2009年09月30日
本格追求シリーズ1 人類の”性”の本質を探る<プロローグ>
当ブログは、ブログ名の通り、共同体社会の社会構造や婚姻様式について追求してきました。
画像はこちらからいだたきました。
これまで様々な視点から追求を行ってきましたが、社会が大きく転換している今、更に視野を広げ、本格的な追求を進めて行きたいと考えています。(先日からスタートした、「人類の起源」シリーズもその一つです。)
そこでまずは、本ブログの開設、共同体社会・婚姻史の追及をスタートした問題意識について、改めて整理・紹介したいと思います。
中身に入る前に、応援の一押しお願い致します 😛
■問題意識⇒新シリーズ課題設定
いま市場は行き詰まり、多くの経営者が先を読めないでいる。
経営者だけではない。政治家も、官僚も、学者も、マスコミも、これまでこの社会を統合する役割を担ってきた者たちの誰一人として、明確な変革の方向を打ち出せないでいる。なぜか?それは時代が、これまで彼らのやってきた小手先の改革で済むようなレベルを遥かに超えた、根本的な変革を必要としているからである。
実現論 序 ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止
環境破壊・肉体破壊・精神破壊は、その何れもが人類にとって致命的な問題であり、かつその何れもがもはや猶予ならない局面を迎えている。言うまでもなくこれらの問題は、小手先の対策で解決する様な問題ではない。この問題を解決する為には、まず徹底した原因分析が必要である。だが、人類滅亡の危機を真正面から捉え、真剣にその原因を分析し、突破口を提示しようとしている人はごく少数である。
実現論 序 ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止
いったい、人類はどこで道を誤ったのか?
それを突きとめる為には、人類の始源(必要ならサル時代や哺乳類)にまで遡って、個体や集団や社会の存在(or 成立)構造を解明する必要がある。人類の原基構造を解明できれば、その構造のどこが不変部分でどこが可変部分かを知ることが出来る。そして現代社会の諸問題(諸欠陥)と突き合わせれば、どこが変えてはならない部分でどこが変えるべき部分かを突きとめる事が出来る。つまり、その構造体のどこをどう変えれば良いかの答えを導き出す事が出来る。とりわけ、当面する市場の背後に潜む性市場や性闘争は、理論的には全く未明の領域である。古代から現代に至るまで、思想家は誰一人(社会構造上の最基底の対象として)「性」や「女」を、まともな追求対象にしてこなかった。それは彼らが、男支配の社会に何も疑問も感じていなかったことを証明している。従って性や女については、殆ど何も理論化されていない。それ故に、その解明は困難を極めることになるし、解明してゆけばゆくほどその認識は余りにも新し過ぎて現代の価値観とは決定的に対立するので、なかなか受け入れられないかも知れない。だが、その認識=摂理がいかに現代の価値観からかけ離れていようとも、摂理=事実は変わらない。人間は、決して自然を超えることはできない。だから、自然の摂理をできる限り解き明かし、そこから学び取らなければならない。自然の摂理を無視し、踏みにじってきた張本人が現代の価値観であり、その結果が滅亡なのだから。
実現論 序 ハ.人類はどこで道を誤ったのか?
