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2020年04月30日

今回のコロナ禍でグローバル社会から共同体社会へ転換するのか? -3.グローバル経済からの脱却と自給自足型経済への流れ

 

地域によってコロナ禍の収束に向かっているかの兆しが出てきたが、まだまだ感染は続いている。

その中で、これまでのグローバル経済推進の流れから自給自足経済へ反転する動き出てきている。この潮流は以前から、反TPPなど国民生活を根底から脅かす恐れがあるものに対して警鐘が鳴らされてきたが、コロナ禍を機に国際的な物流や事業継続性にとって、古くて新しい自給自足こそが強いと再認識する動きが加速されている。

今、最も需要が高いマスクについてはTVの報道でも扱われているが、国際的な分業で国産は2割に満たないという体たらくで、すぐには改善できない。そしてこれまでも指摘されてきたが、そもそも日本はライフラインとなるエネルギー、食糧さえ輸入に依存しており、実は地熱、メタンハイドレート、小水力発電、ひいてはフリーエネルギーの開発など自立できる力はいくらでも探索できる。食糧についても休耕地等の整備次第では自給に近づけるのである。グローバリストの効率というまやかしはコロナ禍を通じてもはや通じないところまで切迫してきている。そのような潮流を紹介したい。

 

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■国家レベルでの自給自足に対する動き

日露の違いが際立っている記事を紹介。露はコロナ禍の情勢を読み切った政策が発動されていることが興味深い。逆に日はここでも出遅れている。
新型コロナで浮き彫りとなる日本とロシアの「食料安全保障」の違い

新型コロナウイルスの感染が拡大し、3月頃から日本でも、スーパーマーケットで一部の食品が一時的に品薄になる現象が生じました。その際に農林水産大臣が、「食料品は、十分な供給量を確保しているので、安心して、落ち着いた購買行動をお願いいたします」とのメッセージを発しました。同省によれば、米は需要の190日分、小麦は70日分の備蓄があり、食料供給に問題はないとのことでした。

「落ち着いて行動してほしい」というのは、もっともなメッセージですし、我々としてもぜひそうしたいものです。しかし、個人的には腑に落ちない点があります。日本政府(農林水産省)は日頃から、「我が国の食料自給率は危機的に低く、しかも年々低下しており、このままでは日本の食料安全保障が危うい」と、散々強調してきたはずです。それが、コロナパニックになったとたんに、「食料供給は大丈夫です」と太鼓判を押されても、にわかには信用しかねます。

(中略)

同じ「食料安全保障」という言葉を使っていても、日本とロシアでは、その方向性が大きく異なります。日本で「食料安全保障」と言えば、生産者を守るために輸入を制限するという議論になりがちです。それに対しロシアの「食料安全保障」は、国内消費者への供給を維持するために輸出を制限するという発想になることが多いと思います。

もちろん、2010年にロシアが採択した「食料安全保障ドクトリン」を紐解いても、主要食品の国産比率を高めることが目標に掲げられています。しかし、ドクトリンの主眼は、自給率を高めること自体ではなく、あくまでも国民に安全な食品を充分に提供することにあり、国内生産はどちらかと言うとそのための手段と位置付けられています。

(中略)

こうした中、一部の国が国内供給を優先し、輸出を制限する動きに出ました。ロシアは3月31日付の政府決定で、4~6月期の穀物輸出の上限を700万tとする輸出割当を設定(対象品目は小麦、ライ麦、大麦、とうもろこし)。なお、ロシアを中心とする経済同盟であるユーラシア経済連合域内の輸出は制限の対象外となります。また、カザフスタンは、3月22日、小麦粉、ひまわりの種およびひまわり油、ソバの実、砂糖、じゃがいも、一部の野菜の輸出を禁止する緊急措置を発令。さらに、3月30日には穀物の輸出に月ごとの割当量を設定することを決めました。他方、ウクライナもロシアの動きに触発されて、穀物輸出の制限を検討しましたが、充分な供給量があるとの判断から、導入は見送っています。

ロシア国内でコロナパニックが広がる中で、商店でも食品の品薄が生じていましたので、一見すると、ロシア政府の輸出制限はそれに対応したもののようにも思えます。しかし、実はロシア農業省は昨年秋頃から、穀物輸出に上限を設けることを提唱していた経緯があります。筆者には、ロシア農業省がコロナパニックを口実として、以前から画策していた穀物輸出への割当導入をごり押ししたように思えます。

 

次に、ASEAN諸国の事情を紹介。グローバル経済を推進してきたシンガポールやマレーシアはかなり厳しいようだか゛戦禍を経験してきたベトナムはたくましい。

ASEAN トピック「コロナ鎖国」に強いアセアン諸国 食料・エネルギー自給率を比較

 

