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2012年05月30日

日本婚姻史に学ぶ共同体のカタチ シリーズ2 ③「万物を対象に磨かれ続けた応合意識」

前回は、縄文時代以前の人類史99.9パーセントをしめる極限時代の人類(男女)のありようを考察しました。
前回の記事を引用すると、

極限時代の始原人類は、集団内の最大期待であった生存期待を充足期待さらには精霊期待へと上昇させてきました。そしてその期待に応えるべく唯一残された共認機能を先鋭化させ、その結果自然等の現実世界の背後に精霊(法則)を見、自然外圧に適応することができました。これらが実現できたのも、より共認機能を高め精霊を見た女たちと、女たちを充足に導く男たちが互いに同化し合う過程があったのだと思います。この時代の男女の在り様とは、共認機能をチャネリング回路にまで発達させ充足を得る、云わば全員婚だったのでしょう。

このように、精霊回路を獲得し自然外圧に適応したことによって、ようやく洞窟を出ることが可能となったのです。
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森の中に棲む部族
画像はこちらからお借りしました。
今回の記事では、洞窟を出た人類の外圧、最大期待、生産様式、婚姻様式を押さえる中で、縄文時代のルーツを探ります。
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◆縄文人のルーツ
まず、そもそも日本人はどこから来たのでしょうか?
アフリカを出て東方に向かった人類は、5.5万年前にインドに達し(原モンゴロイド)、5.0万年前にはスンダランドに到達します(南方モンゴロイド)。
インドのインダス河流域にいた原モンゴロイドは、4.6万年前以降の寒冷・乾燥化→砂漠化に直面し、より湿潤な土地を目指して北東へ向かって移動、パミール高原→タリム盆地に到達します。彼らは、水を確保するために川沿いを移動し、湖岸の洞窟に居住しながら採取+小動物の狩猟で、かろうじて生き延びてきたと考えられます。
この北方へ進出したモンゴロイドは、4万年前の温暖期にはバルハシ湖からバイカル湖へと進出し、その後二万年前の寒冷期にもそこに留まり、北方適応します(北方モンゴロイド・Y染色体C3系統)。
このC3系統が、2.1万年前~1.8万年前の最終氷期極寒期に、樺太→北海道を通って、日本列島に流入します。
他方、スンダランドに進出していた南方モンゴロイドは、温暖湿潤な気候のため、大きな移動を起こすこともなく、スンダランドに定着します。この時期、南方に適応的な形質を強め、採集+漁労中心の生産様式で適応したと考えられます。しかし、1.4 万年前から6千年前の温暖期には、極地の氷床が溶け出したことでスンダランドの海没が始まり、南方モンゴロイドの拡散が始まります。その一部が海流に乗って日本列島に漂着します。(南方モンゴロイド・Y染色体C1系統)
また1.4万年前の温暖期に、Y染色体D祖型のモンゴロイドがスンダランドからモンゴル高原へと進出します。D系統の最大の特徴は、温帯地域の森林適応という点であり、木の実を主食とする採集生産であったと考えられます。その後、1.3~1.1万年前の極寒化に伴 い、一方では西回りにチベット方面へ、もう一方では東回りに南下し朝鮮半島を越えて日本へと流入します。前者は、チベット族(D1,D2)となり、後者は 縄文人(D2)となります。

