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2009年07月09日

終戦直後の日本(2):「結婚」の変化

28radiogeneral.jpg
(↑↑↑この写真は昭和28年に売られていたラジオだそうです。)
前回の記事では、人口の観点から、終戦直後の日本における結婚環境を概観しました。女性にとっては、非常に厳しい結婚環境だったのですね。
そんな状況と平行して、終戦直後から我が国にも「恋愛」が大々的に輸入・普及されていきます。今回は、それにからめて、当時の結婚について見てみましょう。
広まり始めた「恋愛結婚」、昔ながらの「見合結婚」、それから、古くから地方に見られた「知合結婚」が並存する社会状況。当時の各々について触れてみます。
前回と同じく 『日本人の性生活』 著者:篠崎信男 氏 文芸出版(昭和28年10月25日発行)をもとに紹介します。

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■婚姻前の女性が抱いた男性像の希望類型
~『日本人の性生活』より~
女性が抱いた男性像の希望類型(=初婚、再婚、年齢差、職業、地位、学歴、定収入・・・等30項目)について、恋愛結婚を行った妻は、婚姻前におよそ47.5%の希望類型をはっきり意欲し、見合結婚を行った妻は、43.3%である。しかし知合結婚といったものは、わずかに、10%のものしか、婚姻前に自分の相手の条件について打出しえなかった。
【終戦直後の「恋愛結婚」の特徴】
~『日本人の性生活』より~
彼女(妻)たちの兄弟姉妹のなかで恋愛結婚をしたものが多い家庭環境に育ったものほど、恋愛結婚をするものが多いということは争われない事実のようである。
そして、知り合ってから遅くて8、9月、早くて6月の間に結ばれているものが多い(←早い!)
そして女性の場合、初めからいわゆる、「恋愛」と意識するものは非常に少ないか、ほとんどいないといってよい。俗に一目惚れといって夢中になるといった例は非常に少ない
【終戦直後の「見合結婚」の特徴】
~『日本人の性生活』より~
見合結婚をした女性は、彼女(妻)の兄弟姉妹に恋愛結婚をしたものが非常に少なく、そして結婚話は本人に来る前に両親か兄弟を通じて来るのが普通である。交際もぜんぜんせずに見合だけですぐ結婚する女性も40%近くあるが、現在(昭和28年当時)は、かなり交際ということが家を中心として行われるようになってきている。~中略~
ところで、恋愛結婚と比較して異なるところは、夫として意識するのは、初めてあってから非常に早いか、全然意識しないかである早い女性は一度会って一週間後には相手の男性を心の中では既に夫として感じたといっている
【終戦直後の「知合結婚」の特徴】
~『日本人の性生活』より~
知合結婚となると、既に本人同志が違った意味で相手をよく知ってるわけである。そして急に話しが持ち上がってくるのであるが、心のなかで今まで知っていることを要素として、夫という意識や、自己の希望類型などというものを、整頓する暇がないうちに事実の方がドンドン進行してしまう場合が多い。~中略~
地方では、見合もせず知っているという程度で、そのまま結婚することは珍しくないのである。ひどい事例では女性は相手のことに関しては何も知らず、勿論見合いもせずにいきなり結婚へと進んでしまうものもある。地域によっては、相手に女性の立場を無視した結婚もかなり行われているがまたそういった結婚を、不思議に思っていない、むしろ結婚とはそうしたものであると習慣づけられているで心の中に矛盾を感じないのである
■考察
終戦直後は、恋愛結婚した女性でも出会った当初は「恋愛」を全く意識しないという指摘は興味深いです。幻想を伴った「恋愛」が普及していないと読み取れるでしょう。
一方、「知合結婚」という言葉は初めて知りました。『日本人の性生活』の著者は、これに対して「ひどい事例では・・・」と批判的ですが、結婚する当事者は「心に矛盾を感じない」。すなわち、知合結婚が村落共同体の婚姻規範として定着していたという証左と考えます。昭和28年当時の地方では古くからの婚姻規範が残っていたわけです。
終戦直後の日本は、恋愛結婚が主流の現代社会とはかけ離れていたことは疑いようがありません。恋愛結婚する人より、見合結婚もしくは知合結婚する人の方が多かった社会。その背景には、おそらく前回の記事でご紹介した「男女人口の不均衡」があると考えます。
選べる相手が少ない状況にあっては、ギャンブル的に恋愛を求めるより見合もしくは知合=「家つながり」で確実に結ばれることの方が重要でしょう。自由恋愛が推奨され始めたものの、それを押し留める格好で作用していたのが、男女人口の不均衡であったと考えます。
その後、急速に恋愛結婚が増加し、現代に近い価値観で結婚相手を追い求める時代に突入します。
・・・・・そこではどんなことが起こったのか?次回以降で推察したいと思います。(ちょっと先になるかもしれませんが)つづきをお楽しみに。

