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2012年01月28日

【人類婚姻史を構造化する】7 北方狩猟部族の勇士婚 ~洞窟から出た人類が集団に期待したもの~

 人類婚姻史を構造化するシリーズ第7回です。今回は、北方狩猟部族の統合様式=婚姻様式を当時の外圧状況から集団の最大期待は何だったのか?を軸に追求していきます。

映画「10,000BC」より。画像はこちらからお借りしました。
 その前に、まずはこれまでのおさらいから。
 前回は、「人類の婚姻様式を規定するのは、みんなの最大期待⇒集団や社会の統合軸である。」という観点から主に「極限時代→採取→農耕」に至る部族の婚姻形態を扱いました。
 そこでのポイントは、集団対集団の婚姻様式から個人対個人の婚姻様式になったものの、私権時代のような固定一対婚にはならなかったこと。これは、採集部族集団は男・女集団はそれぞれ解体しても、集団の安定という集団期待が根底にある為、私権でしか統合できない私権時代の固定一対婚とは集団の統合様式が全く異なっているからです。
 それでは、これから今回の本題である北方狩猟部族の婚姻様式をレポートしていきます。
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 それでは本題に入ります。今回追求するのはココです。

 人類が狩猟生活を始める前段階は、霊感能力の最も高い婆さんがリーダーとなり、みんなが充足する統合様式(婚姻様式)である「チャネリングセックス」を土台にした全員婚(共時婚)であったと考えられます。安全な楽園だった樹上世界から落ちた人類は、極限的な自然外圧下でまさに生きるか死ぬかの限界状況であり、その中での集団の最大期待は、全員の充足だったからです。
 極限時代の人類は「狩られる」存在でした。(リンク

 化石などの古生物学、考古学の証拠から、「初期人類もヒヒのような霊長類も、古代の捕食者に習慣的に食べられていた」ことが、明らかになりつつある。
 剣歯ネコや剣歯ネコモドキ、ハンティングハイエナ、プチハイエナ、ヒョウなどが食べた獲物の残骸が遺跡群となって残っているが、その中から初期人類の猿人:パラントロプス・ロブストスもヒヒも見つかっている。
 この南アフリカで見つかった化石証拠は、100万~200万年の間にヒョウが初期人類とヒヒを大規模に捕食していたことを示していると考えられる。
 南アフリカの洞窟で発見された初期人類の頭骨化石の一つには、一対の穴があいていた。その穴は、直径約2cmほどの丸い穴で、その間隔は10cm弱。この頭骨にあいた二つの穴と古代ネコの下あごにある巨大な二本の牙がぴったり一致した。


映画「10,000BC」より。画像は同じくこちらからお借りしました。
 このような極限の外圧下で、人類は仲間同士の性や踊りの充足により狩られる恐怖を克服し、洞窟を出て食料を探しにいったのでしょう。その頃の人類は他の獣の食べ残しである屍肉や骨(骨髄)をあさっていたと考えられています。
 
 そんな極限時代の人類の外圧が一変することが起こります。「弓矢」の発明です。これにより「防衛力」は一気に上昇し、自然外圧が緩みます。人類は「狩られる」存在から「狩る」存在に変わったのです。

画像はこちらからお借りしました。
◎全員婚(共時婚)から勇士婚(上位集中婚)へ
 弓矢の発明(=外圧低下)以降、1万~7千年前まで、北アジア、北米、中欧は寒冷なツンドラ~針葉樹林地帯であり、採集に向いた広葉樹林が皆無であったため、必然的に狩猟生活を営むこととなります。
全員が揃って同じ作業を行う採取と違い、狩りでは統率されたリーダーの下で各自が役割分担に応じた行動をとる必要があります。結果として、成員に能力ヒエラルキーが生じてきます。
 そこから集団の最大期待の中身は極限時代「全員で充足しつつ自然外圧に立ち向かうこと」から「闘争力のある首雄を中心としてナワバリ(安全域)を確保し、獲物を確保すること。」に変化していったものと思われます。そうした中で雌の期待応望の対象が集団の中の雄全員から首雄に集中するようになったと考えられます。ひょっとしたらこの時点から、人類(狩猟部族)は「チャネリングセックス」を行うことが無くなったかも知れません。
◎勇士婿入婚(女集団婚=一夫多姉妹婚)
 集団の最大期待の中身が「ナワバリ(集団の安定)確保と食料(獲物)の確保」となった後、7千年前あたりから、地球の温暖化が進みます。ますます外圧が低下していく中、獲物の確保容易になり、集団規模は拡大していきます。そんな中で、集団の分割の必要と、首雄以外でも期待に応えることが可能になったことから、母系集団に一定の能力のある雄が婿入りする「勇士婿入婚」に変化していきます。 その場合、婿入りする勇士を選ぶのは母系集団のリーダーである女長老の役割であったと考えられます
「マサイ族の勇士婚の事例」(リンク

