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2013年08月13日

【共同体の母胎は女性が生み出す充足空間】~8.まとめ:共認充足の再生

こんにちは。
今年の1月8日からスタートした【共同体の母胎は女性が生み出す充足空間】シリーズも、
今回で最終回となります。
これまでの記事
 0.新テーマプロローグ:本来の女子力とは?    
 1.充足力の始まり    
 2.共認充足が命綱(極限時代) 3. 充足空間をみんなで共有☆ 
 4.みんな期待・みんな充足に溢れていた日本    
 5.受難の時代(共同体みんなの充足空間が消失、自我独占の性が迷走)    
 6.新たな充足可能性を探索する 
  
前シリーズ【共同体社会の原点(集団)を追究する】では、
最終回に『集団を構成する本能・共認図解』を作成しましたが、
今回も図解作成に挑戦しました。

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 拡大画像はこちら 画像の確認
◆原猿~真猿(充足力の始まり) リンク 
“充足”という視点から人類史を遡ると、なんとその始まりは原猿の時代となります。
原猿以前の始原哺乳類の段階でも“充足”は存在していましたが、それは本能機能によるものです。これに対し、原猿段階が決定的に異なったのは、外敵ではなくサル同士の生存闘争=同類圧力に曝されるという、生物史上はじめて本能機能では適応できない外圧状況に直面したことであり、その外圧に適応するために新たに「共感(共認)機能」を獲得したことにあります。
原猿段階で共感機能を獲得したことにより、共感充足を伴う雌雄関係(生殖集団)が生物史上初めて実現しました。原猿段階では首雄の強い不全感にメスが応える形でオスメス同居(充足空間)が実現し、真猿段階になると性的存在(充足存在)に特化した雌が首雄の期待に徹底して応え充足空間を形成し、その生殖集団を中心にして雄たちの闘争集団を構築しました。
◆極限時代(共認充足が命綱) リンク 
サルから進化して人類が登場したのが約500万年前と言われています。
そして驚くべき事に500万年の大半の間、人類は洞窟を住処として暮らしていました。
それほど弱い存在だったからですが、今私たちに繋がっているのも奇跡としか考えられないですね。
その奇跡を実現したのが、極限状況の中での唯一の希望であった“共認充足”です。
サルの時代に獲得した“共認機能⇒共認充足”を命綱として、みんなで充足場をつくり出し、みんなで充足を分け合い、みんな充足を最大の活力源として500万年もの長い間を生き延びてきました。
共認充足の必要から相手の表情がよく見えるように二足歩行を始め、その歩行訓練から進化した踊りにより共認充足を深め、さらには性の充足感からチャネリングによるみんな充足の場を生み出しました。サル時代に性的存在(充足存在)に特化した女性は、みんな充足をつくり出す主役となって極限状況の人類を支え続けたのです。
◆海外の事例(充足空間をみんなで共有☆) リンク 
集団は、成員みんなの期待が収束することで統合され、みんなの期待は集団を貫通する外圧に規定されます。外圧の高い狩猟系部族では、みんな期待は狩の成果=闘争課題に収束し、一方外圧の低い採取系部族においては、みんなの期待はもっぱら充足課題に収束します。
ここでは、諸外国の主に南方採取系部族の事例を紹介しました。
どの集団にも共通することですが、性関係が実にオープンで日常課題であること、誰もが充足を共有し、それが集団の活力となっていることで、皆がつくりだす充足空間が集団の土台となっています。現在の私たちからすれば驚きの内容ではありますが、かつてはそれが当たり前のことだったんですね。
◆縄文~江戸時代(みんな期待・みんな充足に溢れていた日本) リンク
そのような集団はなにも南方系部族だけに限らず、実は日本も同じでした。
江戸時代までは、村落共同体における共認充足こそが成員の最大の期待であり、子育て、教育、婚姻、自治課題に至る全てが共認充足を土台として営まれていました。
