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2016年03月10日

日本語の起源カタカムナ~現代日本語に残る、重要な<マ>という声音

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「日本語の起源カタカムナ~宇宙・万象のヒビキを表した四十八の声音」では、宇宙・万象のヒビキを表した四十八の声音が日本語(カタカナ)の起源であることを紹介した。
つまり、日本語の一音一音にはそれぞれの意味があり、カタカナも単なる表音文字ではない。ただの一音でも「言葉」であり、その組合せによって宇宙の万物万象を表す物理概念であると云ってもよい。
今回は、その中で重要な声音である<マ>の意味について紹介する。
以下、相似象学会誌『相似象』六号(1973年11月)より引用・要約したものです。
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現在の日本語の中に生きて居る、「重要な上古代語」<マ>について
日本人にとって、<マ>が、いかに大事なモノであるかを知らぬ者はない。
能や歌舞伎に於て、<マ>といふモノが、如何に重んじられるか?「マが合はぬ」とか「マがはづれる」とか「マが悪い」といふ事は、決して単なるタイミングとか、音楽的なリズム感や休止・間隔の問題ではない。
<マ>の重要性をわきまへぬ者は、日本では、人間としての基本的教養を欠いた者として、「マヌケ」扱ひをされたのである。
このように、<マ>といふ思念は、芸術や哲学的な意味ばかりでなく、日常生活の、はしばしにわたるまで、日本人の精神構造の上に、大きな支配的な影響をもつ、重要な上古代語から出て居たのである。

何と答へてよいかわからぬが、「丁度、それがその場に<ハマル>べきモノ」それが<マ>であり、一寸でもはづれると「マがぬける」のである。
ある時はリズムのような意味でもあるが、単なるリズムではない。どんなに楽符に正確に演奏しても、楽符に表はしきれぬ微妙なものがある、といふことは、西欧人でも知って居る。しかし、日本語は、それをズバリ<マ>と言ふのである。又、例へば絵を画く場合の「空間」も、話をする「呼吸」も、太刀を打ちこむ「スキ」も、<マ>である。そして、そのような<マ>の機微をつかむ能力を、「カン」と、日本人は言って来たのである。

<マ>といふ唯一音の声音は、「唇をもつ哺乳類」である人間にして、はじめて発声しうるものであるが、カタカムナの上古人は、これを、すべてのハジマリの、そしてすべての生命を生む、最も大事な<アマ>をさす言葉に当てたのである。「アマ」とはアまねき<マ>の意味である。また、日本人が、心から驚くときの表明でもある。(因みに西欧人も他の東洋人もマァ!とは言はない。)

マのつく日本語は実に多いが、無意識に使って居たそれらの言葉が、いづれもこの<マ>の思念を潜めて造語されて居たことに驚かされる。
マリ、イマ、タマ、マワリとか、ハジマリ、アツマリ、マトマリ、カタマリ等の自然法則(サダマリ)に由来する言葉をはじめ、
アマヒ(空間)、マトモ(真実)、マツリ、マゴコロ、マットウ、マジメ、マッスグとか、
マサに、マメに、マモル、マふ(舞)、マツ(待、先づ)、マタ(又・亦、未だ)
マす(増・益)、マかす(任)、マト(的)、マヘ(前)、マデ(迄)、マく(巻、負)、マネ(真似、招く)、マナぶ(学)とか、
アマリ、ウマリ、ツマリ、コマリ、セマリ、ナマリ、トマリ、キマリ、シマリ、タマリ、ハマリとか、
シマ(島・縞)、アンマ(按摩)、マンマ(幼児語)等々・・・・
あるひは「その方がマシだ」とか、マドロミ、マタタキ等といふのも面白い表現である。

又、「マが良い」「マが合ふ」「マに合う」等といふ事はマコトに有難いことであるが、
「ほんのマに合わせ」とか「マにうける」「マンマと」「マサカ」「マルデ」等と言へばニュアンスが変わってくる。
更に「マチガヒ」「アヤマリ」、「マヤカシ」「マボロシ」などに
「マが(歪曲)」ったり、「トンマ」「ヘマ」をしでかしたり、「マがぬけ」たり、「アマえ」すぎて「ワガママ」、「気ママ」になったり、「マヨ(迷)」ったり、「マがさし」て「マ(魔)」になったりすれば、「マったく」有難くない、「キマリ」の悪い事になる。

その他「マヅ」は「マアマア」となだめたり、「マヂマヂ」とみつめたり、
「どうぞ、そのママ」「ママならぬうき世」「ツマリ」「ニンマリ」「タンマリ」「マンマル」等・・・の俗語に至るまで、
<マ>といふ上古代語の、基底の思念は失はず、「正」にも「反」にも、何と自由自在に変遷し、又変態してゆくことであらうか!
おマケに<アマ>には「アマノジャク」といふオチまでついて居る・・・。)

ともあれ、カタカムナ人が<マ>とよんだモノは、科学では扱はぬ潜象ながら、すべてのモトであるいふ感応があったのであらう。彼らがマをつけて示した言葉には、アマのチスジが通っている。

それこそ、「日本語」や「カタカムナ文字」のナリタチが、カタカムナ人の直観した<マ>のサトリを示すものとして創作され、天然自然の発する振動音(アマ-カムヒビキ)を四十八の声音に聞き分け、そのヒビキとカタチとカヅ(数)の物理を抽象したものであったから、その四十八の一音一音に意味があり、それを二つ三つと組合せて成り立つ日本語は、極めて短い単語にも、おのづから、天然自然の様々な相(スガタ)の「相似象」があらはれる。

おそらくどの民族の言葉も、その発祥は、カタカムナ的であったかもしれない。たとへば、「ママ」といふ声音が、西欧語でもシナ語でも共通に、母性的な意味で今も使われて居るとか、「海」に当るフランス語が「母」と同じ発音であるなどといふことは、どの民族にも少しは残って居るが、日本語は上古代語の伝統が数万年後の現代まで、脈々と生きて通用して居る、極めて稀有な例である。
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