2018年11月09日
ゲノム配列解読によって判明した、縄文人とラオス・マレーシアの近似性
古代人のゲノム解析が進み、アフリカから、ヨーロッパ、さらにはオセアニア、アメリカでの各民族の形成過程が、遺跡に残る人骨から得られたDNAの解析から明らかにされつつある。
そして、2018年7月6日の『Science』で、東南アジアから我が国の縄文人までカバーした古代人ゲノムの研究『先史時代の東南アジアの民族形成』が発表された。研究は、金沢大学の覚張隆史特任助教(生命科学)とコペンハーゲン大学を中心とした国際研究チームと共同調査。
この研究ではマレーシア、ラオス、タイ、ベトナム、インドネシア、フィリピン、そして愛知県伊川津貝塚の縄文人から、2ー8千年前の人骨を集め、そのDNAを解析している。これまで、東南アジアや我が国で古代人ゲノム研究が進まなかった理由は、研究レベルの問題もあるが、もう一つは高温多湿地帯のためDNAの変性が激しいことがある。この研究では、この問題をMYbaitsと呼ばれる液中で人間のDNAだけを精製する方法を用いて、低い精度ではあるがなんとか全ゲノムを解読し、古代人同士、あるいは現代人と比較している。
縄文人の遺伝子解析はこれまでも行われており、東アジア人とも、東南アジア人とも違った、まだわからないルーツがあるとされていた。この研究で、ラオス・マレーシアの古いゲノムが解読されることで、このわからなかったルーツの一端がラオス・マレーシアを中心に分布していた最初の東南アジア人Group1に最も近いことがわかった。
※画像は、金沢大学News Release(リンク pdf)より
ただ、Group1に分類していいかと言われる混血が進んでおり、特に東アジア民族からの遺伝子を受け入れていることが分かる。すなわち、ラオス・マレーシアに移住してきたGroup1の末裔が東南アジアを経て日本に到達するまでに、その途上の民族とおそらく平和的に混血を繰り返して日本に到達したのが縄文人になる。そしてこの縄文の遺伝子は私たちにも脈々と受け継がれている。
伊川津縄文人を2.5-3千年前(この研究で解析された骨の年代は2600年となっている)とすると、その後の3000年のうちに更に東アジア人と混血を繰り返して現代日本人が形成されたことになる。縄文や弥生人の人骨は多く残っているはずだ。これらの解析が進めば、日本列島で起こった過程も明らかになるだろう。
- posted by KIDA-G at : 2018年11月09日 | コメント (0件)| トラックバック (0)
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