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2020年4月28日

2020年04月28日

言語の進化過程(3) ~追求すべき対象が増えていくと共に、より正確に捉えることができる方向に言語が進化していった。

現代の言語学は、インド・ヨーロッパ語族という括りがあるように、各言語の「語彙」や「文法」を比較することで共通の祖語や派生語を追求する方法をとっています。しかし、この方法(切り口)では、言語の系統樹は作れても、言語がどのよう生まれて進化していったかを辿るには限界があります。

★言語(言葉)は、何のために、どのようにが生まれたのか!?
本質部分を追求するには、何より始原人類の置かれた状況(外圧)に同化することが必要になります。
前回に続き、『るいネット』の記事から言語の進化過程を紹介します。(リンク)(リンク

◆観念機能が発達するにつれて、追求すべき対象が増えてゆくと共に、より正確に捉えることができる方向に、言葉が進化していった。

人類が最初に見た「精霊」は、おそらく生命力の塊のようなものだったろう。しかし、それが言葉として発せられた時、おそらくその言葉は「ぴかぴか」とか「くるくる」というような擬態語だっただろう。そして、その擬態語には、生命の躍動感が込められていたに違いない。
人類の最初の言葉が擬態語や擬音語であったことは、乳児が発する言葉からも、又(最後まで侵略による破壊を免れた)縄文語→日本語に残る擬態語・擬音語の多さからも伺うことができる。

その後も、人類の最初の言葉である擬態語や擬音語は「ざわざわ」「バタバタ」「ヒュー」等、様々な事象に応じて形成されていったが、擬態語や擬音語では言葉の数に限界があり、かつ正確さに欠けるという欠陥がある。
他方、観念機能が発達するにつれて道具が進化してゆき、それにつれて人類の生存力が上昇し、それにつれて人類が洞窟の外に出る時間が少しずつ増えてゆく。従って、それにつれて、未知なる対象(答えを出すべき追求対象)と伝えたい言葉の数も増えてゆく。

未知なる対象を前にして、人類は500万年に亘って進化させてきた「どうする?」発の追求充足回路をフル稼働させた。おそらく、そこで絶え間なく発せられたのは、「何?(どういう事?)」という疑問詞であり、その、「何?」に対応する答えとして、言葉の数が増えていったと考えられる。
しかし、「何?」の内容は多様である。最初は、事象の動容を問う「何?」に応える【動容詞】だけだっただろうが、次にその動容の程度(強弱・緩急)を問う「何?」に応える【緩急詞】や対象に対する評価を伝える【評価詞】が生み出され、最後に対象(正体)を問う「何?」に応えて【対象詞】が生み出された。
これらの品詞の内、動容詞と対象詞がより客観的な表現であるのに対して、緩急詞や評価詞はより情感的な表現であり、それらをまとめて【情感詞】と呼ぶこともできる。
そのように「何?」の中身は4種類あるが、しかしそれらはあくまでもある一つの事象についての「何?」である。従って、一つの語幹を語尾変化させることによって、動容詞や心情詞や対象詞を使い分けた(品詞を分化させた)のは、極めて合理的な当然の進化だろう。

◆「何?」の内容に応じて、4種類の品詞が生み出された。

こうして、擬態語は「ぴかぴか」→「光る」「光」、「あかあか」→「明ける」「明るい」「赤」、「くろぐろ」→「暮れる」「暗い」「黒」等、動容詞(≒動詞)、情感詞、対象詞(≒名詞)に分化され、同時に情感を表す言葉は緩急詞・強弱詞(副詞)と評価詞(形容詞)に分化されていった。
この分化は、洞窟から出るにつれて「何?」の対象が増大し、擬態語・擬音語だけでは対応し切れなくなったからであるが、おそらく重心は対象詞ではなく対象に対する情感を表す情感詞の方にあったと思われる。そして、同じ情感詞でも、「早く、遅く」「強く、弱く」等の緩急詞(副詞)は動容詞の前に付き、「良い、悪い」「きれい、汚い」等の評価詞(形容詞)は対象詞(名詞)の前に付くことになる。この語順規則は、「規則」として意識する必要もないぐらい、自然なつながり方であったろう。

更には、言葉が分化されてゆくにつれて「何?」の内、時間や空間に関する「何?」は、「いつ?」「どこ?」という疑問詞に分化され、その疑問に応えて時や所や方向を示す時詞や所詞・向詞が生み出されていった。そして、ある程度の言葉が蓄積されると、「何?」は更に高度な「何で?」の追求に移行してゆく。

    / 「いつ?」       → 時詞「今、昔」「日時」
疑問詞 - 「何?(どういう事?)」→ 「何で?」
    \ 「どこ?」       → 所詞・向詞「ここ・そこ」「地名」「上・下」「左・右」

時や所を示す必要がある場合、時詞は文頭に、所詞・向詞はその次(二番目)に来ることが多い。その語順上の優先性は、時や所に対する意識、更にはその前の「何?」という意識が別格であり、始原であったことを物語っている。