昨今、閉塞した社会の突破口を探るべく江戸時代を振り返った研究などをよく見かけるようになりましたが、それこそが江戸時代までは共同体における充足空間が確かに存在していたことの証であり、実はそのような社会を多くの人が期待しているということではないでしょうか。
ところが明治時代からは状況が変わってきます。西洋文明の輸入による近代化、市場化による変化です。それまでの時代は、共認の鬼っ子である“自我”はみんな充足(による共認圧力)によって封印されていましたが、市場化による私権闘争によって「自分第一の“自我”」が全面的に開放されてしまいました。これによって共同体=充足空間の破壊が始まったのです。
◆明治時代~1990年代(受難の時代:共同体みんなの充足空間が消失、自我独占の性が迷走) リンク 
市場化による私権圧力に加え、自由・恋愛・個人といった近代思想によって私権欠乏が正当化され、市場拡大とともに近代化の波は村落共同体まで浸食しました。都市への人材流出、核家族化、自由恋愛が進み、ついには1970年・貧困の消滅をもって市場化に成功、つまり村落共同体は崩壊しました。
これは人類史上の大転換といえます。人類登場以来約500万年もの間築いてきた、共同体におけるみんなの充足空間が消滅し、個々人の自我が暴走するという状況を招いたからです。
自我の暴走は’70年・貧困消滅以降さらに加速しました。その象徴がバブル期の性の氾濫ですが、長続きはしませんでした。それもそのはず、“自我・独占の性”では真の充足は得られず、すでに80年代からはセックスレスが登場し、以降は不倫、草食化(肉食化)と、充足空間の無い“自我の性”は行く先を失い混迷しました。
江戸時代までは“自然の摂理に即した本源の充足”であったのに対し、明治以降(とりわけ’70年以降)は近代思想によって“美化・捏造された幻想の充足”であったと言えます。所詮は幻想だからこそ一気に膨らみ、あっという間に空中分解したわけですね。
◆今後の社会(新たな充足可能性を探索する) リンク 
‘70年、貧困の消滅を克服し、日本は“豊かな社会”を手に入れました。
しかしその実態は、自我の性の暴走=男女関係の混迷、家庭の崩壊、精神異常、経済不安、環境破壊など、先行きの見えない閉塞した社会でした。今なお状況は変わりませんが、意識化では大きな変化が現れ着実に進んでいます。
2001年には、答の見えない社会に対する“収束不全”が顕在化し、これに伴い現実の仕事場面や仲間関係などでの答えや充足を追求する潮流が現れました。「歴女」、「女子会」など、可能性収束に敏感な女子に顕著な変化が見えました。2007年リーマンショックでは資本主義の終焉も身近なものとなり“もはや遊んでいる場合ではない”と、遊び第一は完全に終焉し、課題収束に向かい始めます。
そして2011年東北大震災。統合階級の信用は完全に失墜し、事実の追求、自給志向の潮流が見られました。極めつけは2012年の衆院選挙。自民党大勝に不正選挙の匂いをかぎ取り、 “もはやお上にまかせてはいられない”、“自分たちが生きる場は自分たちで考え、作っていく”という自考志向が若者を中心に見られるようになりました。
これは大きな可能性基盤です。充足可能性に敏感な女子を中心に羅針盤となり、充足場をつくり、女子の期待に応えるように男子が答えを追求する。つまり、女子がつくる充足空間を土台に男子が闘争課題を担い勝っていく、という日本古来の本源的な充足空間が登場し始めました。実際、このような集団統合の手法を採り入れた企業は多く存在しており、現実の企業間競争においても勝っている集団です。今後はこのような企業集団の中から、男女の関係も見直され、みんな充足の期待とともに男女関係が再生される日も近いのでないかと思われます。
考えてみれば、世界の先進国の中で、みんな充足の空間がつい最近まで続いていたのは日本だけであり、それゆえに一時期の幻想に過ぎないバブルからもいち早く脱出し、現実課題にひたむきに取り組んでいます。このような日本(民族)だからこそ、市場主義を超えた新たな社会を現実の中に作っていけるのだと言えるのではないでしょうか。

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