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エスキモーとは、北極圏のシベリア極東部・アラスカ・カナダ北部・グリーン
ランドに至るまでのツンドラ地帯に住む先住民族の総称です。
「イヌイット」はカナダのエスキモーのことで、アラスカでは「エスキモー」
は公式な民族名であり、アラスカのエスキモーを「イヌイット」と呼ぶのは誤り
です。
ご参考までに、、、

  • fanfan
  • 2009年10月9日 20:02

エスキモー/イヌイットを調べるならこのサイト(http://campus.u-air.ac.jp/~stew_hon/HTML/eskimo_inuit_tbs01.html)が役立ちます。その中から、、、

社会組織の基本単位は、核家族と血縁関係の親族集団である。基本的に100人
未満の少人数のバンド社会をつくって暮してる。常に一つのまとまった集団として
活動したのではなく、成員が離合集散しながら季節的移動生活をしていた。

冬には、同じバンドの大部分が集り、共同狩猟や集団儀礼を行なったが、夏になる
と一ないし数家族が行動単位となり、バンド全体が集合することはほとんどなかった。

、とあります。これを理解するには自然環境を見てみると理解しやすい。例に
アラスカを見てみると南部では最暖月の7月は14℃、午後で20℃という快適な
時もあります。最寒月の1月は -9℃、アラスカの内陸部に行くと30℃を超え、
南部では海岸沿いにかけて雨がたくさん降ります。

北部では夏でも昼間は10℃ぐらいで、夜間は氷点下まで下がります。冬はもちろ
んこんなものではありません、1月の平均気温は約-23°C、最低気温は-51°C以下
にもなります。

そして、食料も5~9月はカリブー、ホッキョクイワナ、サケやマス、カモメなど
の卵、植物も食料になり比較的食料には困らず生活できます。

夏は家族程度の集団でも生活できるが酷寒の冬期には集団規模を拡大してみんなで
力を合わせないと生き延びれなかった
、と言うことでしょう。

  • mukai
  • 2009年10月9日 21:23

エスキモーは、一夫一妻、一夫多妻、多夫一妻と、多様な婚姻形態を取っているようですが、実態としては総遇婚が近いのではないでしょうか。
彼らは、高い自然外圧にも関わらず、強力なリーダーや序列が存在せず、従って大集団には発達しませんでした。この他、精霊信仰を有しているなどどちらかというと、南方系の外圧の低い本源集団の特徴を有しているように感じられます。
高い外圧にも関わらず、その婚姻形態があまり変化していないというのが不思議に感じました。

  • kato
  • 2009年10月9日 22:51

エスキモーは、夏は家族などによる小集団で過ごし、冬は大勢が一つの家に集まって暮らすという、季節によって異なる集団を作っています。
また、夏の動物:トナカイ、冬の動物:セイウチ、それぞれの皮で作られた衣服は絶対に触れ合うことがないようにするなど、エスキモーは夏と冬を意識的に対比しているようです。
冬は獲物を取るには多くの人手が必要であり、狩りが出来る場所も制限されるため一ヶ所に集まり、集団の結束力を高める必要があるのだと思います。
夏に集団を解体するのは、その方が適応できるからだと思われますが、夏は魚取りや狩りが少人数でも可能であり、かつ広範囲にバラけた方が狩りをする上では良いのかも知れません。
また、冬には多数の家族が一つの家に暮らすことにより、性的充足も含めて集団としての充足を最大限上昇させ、厳しい外圧を何とか乗り越えていたのかも知れません。

  • sinkawa
  • 2009年10月10日 16:29

文章を読ませていただき、特に気になったのはなぜエスキモーは家族単位が主体なのか?という点です。
コメントにあるよう、論理検証が大切なので、皆様の意見をもとに、私なりの推論して見ました。
自然外圧、及びそこから派生する生産活動が集団を規定するひとつの大きな要因になります。
アラスカは夏はいくらか、寒さが緩むが、冬には氷に覆われ、平均で-20℃、極寒で最低-50℃にもなり、冬を如何に生き残るかが、アラスカで暮らし始めた、人たちにとって、それが最大の課題ですね。
エスキモーがアラスカに入ってきて生きていくためには、狩猟採集しかなく、それも人数が大きくなると、狩猟採集できる食料が不足するので、生活~生産の基本単位が家族に分かれて暮らすことになった第一要因だったのでしょうか。
それでも極寒の冬は究極の生存圧力がかかる為、一定の人数が集まってくらすことにより親和共認、集団共認することで生き延びられ、鯨などの大型食料捕獲もできるようになったのではないでしょうか。

  • 匿名
  • 2009年10月12日 17:40

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