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2020年04月28日

【世界の各部族の婚姻形態シリーズ】性権力→滅亡総括型部族

女性の性的価値が増大したことにより集団の統合力が弱体化、存亡の危機を体験したことで、総括として性権力封鎖の規範をつくり上げた部族を紹介します。
このように、婚姻様式は一つの形が絶対的なものではないということ。
集団のおかれた外圧状況に応じて変化してゆかなければ滅亡してしまうということを忘れてはならないと思います。

今回紹介する部族は以下です。
・バンプティー・ピグミー:中央アフリカザイール北東
・始原ユダヤ人
インクより紹介します。

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■バンプティー・ピグミー:中央アフリカザイール北東
(1957 年急速に減少したピグミーの絶滅をくいとめる方法を探すために、一年半彼らと生活を共にした人類学者ハレットの記録。)

・生活形態-コンゴ北東部の熱帯雨林で狩猟・採集。食生活はほとんどが女の採集によって支えられている上に、狩猟以外の労働(ex.小屋作り)は全て女が行う。ピグミーには、旧約聖書によく似た神話――神は男女一組の人間を創り、地上の楽園に住まわせたが、邪悪な女が気の弱い男をそそのかして、神に禁じられていた木の実を食べてしまったので、楽園から追放され放浪生活を送ることになった――があり、神と男を裏切った女は、その罪を償うために夫のかわりに果てしなく重労働を続けなくてはならないとされている。(バンプティー族の起源は不明だが、前2500 年エジプト第4王朝の探検隊の記録に、その地に住んでいたことが記されており、4000 年以上前から密林のジプシーだった。)

・集団-夫婦(一対婚?)を一単位とした小家族が数個集まった父系バンド(=移動地域集団)。一ヵ所で2週間程度生活するが、指導者はいない。

・結婚-女は10 歳、男は13 歳が適齢期。金で妻を買い取る風習はなく、結婚は厳粛な儀式であると同時に厳しい試練。式は互いの腰帯を取りかわし、小屋で数時間お互いの全てを語り合った後、2~3日間壷一杯の水だけで過ごす。その後夫婦の契りが許されるが、一晩に4~5回妻を性的に満足させなければ、一人前の男性とは認められない。

・子供-妻に求められる第一条件は多産であり、15~20 人産むが、大半が乳児期に死亡する。

※乱交制の下で、女の性的商品価値=性権力が増大、男は女の言いなりになり、弱体化する。結果、滅亡の危機を体験し、その総括として、性権力封鎖の規範をつくり上げた。おそらくこの部族は、女の役割規範を、性役から従役にシフトさせること(重労働)によって、性権力を封殺しようとしたのだろう。多産についても、妊娠期間中の母性本能△によって女の悪魔性を押さえ込もうとしたもの。(一晩4~5回妻を満足…という規範は、一刻も早く妊娠させて、性役から解放されたいというのが本音?)

性権力の総括において母系制も総括され、集団の分割基準を血縁からサブリーダー中心の分割に移行。結果、父系・上位集中婚となったが、外圧が弱まるにつれて、短偶婚、一対婚に解体されていった。この部族が住むコンゴ北東部は地理的に閉鎖されており、同類闘争圧力は極めて弱く、集団統合を必要としないために、上位のバンドを持たず、数家族のみのバンドで移動をすることが可能となっている。

■始原ユダヤ人

約5千年前、メソポタミア(?)から南アラブに追われ、遊牧から農耕の移行期にあって遊牧を生業とせざるを得なかった部族が、ユダヤの始原。(彼らの生産様式は、カインとアベルの説話から覗い知れる。)5千年~3千年前、南アラブの地域は草原→砂漠化の移行期にあり、砂漠化につれて放浪・交易の生活手法を生み出した。約3千年前に、ソロモンを中心とする遊牧王国を建設。ソロモンは1000 人の妻を持つとされ、この段階での婚姻制は、遊牧民に広く見られる一夫多妻制であった。

その後、彼らはモーゼの十戒に見られるような、不倫の絶対タブー(死刑に値する)、婚前交渉のタブーという極めて厳格な一対婚規範を確立している。

※〈狩〉・〈採〉ともに、母系制を通過するのが普遍的で、アダムの骨からイブが生まれたという男性優位の神話は、滅亡という大転換から父系へ移行しない限り成立しない。ソロモンの時代の一夫多妻制は、基本的に女の買い取り制度であり、女の性的商品価値→性権力は上昇してゆく。

この前提の下に、王国の滅亡を事前に察知した男たちが分派、性権力を総括して(禁断の実=原罪の説話は

この時作られた)、厳格な一対婚規範を構築した。(他の滅亡総括型部族、あるいは掠奪婚型部族が、ごく少数の男たちの手による再建であるのに対して、ユダヤ人は既に王国を建設し、そこからかなりの勢力を持った集団が分派したものと考えられる。)従って、始原ユダヤ人は、基本的に滅亡総括型部族と位置付けるのが正しい。但し、ユダヤの旧約聖書には、異民族からの掠奪を奨励、正当化している文脈が多く見られ、王国から分派した多数は、掠奪婚の形態をとったものと考えられる。

なお、彼らがつくり出したユダヤ教の特徴は、排他性と契約主義にある。――「私を信じれば、現実的利益を与えてやろう。そのかわり私以外の神は信じるな。」――信仰以前に契約関係を重視しており、彼らの突出した私有意識の強さの根源をここに見ることができる。

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