縄文人の流入経路
以上が縄文人の主構成員になり、その比率は北方C3:南方C1:南方D2=1:1:5であり、縄文人の構成は南方が中心となります。
参考 モンゴロイドの歴史
20万~4万年前 スンダ・モンゴロイド、北方モンゴロイドの誕生
4万~1.3万年前 中央アジア・モンゴロイドの誕生と拡散
1.4万~1万年前 スンダ・モンゴロイドの拡散
日本人は、どこから来たのか?
◆自然のありのままを受け入れる生産様式
縄文人の気質とは何かを考えるとき、まず注目できるのは、狩猟(C3)・採集(D2)・漁労(C1)部族といった云はば、「自然のありのままを受け入れてきた部族」によって構成されている点です。これは、中央アジアやモンゴル高原等で発達した牧畜、遊牧など、生殖を人為的にコントロールする生産様式との違いとして見て取れます。
極限時代では、自然に対して応合回路を向け、万物の背後に応える対象=精霊をみました。直面する現実対象・自然の背後に精霊を見、物理法則や自然の摂理を見、事実認識を蓄積させることで生産様式を進化させてきました。
自然のありのままを受入れ、応合し、摂理に学ぶ。狩猟・採集・漁猟の生産様式は、そんな意識から初期に登場した生産様式だと思われます。(その点、生物原理の根幹である生殖を操作する牧畜や遊牧は、自然の摂理を操作(その果てが支配)する意識もあり、同化・応合からの変化が垣間見えます。)
◆縄文気質の土台となる、漁労・採集(南方系)の特質
次に、注目すべきは、縄文人の中心を占めているのは、漁労・採集(南方系)である点です。狩猟(北方系)と漁労・採集(南方系)を分かつ特質とは何なのでしょうか。現在の狩猟部族のシャーマンと、漁労・採集部族のシャーマンの違いから、当時の南方系と北方系の違いを推察してみたいと思います。
現在見られるシャーマンには脱魂型憑依型の2つに大別されます。
脱魂型(マジカルフライト)とは、意識・霊魂を身体から解き放つことで、遥か遠くまで対象・果てには霊界を捉えるシャーマニズムであり、幻覚植物を使用することによってトランス状態に入ります。現在でもアメリカ大陸の狩猟民族(exインディアン)がそうです。
他方、憑依型とは精霊を自らの身体に憑依させ、精霊の言葉を発するシャーマニズムで、他者が乗り移ったような状態から憑依型と呼ばれます。主に、踊りや儀式を通じてトランス状態に入ります。採集や漁労が中心のアジア地域に多く、日本でもユタが憑依型シャーマンになります。
これら脱魂型憑依型にシャーマンの能力が分かれたのは何故でしょうか?
狩猟部族は、獲物をひたすら追いかけるという生産様式です。その移動経路はパミール高原~モンゴル高原~シベリアの往来・・、さらにはベーリング海峡を越えてアメリカ大陸へと、壮大なスケールの移動です。さらに、獲物は動物であるが故に自然外圧も高い。このような外圧状況のもとでは、方向感覚や広大な地理地形を頭に描くことが求められ、広範な対象化能力と闘争能力に秀でた男の脱魂型シャーマンが、集団の中心的存在に位置付けられます。
他方、漁労・採集部族は定住民族で移動はありません。そこで求められるシャーマンの力とは、採集であれば植物の変化、漁労であれば気候の変化(嵐の予知)など、自然の微細な変化を捉える能力が求められます。また狩猟と違って、採集や漁労は海女さんのように女でも可能な生産様式であり、同化能力にすぐれた女の憑依型シャーマンが集団の中心的存在に位置付けられます。
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集団で憑依状態になるユタ達
画像はこちらからお借りしました。
また、「性」に対しても同様に女の力が発揮されています。漁労中心のポリネシアやタヒチでは、集団内において性の充足が非常に追求されており、ポリネシアンセックスのような豊かでおおらかな性があります。これも、女たちの豊かな応合性がなせる業です。ポリネシアンセックスとはこちら
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ポリネシア地方の人達
画像はこちらからお借りしました。
このように南方系では、女の自然・集団に対する応合性が発揮され、その同化能力こそが集団の最大期待に応える力となっていたことが推察されます。この南方系の特質である、女の豊かな応合性、優れた同化能力は、そのまま縄文気質の土台となっていったと思われます。
◆応合意識を深めた採集部族
漁労部族と採集部族の中でも、より細かな特質を見てみると、その違いがありそうです。例えば細やかさ、勤勉さなどの日本人の特質は、漁労中心のポリネシア地方の人達と比較すると、より特徴的です。
漁労部族は、比較的豊かな地理的条件の中で、集団内の充足期待から大らかな性を発達させてきました。一方、森へと移動し、外圧が高まった採集部族では精霊回路を発達させて植物の背後に精霊を見、徹底的に自然に同化・応合していったと思われます。例えばそれは、植物を消化できる身体への変化や、八百万の神のように万物に精霊を見る意識世界などに現れています。自然を徹底的に同化し応合していく意識は、現在の日本人と特徴である、細やかさ、勤勉さなどにも通じているように思われます。
「精霊」とは「期待意識」でなく「応合意識」より引用します。

万物はまず、存在を認めて(or肯定視して)欲しいと思っている、そして、何かの(誰かの)役に立ちたいという思いを持っている」と始原人類は捉えていたのではないか・・・、例えば“火”であれば、「動物たちのように恐れるばかりではなく、あなたの役に立つように使ってください」と無言の期待をいつも人類に投げかけている、“火”に限らず全ての存在は「役立てて欲しい」という欠乏の主体であり、役に立つように使えないということは彼らの期待に背くことなんだ、だから何としても彼らの期待に応え切れるまで探索・追求を続けよう・・・、比喩的に表現するとこんな感じです。おそらく「万物の背後に精霊を見る」という境地は、決して期待一辺倒ではなく、むしろ徹頭徹尾『応合存在』という地平を切り拓いたと見る方が正しいと思います。

森へ移動した採集部族は、外圧の高まりによって精霊回路=応合回路が磨かれていきました。そのため、上記のような万物に対する徹底的な応合存在としての探索・追究が「役に立ちたい」という想い=期待に応える意識を強めていったのです。これが、日本人(縄文人)の工夫思考の根源となっています。この応合意識は、自然に対してだけではなく、もちろん集団の仲間にも向けられました。深い応合意識を基盤に皆で応え合う全員婚だったのでしょう。

◆まとめ◆
以上から縄文人の特質をまとめると、
① 極限時代から引継がれた自然への応合回路を土台に、
② そのなかでも特に女の応合性や同化能力を集団の中心的な力として発達させ、
③ さらには自然に対してもより深く同化するために精霊回路に磨きをかけていった
これが、縄文人を構成する主要な特質になっていたのではないかと思われます。

次回は、こんな縄文人が縄文時代にどのような集団・男女の在り様を形成していたかを追求したいと思います。

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