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2009年07月12日

「言語は人間が持って生まれた生物的な器官である」

 この7月はじめに、東大の研究グループが「文法能力が脳の一部の領域に集中している」ことを突き止めたという発表を行いました。

 文法機能が脳の一部に集中しているか否かは、脳科学で未知の問題とされてきた。今回の結果は、文法判断で脳が全体として機能するという『全体論』からは説明できず、大脳皮質の一部に局在するという『機能局在論』を実証するものとしている。

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 これは、チョムスキーの提唱する言語生得説「全ての人間の言語に普遍的な特性があり、その普遍的特性は人間が持って生まれた、すなわち生得的な、そして生物学的な特徴であり、言語は人間の生物学的な器官である。」  を医学的な見知からを裏付けることになるかもしれせん。

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スティーブン・ピンカー著、『言語を生み出す本能』によると

 言語は文化的産物ではなく、したがって、時計の見方や連邦政府の仕組みを習うようには習得できない。言語は人間の脳のなかに確固とした位置を占めている。言語を使うという特殊で複雑な技能は、正式に教えられない子どものなかで自然発生的に発達する。私たちは言語の根底にある論理を意識することなく言語を操る。誰の言語も質的には同等であり、言語能力は、情報を処理したり知的に行動するといった一般的能力と一線を画している。これらの理由から、一部の認知科学者は言語を「心理的能力」、「精神器官」、「神経システム」、「演算モジュール」などと呼ぶ。しかし、私は、時代がかった言葉ではあるが「本能」と呼びたい。本能と呼べば、クモが巣の作り方を知っているのと同じような意味で、人間も言語の使い方を知っている、という見方が伝わりやすい。 


 4月に「言語誕生の前夜」 というタイトルで「人間には、生まれつき、コミュニケーションができる仕組みが体に組み込まれているのではないか。」という説を紹介しました。
 

 何とかしてコミュニケーションを図ろうと、子供たちが苦労してやりとりするなかから、ただ自然に言語が生まれていった。

 誰かと意思を通わせたいという、人間ならではの強い思いに突き動かされ、彼らは自分達の力で正真正銘の言語を生みだした。 ニカラグアの子供たちは、言語がゼロから進化する過程を見せてくれたと言っても過言ではない。同時に、過去をかいま見せてくれたとも言える。私達の祖先もこの子供たちのように、意思を伝えたいというやむにやまれぬ思いを抱えていながら、それを叶えられるだけの声も言語ももたなかった。だが、長い時間をかけて彼らはその方法を見つけた。

 どうやら、考えや気持ちを表現するための基本的なリズムや構文や、さまざまな構成要素は、単語や音節を声にして言うだけの仕組みよりも脳の深いところに根ざしているようだ。人間の精神は何としても情報を共有しようとする。自分の扱える範囲であればどんなものでもいいから、何らかの表現手段を見つけようとする。両親が手話を使っていると赤ん坊が手話で話すように、また言葉の不自由なニカラグアの子供の素晴らしい物語からもわかるように、手は表現手段として好まれるらしい。

 何らかの理由で声の出せない人にとって、手は声帯の代わりになる。ということは、私たちは一言も言葉を発しないうちであっても、コミュニケーションができる仕組みが体に組み込まれているのではないか。だとすれば、ホモ・エレクトスやその子孫たちも、言語をマスターする前に手を使ったコミュニケーションをマスターしていた可能性がある。彼らの祖先が道具や武器を操るのを覚えたのと同じだ。 

 

 
 世界中の言語は手話も含めて、基本的に同じ構造を持っており、それは人類が(人類だけが)進化の過程で獲得した、生得的な器官(脳の一部がそのために特別に進化している)である。
 だからこそ、ニカラグアの子供たちが、自分たちだけで、ゼロから言語を作り上げていくことが出来たということのようです。

 言語が、生まれつき持っている器官であるという説は、初めて聞いたときは、びっくりしたのですが、調べてみると十分に納得できるものであり、現在では主流になりつつあるようです。
 これから、この言語を操る機能が、人類の進化の過程で、いつどのように形成されたのか、追求していきたいと考えています。

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comments

>ホモ・エレクトスやその子孫たちも、言語をマスターする前に手を使ったコミュニケーションをマスターしていた可能性がある。

というのは、サルも表情や身振り・手振りでコミュニケーション(共認形成)していたので、その延長での話しなのか、「生得的な器官」ができるまで完成(マスター)されていたのか、が分りにくかったです。

身振り・手振りでは足りないので、言葉が(文法も)発明されたと思われるのですが…。だとすると手話もサルの身振り・手振りとは異なり、本質的に“言葉”だということになります。

考えさせられ面白かったです。続きを楽しみにしています。

  • 大杉
  • 2009年07月16日 21:41

>人間の精神は何としても情報を共有しようとする。

この言葉が印象的でした。

私たちの脳内に、言語を操る特定の箇所があるという仮説に違和感は感じません。それが、進化史のどこかの時期に、DNAレベルに刻印され、人類皆のものとなったのでしょう。生まれながらに持っているというのは、そういういことだと理解しました。

だとすると、言語機能を獲得する以前に、私たちの脳は「何としても情報を共有しようとする。」性質を持っていたことになりませんか?
そのような強い動機づけ、すなわち、情報共有しなければ生きていけない外圧が、常にかつ長い間、作用していたということだと考えます。

  • hayabusa
  • 2009年07月17日 18:12

大杉さん、コメントありがとうございます。
>サルも表情や身振り・手振りでコミュニケーション(共認形成)していたので、その延長での話しなのか、「生得的な器官」ができるまで完成(マスター)されていたのか、が分りにくかったです。
>考えさせられ面白かったです。続きを楽しみにしています。

最近、図書館で『言葉は身振りから進化した』という本を見つけて借りてきたので、言葉と身振りとの関係が判ったら続きを投稿する予定ですのでよろしく。

  • Tama
  • 2009年07月18日 21:48

hayabusa さん、こんにちは。

>だとすると、言語機能を獲得する以前に、私たちの脳は「何としても情報を共有しようとする。」性質を持っていたことになりませんか?
>そのような強い動機づけ、すなわち、情報共有しなければ生きていけない外圧が、常にかつ長い間、作用していたということだと考えます。

 そうですね。サルは共認機能は発達しているのに、言葉の獲得に到らなかったのは、外圧の強さが圧倒的に違ってたということでしょうね。
 

  • Tama
  • 2009年07月18日 21:57
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