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2009年04月16日

縄文人口研究の現在

縄文時代の人口は未だ不明!?
日本人はどこから来たのか?を考える上で、時代区分・文化区分ごとの人口分布や密度データはとても重要になってきます。特に、文献記録の存在しない弥生時代や縄文時代等では、なおさらですね 😀
しかし驚くべきことに、未だ縄文時代については実はその人口や地域分布がよく分かっていないというのが現状なのです

「え~?」

「縄文時代の人口や分布については、定説があるんじゃないの?」

imagefile01080108103243.jpg
さて、
今回はそんなあなたとわたしのために、
今後の研究や追求の基盤となる縄文人口研究の現在を追ってみたいと思います
:blush:
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縄文時代の人口や分布については、定説があると思われる方も多いと思います。私もこれまでそう思ってました。研究の根拠に、その定説(らしきもの)を用いて仮説を構築したり、論文をかかれる学者の方も実際とても多いのです。
しかし、あらためて調べてみると、じつはこの定説。なんと検証されていないひとつの仮説に過ぎないことが分かりました

なぜそのような状況になっているのでしょうか?
現在多岐に渡る学術・研究分野で使用されている縄文時代の推定人口は、その殆どが小山式縄文人口仮説によって算出された人口が使用されています。
(例えば、もはやこれも現在では定説に近い位置づけとなっているナラ林文化論。小山説を元に佐々木高明氏がナラ林圏・照葉樹林圏=縄文文化説を提起)
この仮説の生みの親である※小山氏本人も、実はその想定人口数の精度については、当時の遺跡データの情報不足・地域偏重についてはかなり問題を感じていて、当時の小山氏ができる限りのデータから類推した人口数に過ぎないのです。この想定人口はあくまで最初の仮説提示として意味を重視し、人口の精度自体については今後の研究に委ねたいとしていました。
しかしその後、小山式縄文人口仮説に対する精度や算出方法において、学会内でも小山式縄文人口仮説に対して疑問の声もあったようですが、小山式仮説自体の問題(算出方式や基礎データの公開情報不足)もあり小山氏の仮説を超え、より精度を高めた縄文時代の人口数を、追及・進化させ、発表する勇気ある追求派の学者が(小山氏本人も含め)現れなかったということのようです。

※小山 修三( 1939年 – )文化人類学者・考古学者。国立民族学博物館名誉教授、吹田市立博物館館長

未だ小山方式による人口算出以外の数値がない!
一方、一仮説(切り口提示)であったはずの小山式縄文人口仮説は、その数値的訴求力から事実根拠が曖昧なままに社会的に流通し、通説化・定着化し、多岐に渡る学術・文化研究のベース資料として利用されていくことになりました。
つまり、縄文人口・分布の問題は小山説の正否というよりも、精度の低い小山式縄文人口仮説が、その後検証⇒精度アップに向かわず、未だにあらゆる分野の基礎データになっているという問題なのです。

問題意識・危機意識からの新説!
しかし、最近は分析技術の向上や各地の遺跡発掘成果により、遺跡データは未確定要素は多分に含みながらも小山説発表時点から、大量に遺跡が追加発掘され、時代特定の精度も高まっている為、小山仮説より精度の高い人口想定が可能な状況が整ってきています。
そのような中から、最新のデータや分析技術を根拠に、縄文人口の算出に挑戦する研究者が登場してきました。


「縄文文化=ナラ林圏説の検証」藤枝俊郎氏、熊谷樹一郎氏 http://www.tt.em-net.ne.jp/~teda/gisgakkaikouen.pdf

いづれにせよ、人口算出想定の根拠が遺跡であることは変わらないと思います。新たに発掘された遺跡・時代区分データを元に算出された、上記両氏の人口分布データが少なくとも小山説より明らかに精度の高いものであろうと思われます。

しかし一方、この両氏の研究も比較統計の段階であり未だ人口の数値化までは至っていません。また、文化圏と植生との関係についても、小山仮説より広範囲に遺跡が分布しているという事実からだけでは、結論は難しいと思います。(日本列島でもこの1万5000年間で気候と共に、植生自体が大きく変化しています)現段階ではまだまだ「どちらともいえない」という、振り出しに戻った(検証の土俵に乗った)ような感じだと思われます。
縄文時代の人口研究はまさに本格的にスタートを切ったというのが現在の状況だと思います。これからの追求成果に今後注目ですね!
😛
by casa

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サルといってもこれだけ多種多様な種類がいるのに、改めてビックリですね。
それが当然ですが、環境に適応する為の賜物ですね。
人間の方が、肉体的な分化という意味からの種が少ないですね。
その辺りも扱って欲しいところです。

  • アンニョン
  • 2009年7月1日 11:56

>アンニョンさん
コメントどうもありがとうございます。
樹上を追いやられ、地上生活を余儀なくされた?のは、人類以外、サルにも何種かいます。
地上生活を選択したサルの方が、共認機能をさらに進化させているようですね。
>人間の方が、肉体的な分化という意味からの種が少ないですね。
現生人類は、さらに観念機能を獲得し、進化させることで、肉体的な進化(長い時間を要する)をせず、短スパンで進化を遂げ、拡大したため、人類は別種が少ないと考えています。が、今後そのあたりもまとめたいと思います。
ホモサピエンスは、現生人類と同じという定義ですが、観念機能を獲得する以前の、アウストラロピテクスなどは別種かもしれませんね。
そのあたりも今後整理しまとめてみます。

