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2011年03月22日

西欧だけが性を罪悪ととらえる文化であるのはなぜか?(2)

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前回の記事(西欧だけが性を罪悪ととらえる文化であるのはなぜか?(1))で現代西欧の「女性恐怖と快楽敵視の思想」とローマ時代の「快楽重視の思想」との大きな違いがあり、普通に考えても西欧文化の出自が古代ギリシャ・ローマにあるとするには無理がある事が解りました。
そして「女性恐怖と快楽敵視の思想」がキリスト教の影響ではなく、元々あった価値観がキリスト教の教義を変えさせた可能性についても紹介しました。
では、現代西欧の文化・価値観はどこで作られたのでしょうか。今回はローマ帝国崩壊後の空白の200年間に焦点を当てて、検証していきたいと思います。  



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女性恐怖のドイツ的起源-ヨーロッパ文化史の再構築に向けて- 越智和弘氏 より引用

Ⅲ.だれもが思い出したくない空白の二百年
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今日あるヨーロッパ文明の起源が、古代ギリシア・ローマ以前ではなく、もっと近い過去に存在する可能性を、ドイツの歴史家セバスチャン・ハフナーは指摘している。
彼は、ローマ帝国崩壊後の五世紀から七世紀にかけての時代にヨーロッパに起きた真実が、現代の人びとにほとんど伝わっていない事実に着目する。そしてその理由が、その時代に起きた本当のことを「おそらく誰も思い出したくなかった、もしくは後世に思い出させたくなかったからだろう」と推察しているのである。
どうして思い出したくないのかを探りだすのは、さほど難しいことではない。それは、現代にいたるまで国家、法律、軍事の面で西洋の規範をなしているといっても過言でないローマ帝国が、以上の二世紀あまりの期間に、文明のレベルからすればローマの足元にもおよばないゲルマン人によって破壊し尽くされただけでなく、この野蛮な勢力によって西ヨーロッパ全土、いや北アフリカまでもが席巻されるなかから、今日につながるヨーロッパの新たな秩序が誕生したからである。
ゲルマン人による殺戮に次ぐ殺戮の想像を絶する大混乱の中から、今日あるイタリアも、フランスも、スペインも、そしてイギリスも、まぎれもなくゲルマン人の王が支配する王国として誕生したのである。
これらの地域からゲルマン人がなんらかの理由で撤退するか追いだされ別の民族に取って代わられた事実は、唯一北アフリカから侵攻したイスラム系ムーア人によって、今日のスペイン地域を支配していた西ゴート王国が八世紀初頭に滅ぼされたことを除けば、まったくない。
国民国家を前提とする価値が浸透した今日的観点からすれば、ヨーロッパ全土がゲルマン人の支配下におかれるなかから、今日につながるヨーロッパ文明が生まれた事実は、一般にはできれば認めたくないものであろう。
とりわけドイツ人が二〇世紀にはいって二度も世界戦争を引き起こした悪夢を経たあとの現代おいて、この事実は居心地の悪い不名誉としか思えない。
だからこそヨーロッパ人は、自分たちの優れた文化を語る際、とかくゲルマン的秩序が支配していた中世を「暗黒の時代」と呼びあまり触れたがらず、古代ギリシア・ローマからあたかもルネサンスを経て近代が生まれたかのごとく語りたがるのだろう。
しかしこの二世紀あまりに起きたことは、いまや世界を隅々にまで塗り固めんとする資本主義の発生源を見いだすうえでは、きわめて重要な意味をもつと言わざるをえない。
なぜなら、〈世界全体を狩猟区とみなす戦闘性〉と〈女性恐怖と快楽敵視を旨とする禁欲〉という二つの要素から成り立つことがますますはっきりしつつある現代の資本主義は、逆にいえば、これら二つの要素を何にもまして重要視する民族のなかからしか生まれ得なかったはずだからである。
すでにみたように、地中海文明に属する古代ギリシアやローマ人には、戦闘性という要素に関してはある程度備わっていただろうが、第二の要素である性的快楽を憎み嫌う精神となると、それを、文明を築くための絶対条件とみなしていた証拠はどこにも見いだせない。むしろ逆に、すでにみたように、民衆に心地良さとスペクタクルを提供することを、きわめて重要なものと考えていたとみなさざるをえないのである。
ローマ帝国崩壊後、ヨーロッパ文明の担い手が、狂暴なまでに戦闘的であると同時に快楽を極端に忌み嫌う、ローマ人とはまったく別種の民族に取って代わられたことを知ることから、ヨーロッパ文化史を初めて整合性のあるものとして把握しうる道が開ける。
ちょうど日本でいえば、聖徳太子の大化の改新によって天皇を中心とした中央集権的な律令制度がそろそろ整いはじめる時期に、ヨーロッパでは、高度なレベルに達していたローマ文明がいちどすっかり破壊尽くされ、すべてをゼロからリセットするかのごとく、まったく価値の異なる人種による支配がはじまったのである。
しかしこの新たな支配者たちは、石の家をひとつ建てる知識もノウハウも持ち合わせていなかった。ヨーロッパの支配権を確立したとたんに彼らが行ったことは、かろうじてローマの高度な文化やテクノロジーの継承者として生き残ったキリスト教の修道士や司祭を自分たちの側につけることと、自らの野蛮な出自を消し去らんとするかのごとく、ローマの継承者を名乗ることであった。
それはちょうど、人類の文明が廃墟と化した理由を探ることをタブー視し、まるで最初から自分たちが高度な文明の担い手であったかのごとく地球を支配する猿の世界を描き出した SF映画『猿の惑星』と、どこか似通った現象である。
~以下省略~

以上のようにローマ帝国崩壊後の空白の200年間にローマの高度な文化は継承されず、ゲルマン人によってすべてリセットされ、野蛮で文化レベルの低い状態になった事が解りました。
ここが西欧文化の原点なのは明らかですが、野蛮な出自を隠すように未だ古代ギリシャ・ローマが西欧文化の出自のように語られています。
では、「女性恐怖と快楽敵視の思想」はどのように形作られ、現代に伝えられていったのか、次回3回目はそこを検証したいと思います。

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やっと念仏宗が日本でのみ流行った訳が判りました。
仏教が日本では、念仏が中心になったのは、教えの救いよりも、歌と踊りの一体感を大衆が望んだから。
つまり、念仏とは皆で歌って一体感を味わう充足の場だったのですね。

  • tama
  • 2012年1月8日 21:21

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