■各地域の自給自足への動き

コロナ禍という世界共通の課題がいまひとびとを自給自足へ突き動かしているのが見て取れる。

コロナという戦禍で人々は世界中で食料をつくり始めた Digforvictory(勝つために掘れ)

 いま、ロックダウン(都市封鎖)の始まっている世界各国で、じぶんで食糧つくる動きが高まっています。「家庭菜園」をWikipediaで見ると、こんな記述がありました。
(以下、加筆して引用)
歴史的に有名なイギリスの市民農園アロットメントは、19世紀前半、食糧不足の時代に低所得層の自給自足手段として作られた。第二次世界大戦時には政府が「Dig for victory(勝利のために掘れ)」と促した。その後、農薬や化学肥料を使う農法を嫌う人々の利用が増え、低所得層だけでなく、多様な層が利用するに至った。

Dig for victory(勝つために掘れ)  

強い言葉です。さらに、知らなかった言葉を見つけました。

war gardens(戦時農園

戦時農園(war gardens)とは、戦時中の国々で行われた庭や公園を使用し、野菜・ハーブ・果物などを栽培する農園である。
アメリカ、イギリス、カナダ等では、Victory garden(勝利の庭Food gardens for defense(防衛のための食料庭園
とも、表される。奇しくもいま、「コロナ禍」という新語が生まれましたが、まさに「戦禍」の「禍」です。
Dig for victory(勝つために掘れ)は、いまこのときを表す言葉ではないかと思ったら、やはり既に、イギリスの「Grow like Grandad」というサイトが呼びかけていました。
(「じいちゃんのときみたいに育てよう」なんとなく好感の持てるコンセプトです)

(中略)

 

こちらはオーストラリアABCニュースのサイト
コロナウイルスのパニック消費はいま、家庭菜園の種苗店へ向かっています

最初はトイレットペーパーのパニック購入でしたが、次に米、パスタ、肉などの主食となりました。今ではコロナウイルスによって野菜の種の需要が、園芸業界全体に広がっています。アンドリューの種苗店では、過去30年間になかったほどの売れ行きで、通常1か月でかかるものが1週間ですべて売り切れました。これまでのガーデニング愛好家ではない、初心者が多く、お客さんは、店では十分な野菜を買えないことを懸念して、種や苗を買い求め、供給が追いつきません。この需要は、オーストラリアとニュージーランド全体に及び、タスマニアの種子を販売するオンラインショップは、この1週間で事業が20倍に増大しました。
注文が殺到してるのは、ほうれん草、ソラマメ、大根、いろんな種類のレタスなどです」。

(中略)

「世界の都市農業の価値~経済よりコミュニティを育む共感と協働」と題してコラムを書いたときから頭の中にあったことが、いま、コロナ禍で、浮き彫りになった気がするからです。

世界における都市農業の価値
ニューヨーク、ロンドン、ソウル、ジャカルタ、トロントの5都市が参加した「世界都市農業サミット」が、東京・練馬区で開かれました。
ニューヨーク市では、550のコミュニティ農園(40ha)に2万人のボランティアが関わり、低所得者層の多い公営住宅では、農園管理を若者の就労支援につなげています。
屋上菜園も盛んで、NY産野菜はブランドになっています。
ロンドンでは2012オリンピックを前に2012の市民農園が作られ、今では3000を超えています。
ジャカルタでは路地を活用した垂直農業で、人口密集地の食を支えていました。
どの都市にも共通していたのは、「コミュニティ農園」という切り口です。住民が生産と消費の両方に関わることで、絆や意欲が強まり、貧困、心身の不健康、教育、雇用など、あらゆる格差の解消につなげています。
参加して感じたのは、なぜ世界中の都市はこんなにも「農」を求めるのか、という驚きと、もしかしたら今の「農業の多面的機能」という認識では表しきれないのではないか、という農の可能性です。
練馬区は、大根引っこ抜き大会、農の学校やサポーターで、住民が農業を支え、体験農園と子ども食堂が連携しています。
各国でCSA(地域コミュニティの買い支え)が見直されている通り、
地域住民は野菜を買う客であるだけでなく、一緒に考え、農地を活用する仲間なのです。
世界の事例と比べると、国内の都市農業は、その使い道を農家だけに任せてきたように思えます。
今こそ都市の農地を、街の資産として運用すれば、シビックプライド(わが街への愛着)も築けます。
作る人と買う人という経済の関係から、次の段階にあるのは、地域にある農を自分ごととして育んでいく共感と協働ではないでしょうか。
都市における農を教育の場、理解や心を養う場と考えれば、それは本格農業や農的な暮らしへの玄関口になります。
都市に農があってよかったと、地方にも歓迎される発信拠点になれるはずです。
https://www.agrinews.co.jp/p49445.html(日本農業新聞19.12.19)一部抜粋

 

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