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2012年05月22日

【世界の神話から見える男女の性】-5~古代インド神話の源流を探る~

各地の「神話」から民族固有の集団特性、男女関係の特性を見るシリーズ、今回はインダス文明から古代インド神話の源流を取り上げてみます。
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画像はコチラからお借りしました。
一般的にインド神話とはバラモン教、ヒンドゥー教に伝わるアーリア人が侵攻して以降の神話を指しますが、今回はその更に源流を追求し、古代インドの婚姻様式を探っていきたいと思います。
続きを行く前にいつものヤツお願いします

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ありがとうございます
まずはいきなり古代に行く前に現在のインドの婚姻制とその歴史的背景から押さえていきたいと思います
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画像はコチラからお借りしました。
現在のインドの婚姻制とその歴史的な背景を共同体社会と人類婚姻史~インドの婚姻制度と共同体 1/2より引用します。

憲法上はとうの昔に廃止されているのに、現在でも職業、結婚とすべての面でカースト制度が大きな影響を及ぼしている。
結婚は同じカースト内でするものであり、その相手は親が探す。
インド人の結婚は、親の承諾なくしてはあり得ない。
子供としても、親が決めた相手なら間違いはないという安心もあるのだろう。
大都市では最近、自由恋愛の末に結婚というパターンが見られるようになってきたというが、まだまだ少数派である。

現在のインドの婚姻制度はアーリア人が作ったカースト制度と言われる身分制度が廃止されて以降も色濃く残り、決められた身分序列の中での婚姻が定められているようです
続いて、インダス文明の起こりから歴史的背景を見ていきましょう
インダス川流域を中心に、BC2300年~2000年頃に栄えたのがインダス文明です。
BC3500年頃に西アジアから移住してきたドラヴィダ人による文明と言われています。
地方のハラッパー地方のモヘンジョダロの遺跡が有名、大きな都市でした。西のメソポタミアと交流していたようで、BC1800年に文明は急速に衰退し、アーリア人に滅ぼされたとの説があります。
アーリア人達はドラヴィダ人達を支配下に置くが、農耕民である彼らと共存関係になり、当初の牧畜生活から農耕生活へ移行したようです。BC1000年頃からアーリア人たちは、インダス川上流から東に進出ガンジス文明を育てていきました。
それでは本題、バラモン教、ヒンドゥー教に伝わる一般的なインド神話の更に源流を追求していきます。
以下女神の時代 地母神信仰より引用します。