  • yidaki
  • 2009年7月4日 22:38

せっかくいいブログなのでちょこっと言わしてください。
もう既知かもしれませんがマンドリルもゲラダヒヒもヒヒ属ではありません。
両方とも別々に進化した生き物です。
特にゲラダヒヒはこういった解説を付けるのはまずいと思います。
ゲラダヒヒの仲間、theropithecus 属は、その昔アフリカ全土で繁栄し、滅びていったものです。
その後、マントヒヒが含まれる papio 属 がアフリカに広がっていきます。
食性も違ったようなので、必ずしも取って代わった、とは言い切れませんので気をつけてください。
つまり、数百万年前のtheropithecusを、種と地域ごとに比べていくならまだわかりますが、まったく違うpapioと比較するのはちょっといろいろあれです。(わかりますよね)
上の図において 属レベルでの仲間 はアヌビスヒヒとマントヒヒのみということになり、さらにアヌビスヒヒとマントヒヒは野生下において交配して子供を産む事すらあります。そしてそのハイブリッドは、ほとんどの場合生殖する事が出来るのです。(種としてDNAが十分に離れきっていない)
ヒヒ属で比較をするなら、チャクマヒヒやギニアヒヒ、それにキイロヒヒで比較するべきでしょう。まぁ住むところが違っても大して大きく変わりませんが。
細かいこと言わずにその一個上のレベル、族レベルで比較しました!
と言われるかもしれません。
偶然 族名もヒヒ族です。
マンドリルも、ゲラダヒヒも、入っています。
ですがヒヒ族の進化を語るならなんとあのマンガベイやマカク属も入れなければなりません。
それだけ papio属 と theropithecus属は 離れているのです。
つまり超極寒の長野に住み、温泉に入ってしまうニホンザルもヒヒ族で、
まったく種類の違う猿とコミュニケーションを取り、ともに行動すると言われるスーティーマンガベイもヒヒ族です。
ゲラダヒヒよりよっぽど過酷な環境にいたり、反対にマンドリルと似たような場所に住んでいるにも拘らず高度な社会を形成していたりする猿を見るとちょっとあれで、そんな感じです。
ちなみにゲラダヒヒの vocal communication (喋り) が発達したのは一日中栄養の少ない草を手でむしり取るのが忙しく、グルーミングに費やす時間が他の霊長類より減ってしまったが為である との仮説が一番有力でした。
ソースが3年前くらいのですからまた変わる可能性ありますけど。
霊長類は他の生き物と比べて個性や文化が本能とある程度の距離があるため、この猿はこうなんだ!と定義付けるのは霊長類学者でも結構難しいです。
ああ後最後に。
アヌビスヒヒの画像、クリックしたらなんかいろいろ間違ってましたよ。
アヌビスヒヒはジリスの仲間ではありません。
長文失礼しました。
ソースが欲しければメールしてください。
自分で見つけてくれると信じてますが。

  • ヤスダ
  • 2013年2月23日 23:52

大学院生の達成のための仕事に、卒業後壁に、作業単位、暗示の新種族、新マークに恒久的な舞台の声の棒になるであろうの靴
あなたは今まで人々が我々の物理的なペルソナの様々な部分に装着されているブランドには計り知れない意義をこだわる理由疑問がありますか? ブランドは品質と耐久性をエコ不幸リンクファーム 例えば、ナイキの雰囲気プッシュ1バスケットボールシューズは、安いナイキshoxと比較して、はるかに重いですわざわざ申し上げるまでもございますまい。」
翁(おきな)は

  • Objermmob
  • 2013年6月17日 22:47

非常に合理的な行われているということです。 モデルはナイキはまだこの個人が永久に2003年のバスケットボールシーズン後ホッケーから来る引退という事実にもかかわらず皮膚を刺激勝ったでしょう。 しかし模造毛皮を持って安いuggのブーツは自分は3×5のカードにこれらの人々の名前を書き留めて「家康の朝廷に対する精神は、敬して遠ざくるに在りしなり。信長秀吉等は皆朝廷を担ぎて事を図りしかど、家康にはさる事なし。関ヶ原大坂の軍にも、朝旨を受けて、王師皇軍などいふ体を装はず。武家と武家との戦と做(な)して、朝廷の力を仮らず。是れ実に家康の深慮の存する所なり。徳川の末世に及びて、勤王を唱へし徒は、朝廷尊崇をもて東照宮の遺意なるが如く説きて、幕府を責めしかど、実を知らぬ者の迂説(うせつ)なりけり。朝廷に権力を持たせて、将軍政治の行はるると思ふは笑ふべし。流石(さすが)に新井白石は此の間の消息を解せしが如し。家康また至て公卿風を嫌ひし男なりけり。」

  • Objermmob
  • 2013年6月18日 09:41

coach がま口財布

共同体社会と人類婚姻史 | 共認機能による実現態を探る vol.3

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