 戦闘能力を持つ少年がある一定の数に達すると、長老たちによって割礼式の挙行が決定され、各地域から集まった少年たちは、儀式用の小屋で4日間踊りを踊り、最後に牛が屠殺される。この期間中に選任される入社組(エイジグループ)長は、以降入社組を指導する役目を担い、同輩に対して強い拘束力を持つ。
 1~2年後、第二の儀礼として、素手で去勢牛の角を掴み、引き倒して力を誇示する儀礼を行った後、自分たちの集落に戻って実際の割礼を受ける。その後剃髪の儀礼を契機に、”下級青年”になり、槍と楯の携帯を許される。
 下級青年たちは、青年村と呼ばれる新しい集落で、外敵から土地を守る自衛戦士として何年かを過ごす。次世代の者にその役割を引き継ぐ時期になると、”青年昇級式”が行われ、この儀式で選任される”植樹役”が、入社組の同輩を代表して最初に結婚する役割を担う。儀礼の最後に植樹役が妻にする女を選ぶが、別の男と既に婚約している等の婚姻上の諸慣習は無視される。以降、同輩達の結婚も正式に許可され、飲乳式の儀式を経て、制度上は長老の身分となる。

 婚姻制度は一夫多妻。女性は結婚に際して割礼を受ける。氏族内通婚は禁止。他民族との通婚は、男性のみ許される。第一夫人を迎える手続きは・・・、男が見初めると、首飾りを贈り、娘の両親に結婚の意思表明として少量の蜂蜜を送った後に、大量の蜂蜜と牛乳を送る。結婚の申し入れが受け入れられると、男は娘の両親に心付けの品物を贈り、式の当日、2頭の牝牛と1頭の去勢牛、2頭の牝牛と1頭の子羊、1頭の牝山羊を婚資として持ってくる。正式な手続きをふんだ結婚では、妻側の離婚要求は認められず、話し合いによって離婚成立の場合も、妻は婚資の牛や羊を返却する。

◎兵士婚(母系個人婚)
 マサイの事例では、婚姻に際し婚資が発生しています。勇士の資格も「去勢牛の角を掴んで引き倒す。」という儀礼的なものになっています(昔は「槍1本でライオンを仕留めてくる。」と聞いたこともありますが、今はそんなことも無いようです)。一夫多妻とはいえ、どちらかというと兵士婚に近いと思われます。兵士婚の婚資とは「獲物の確保」という期待の中身が、外圧の更なる低下で「弓矢で獲物を狩ってくる」闘争能力から、どのような方法にせよ「現物(食料)」を提供することが出来れば良いとなった結果なのではないでしょうか
「ヘアー・インディアンの婚姻様式の事例」

 カナダ北西でウサギの罠猟を営むヘヤー・インディアンでは、能力に応じた一夫多妻(姉妹が多い)の婚姻制をとっており、男が父や叔父に求婚交渉してもらう。しかし、男女とも婚前は自由で、婚後も5~8人の相手を持ち、離婚も自由に行われている。者に対する「使用者」という意識はあるが「私有意識」は無く、ソリやテント等の用具の大部分は共有で、食料や所有物の貸し借りには気前よく応じ、返却も気にしない。二人用のテントで生活しているが、家族は同居するものという観念はきわめて薄い。婚資と家族の公認ということ意外に「結婚」の存在理が見当たらない。

 
 ヘアー・インディアンの事例の「能力に応じた一夫多妻」とは、多くの獲物(ウサギ)を獲れる者がその皮をなめすのに必要な複数妻を娶るということで、妻が一人というケースも多く、個人婚の形態に近いものです。但し、1対1であっても現代で考えられるような生涯固定という規範も無く、集団内で緩く結びついているイメージです。一夫多妻の場合には姉妹が多いというのは母系集団が残存しているということでしょうか。
※ここで一つ疑問となるのが、勇士婿入婚→兵士婚の段階では、集団の分割基準は「母系か父系か?」ということです。普通に考えれば勇士婿入婚(女集団婚=一夫多姉妹婚)から期待の中身は(レベルの差こそあれ)変わらないのですから、兵士婚も姉妹がバラバラに嫁ぐとはいえ母系集団を基本とする個人婚になるはずです。実際、ヘアー・インディアンは一夫多姉妹婚と個人婚の中間のような形態で母系のようですが、マサイ族は事例紹介からははっきりと分かりません。また、植樹役の婚姻に対しては、他の男との婚約等の諸習慣は無視されるなど、現代の父系・固定一対婚の習慣とはまだ開きがあります。
 次回からは更に、狩猟部族以降の人類(牧畜、遊牧部族)の婚姻形態を探りながら、母系から父系に転換していったきっかけや、固定一対婚にいたる経緯当を調べていきます。 

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