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ミーナークシー:「魚の目を持つ女神」とされ、 南インドのマドゥライという場所あたりでとても信仰されていた 土着の女神。
 古代の神々の最高神は女神で、地母神信仰が盛んだった。古代社会では母親が主な親であり、大地と母は命を生み出す事から同一視されていた。やがてゼウスのような男性の天候神が力をもつようになり、血を血で洗う男性神による都市の侵略がおこり、相手を皆殺しにするような凄惨な戦いが始まった。
 インドでも同じようにガンジス川をあらわすガンガーは女神の名である。弁財天のサラスヴァティーも元は川の女神の名である。インドでは、アーリア異民族が侵入してきて、ドラヴィダ文明の土着の女神は服従させられた。土着の女神は異民族の守護神の妻になり神々は混交したのである。インド先住民のドラヴィダ人が追いやられた、南インドでは村の神のほとんどは女神である。
 斎藤昭俊著『インドの民族宗教』によると南インド・タミルナドゥの女神で人気があるのはマリアンマで天然痘の女神だ。天然痘の女神の名はシータラーだが、村によって名前が異なるので異名が多い。彼女は執念深く冷酷だ。怖そうだが天然痘の女神の霊力は強そうである。その下に男性神アイエナルがいて、南インドでは男神は女神の従神になっている。コレラの女神はオライチャンディ、またはオララビと呼ばれタミルナドゥではピダーリとよばれカーリー女神はここでは悪霊から村人を守るコレラの守護神だ。
南インドの母系社会
 今でも地母神信仰の名残りが色濃く残っている地域が南インドだ。北インドでは妻の座は一番低い位置に置かれているが古代の母系社会の伝統を受け継いでいる南インドでは妻の座は高い。面白いのは結婚した女性はスマンガリーと呼ばれて縁起が良いとされることだ。子供の試験、旦那の大事な取引があるときは母親が縁起を担いで先に門をくぐる。
逆に縁起が悪いのは一人で歩いて来る男のバラモンである。縁起が悪いバラモンに遭ったときは家に引き返し出直すのだという。バラモンが奥さんを連れて歩いている場合は女性の吉性のお陰で男の凶は帳消しになる。
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ムルガン:「神聖な子供」という意味でもともとはドラヴィダ人が信仰する土着的な山の神だった。現在も南インドのタミルナードゥ州などで盛んに信仰されている。
 南インド、タミルナドゥーではチャダングと呼ばれる初潮の儀式がある。父系社会の北インドでは女性の地位が低いのでお祝いするどころか嫌われて隠されるが母系社会の伝統がのこっている南インドでは逆にお披露目をする。南インドでは経血が流れることで女性の体がきれいになると考えるので初潮祝いをする。同じように儀式で動物の血を流すのは神聖な寺院を清浄にすることも意味している。
 南インド、ケーララ州のナーヤル・カーストでは今世紀初頭まで母系社会だった所として知られている。ここでは初潮の儀式の時だけ儀礼上の花婿と3日間だけ一つの部屋ですごし、それ以降は夫婦関係を解消し、少女は成人女性として認知されアンマ(母の意)とよばれる。
 初潮を迎えると3~8人くらいの複数の通いの夫をむかえ、この妻問い婚のことをサンバンダムとよぶ。夫になる男性は親族とともに女性の家にいき布をおくる儀式を済ませたあと夕食後に妻を訪ね翌日の朝食前には妻から去るのが夫の習わしだったようだ。他の夫とバッティングしないようにそのさい部屋の前に武器を置いた。そうすれば後から来た夫に先客がいることを知らせることが出来たわけだ。
 ナーヤル・カーストではそのためカーラナヴァンという族長を頭にした大家族だった。そしてその族長は叔父から甥に受け継げられた。族長の子供は受け継げられずにその大家族の中に消えてしまうのである。
 インドのヒンドゥー教は、男神が優位で女神が下位だ。インドに侵入してきたアーリア人の神が戦う男性神で、先住民の神が女神であることと符合する。先住民のドラヴィタ人の子孫が住む南インドでの村神はほとんどが女神で、男性神は女神の命令を伝える役目にしか過ぎない。南インドでは、アーリア人が侵入する前の古代の女神信仰が、色濃く残っていたが、イギリスにインドが支配された19世紀後半には市場経済や西洋近代社会の教育が入り込み母系社会は徐々に崩壊し父権社会にとって変わっていった。
(中略)
古代の性生活
 インドのデカン高原の部族にも最近まで古代の慣習があった。結婚前の部族の若者は男女すべて交わり、その中から気のあった者たちが結婚するので、みな別れる事なく仲良く暮らしたという。

<まとめ>
※インダス文明、ドラヴィダ人の神話は地母神、女神が最高神であり、戦いを表す男性神は女神の従神とされていた事から日本と同じ母系社会であった。
※古代インド先住民のドラヴィダ人が追いやられた南インドではほとんどの村神は今でも女神で、つい最近まで母系社会が残っていた。
※古代インドが地母神、女神信仰が強かったが、アーリア人の侵攻によりドラヴィダ人の土着の女神は、アーリア人の守護神の妻として取り込まれていった。一方でドラヴィダ人の土着の女神は性に対して大らかであった為、性を否定していたアーリア人の守護神信仰も次第に性に対して大らかになっていった。(ex. インドでは、シヴァをお祀りしている寺では「リンガ(男根)」をご本尊として、 この石の棒にミルクやお水をかけて清め、一心不乱にお祈りいたします。古代インドの性典~カーマ・スートラリンク)

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