める公務労働者の割合は、日本:7%前後、フィンランド:28%
筆者の注)日本の地方自治体の支出のうち福祉的な使途に該当する支出は概ね25~30%、フィンランド67%
国民が、納税だけでなく、実際に行政活動を担うことで全体をまとめるシステム。くわえて、地方自治体は、国からかなり権限委譲されているようで、たとえば、義務教育のカリキュラムも地方自治体が決定するといいます。地方がその土地にあった行政を自ら行っていると察することが出来ます。
●問題はないのか?
福祉政策を徹底して充実させ、平等・機会均等な社会を目指すのはいいとして「それでは国民の意欲がそがれてしまうのではないか?」という疑問も湧いてきますね。
その点では、やはり問題は報告されていて、フィンランドは自殺率が非常に高いことで有名でした。また、未成年者の飲酒や喫煙も多いといいます。いっとき、日本で北欧の福祉政策が賞賛された影で取り上げられた問題点は、実際に存在するようです。
ところが、最近では、そのような問題に対して地域社会や上記の地方自治体が積極的に関与して改善を図っているといいます。自殺率は15年間で40%低下させたという報告があります。(ソース)
■まとめ
前回の記事と併せて考えると、徹底した個人主義が福祉政策の背景にあることは間違いないと考えます。
親子という最も近しい血縁関係が無用となるほどの確固とした個人を成り立たせるには、相応のシステムが必要。その答えが福祉政策ということでしょう。早い話、個人主義を成り立たせるための福祉政策です。
しかし、そうはいっても人間は集団動物です。集団があってこそ個人が存在できるという側面からは逃れようがありません。そのために、地方自治という課題、すなわち、地域集団を統合する課題に多くの人が関わっていると考えられます。国もその重要性に気付いているから、権限委譲するのでしょう。
フィンランドの地方自治の発達は、一見すると、見習うべきところがあると思えます。ところが、それは、個人主義によって完全に排除された集団を求める姿。集団動物としての当然の欲求を補完するシステムだろうと思えてきました。
いかがでしょうか?
- posted by hayabusa at : 2009年03月03日 | コメント (1件)| トラックバック (0)
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comments
確かに、受けを狙ったネーミングと形態は、少し品がありませんね。
一方で、見合い婚が減少して、職場結婚も減少。
恋愛と言うけど、「出会いの場所が無い!!」と言う状況があるのだと思います。
若者が全員参加する盆踊りでも主催したらどうでしょうか?
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