国家、企業、家庭、どの位相で現在社会を見ても、そこには様々な問題が存在し、行き詰まりを見せています。
男女関係でも同様で、恋愛の短期化や複数化、セックスレスの蔓延や最近の草食男子に見られる性欠乏の衰弱など、近年「性」が急速に行き詰まりつつあるのは、誰もが実感するところでしょう。
環境破壊・肉体破壊・精神破壊に加えて、社会の根源を成し、次代に生命を繋ぐ「性の衰弱」も進んでいる。
この状況はまさに、「人類滅亡の危機」と言っても、決して過言ではありません。
この滅亡の危機を突破するには、実現論に示されているように、人類の「性」や「集団」の原基構造を解明し、不変部分と可変部分を突きとめていく必要があります。
当ブログは、このような問題意識に基づき、未開部族の研究考察や調査、各民族の伝承や歴史的記録などを元に共同体社会の社会構造と婚姻様式を追及してきました。
しかし、とりわけここ数年急速に進んでいる「性の衰弱」の問題を突破していくには、婚姻史の追及から更に一歩踏み込んで、人類にとっての「性の本質」を探る追求が必要であると、今、感じています。
人類にとっての「性の本質」を探ることで、改めて様々な婚姻様式の本質、人類婚姻史の本質も見えて来るはず。
そうすれば、そこから現在の「性の衰弱」問題を突破する答えを見出せて行ける。
そのように考えています。
そこで「本格追求シリーズ1 人類の”性”の本質を探る」と題して、本ブログの会員の方々と共に、人類の「性」に関して様々な角度から徹底追求して行きたいと思います。
■追求のポイント
「性」は元々、生物に備わった本能的な「機能」であり、「欠乏」であると言うことが出来ますが、人類の「性」は(誰もが実感するように)本能的な次元を超えたものです。
例えば、動物には「発情期」が存在するのに対し、人類は年中発情が可能であること。
正常位を行うのは、人類だけであること、人類の性器は、最も人類に近い類人猿と比較しても、非常に特異な特色を有していることなど、単純に「機能」としての「性」を見てみても、人類の「性」は非常に特殊です。
また人類の「性」の充足は「心」の充足と一体であり、単なる肉体的接触を超えて「性」の充足は看取できることなど、心=共認機能と「性」の関係性は、人類の「性の本質」を考える上で非常に重要になります。
加えて、様々な「制度」や「規範」によって、欠乏も含めて人類の「性」はコントロールされる(正確に言えば、本能上の欠乏も含めた個人の意識が統合される)こと、そして、「制度」や「規範」によって、集団の「性」の在り方=婚姻様式まで統合できる、だからこそ、「制度」や「規範」の組み換えによって、外圧状況に応じて様々な「婚姻様式」を生み出すことが出来たなど、社会や集団の「制度」「規範」と「性」の関係性も重要です。
そこで、以下のように論点を整理して、追求を進めて行きたいと思います。
1.生物にとっての「性」とは?
2.人類にとっての「性」とは?
3.人類の性欲構造の特殊性
4.人類の性機能の特殊性
5.人類の性と集団統合
本シリーズは、今後1週に1記事のペースで、2~3ヶ月かけて追求していく予定ですので、期待して下さい!
- posted by crz2316 at : 2009年09月30日 | コメント (5件)| トラックバック (0)
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comments
遊牧部族では、女性が結婚する時に羊=持参財を持って嫁入りしました。この父系制も「集団統合課題として婚姻規範」に他なりません。
ところが、略奪闘争を経て、本源集団がことごとく解体され、都市国家が成立すると、(現在のように)男の方から女の人に結納金=婚資を払って嫁入りするようにように変わっています。
言い換えれば、私有婚の成立とは、「男がお金の力で女の人を買い取る制度」「個人の私権課題としての婚姻」の始まりと言えそうです。
生殖過程を集団内でどう考えるかが、集団統合に大きく係わることがよくわかりました。
これからの社会を考える上で、現在様々な問題を抱える婚姻制度を、改めて再考する必要性を改めて感じました。
さいこうさん、いつもコメントありがとうございます。
>遊牧部族では、女性が結婚する時に羊=持参財を持って嫁入りしました。この父系制も「集団統合課題として婚姻規範」に他なりません。
>ところが、略奪闘争を経て、本源集団がことごとく解体され、都市国家が成立すると、(現在のように)男の方から女の人に結納金=婚資を払って嫁入りするようにように変わっています。
「婚姻の時、女性が持参財を持っていくか、男が結納金を払うか」、違いの源は、外圧が高くて女が闘争上の足手まといになるか、外圧が緩んで解脱収束しているかでしょうか?
マニマックさん、こんにちは。
>これからの社会を考える上で、現在様々な問題を抱える婚姻制度を、改めて再考する必要性を改めて感じました。
現在の家庭は貧困の圧力に適応してきた集団ですから、豊かさが実現した現在、新しい男女間の課題共認、役割共認の形成が必要なのだと思います。
共同体社会と人類婚姻史 | 遊牧部族の父系制社会から私有婚誕生までの歴史構造-5<私有婚家族の成立と土地の私有>
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