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2021年06月24日

共同体社会の仕組みはどうなる? -3

前回、これからの共同体社会では、市場経済からクラウドファンディングに類する贈与経済へ移行していくであろうことを述べた。今回は、市場という肥大した匿名性の高い場はもうすでに持て余す状況であり、脱市場の観点で今後を探りたい。

現状は市場のニーズという最大公約数的な価値で生産計画が立てられ、拡大を不可欠のものとしている。しかし、衣、食、住をはじめとする物的生産については、人の欠乏、需要というものは無限にあるわけではなく、地球資源としてみても有限であることは自明である。すなわち、今後求められる課題は需要(人の欠乏)と供給(人の欠乏期待に応える活動)のバランスが重要となる。つまり量よりも質が問われてくる。それは必ずしも高額、高級であることは問わない。期待にどれだけこたえられているかという質である。だからこそ、量産というよりも少量多品種、特注、受注生産といった方向に進むであろう。そこでは、期待を上回る成果という意味で贈与→感謝といった連鎖による活動が繰り広げられ、その連鎖が広がることで社会が広がっていく。市場原理のように生産→消費という一回性で終わるものではない。

根底的な欠乏(期待)の次元では意識生産という側面がますます膨らむ一方であることから、それにこたえる供給=生産活動こそが主流となる。そこに活力が再生していくカギがある。

今回も

そのような可能性を示唆した記事を紹介したい。

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人間関係の根底にある「贈与の原理」が、資本主義社会の今後を埋める

◆ 「お金で買えないもの」の正体
お金では買えないもの。
実は僕らは、この正体が分かっていません。
実際、先ほどの結果が僕らの常識に反しているように見えるという点にそれが示されています。
お金で買えないものとは何であり、どのようにして発生し、どのような効果を僕らにもたらすのかが分かっていない。だから、常識に反するように思われるのです。

本書では、このような、僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動を、「贈与」と呼ぶことにします。

そして、僕らはお金で買えないもの=贈与のことがよく分かっていません。
でも、それもそのはずなのです。
学校でも、社会に出てからも、贈与について誰も僕らに教えてくれなかったからです。
しかし、冒頭のスイスの例のように、僕らはお金で買えないもの、つまり贈与を必要としています。

必要であり重要なのに、その正体が分かっていない。

◆ 人間関係の根底には「贈与の原理」がある
僕らが贈与について理解していない証拠はまだあります。
家族や友人、恋人など、僕らにとって大切な人との関係性もまた、「お金では買えないもの」です。
そして、家族や友人、恋人との関係で悩んだことのない人は少ないはずです。
なぜそのようなことが起こるのか。そこにはお金では買えないもの=贈与の原理が働いているからです。
贈与の原理が分かっていないからこそ、僕らは大切な人たちとの関係を見誤るのです。

だとするならば、僕らにまず必要なのは、贈与を正しく語る言葉です。
そして、その言葉を通して、贈与の原理を見出すことです。

◆ 哲学は結局、何をしているのか?
哲学者の戸田山和久は、「哲学は結局のところ何をしているのか」という問いに、「哲学の生なり業わいは概念づくりだ」と答えています。 では哲学は何のために概念をつくるのか。答えは「人類の幸福な生存のため」です。
戸田山は、一見対極にある「工学」が、実は哲学とよく似ていると言います。

概念は人工物である。よりよい人工物を生み出すことで人類の生存に貢献する。この点で工学と哲学は似ている。もちろん、どんな人工物も、正義の味方になったり悪魔の手先になったりする。だとするならば、哲学者のつとめは、できるだけよい概念を生み出すことだろう。ここも工学と似ている。

つまり言葉や概念は、僕らが幸福に生きていくためのテクノロジー、生活の技なのです。
そして、幸福な生を実現するためのツールを、僕らは自ら作り出すことができる。

そんな生活の技として、本書は20世紀を代表する哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの力を借ります。
なぜウィトゲンシュタインなのか。
それは、彼が「言語ゲーム」という、きわめてユニークで強力な概念装置を発明したからです。
この概念装置を用いることで、僕らは世界の見えかたを大きく変えることができます。

概念の獲得は当然、僕らの使う言葉を変えます。
そして、言語の変化は行動と生活の変化を生む──。
これがウィトゲンシュタインの言語ゲーム論が示した事実でもあります。

◆ 世界と「出会い直す」ための贈与論へ
先ほど、家族や友人、恋人など、僕らにとって大切な人との関係性はお金では買えないと述べました。そして、そこには贈与の原理が働いているとも。
だから、贈与に関する新しい言葉と概念を得て、贈与の原理を知ることで、行動と生活が変わり、僕らにとって大切な人たちとの関係性が変わるのです。
まったく新しい関係性になるというのではなく、大切な人たちと出会い直すのです。

(中略)

従うべきマニュアルの存在しないこの現代社会を生きるためには、哲学というテクノロジーが必要なのです。
さらに、本書の議論を通して、「生きる意味」「仕事のやりがい」といった金銭的な価値に還元できない大切なものを、どうすれば手に入れることができるのかも明らかになります。

 

農と金融3~消費から贈与へ

関係性の切れる消費から、関係性の生まれる消費へ。
贈与経済への道筋をつける、一つの切り口。

以下、転載(「共感資本社会を生きる」2019著:高橋博之×新井和宏)

高橋)いま、【ポケットマルシェ(ポケマル)】では、関係性の切れる消費から、関係性の生まれる消費へと切り替わっていくということが、実際に起こりはじめています。

新井)本当ですか。

高橋)ポケマルでは、お金と食べ物の交換はしていますよ。ただ、いままでのスーパーと違って、生産者と消費者が顔が見えるかたちでコミュニケーションを始められる。そうしたら、やっぱり生産者のなかで「いつもリピートしてくれてありがたい」っていって、オマケを入れはじめるんですよ。そうすると受け取った側はなんかちょっともらいすぎちゃった感じがして、また何かあったらこの人から買わなきゃいけないんじゃないかなっていう気になる。あるいは、野菜セットを注文したお客さんの子どもがニンジンが苦手だと知ると、「代わりにジャガイモ多めに入れておくね」とくるわけです。そうしたら、やっぱりその気遣いに感謝し、またこの人から買いたいっていう気持ちになる。

新井)借りがある、みたいなね。

高橋)そうそう。それが続いていくんですよ。ずっと。ベースには共感があって。

新井)いいですね。関係が続いて終わらせられないっていうね。それを僕はお金側からやりたいんです。そのためにはつまり、定価っていう概念を変えなきゃいけないわけです。

高橋)定価ね。

新井)定価なんて本当はどうでもよくて、あなたから買うから私はこれぐらい払いたいっていう、ギフトをする習慣をつけるってものすごく大事だと思っていて。

高橋)ギフトか。

新井)いまの高橋さんのお話っていうのは商品からオマケという差が生まれるんだけど、僕はお金からアプローチして、生み出したいんだよね。
例えば、払う方がどうせ明日に期限が切れちゃうお金だから-僕らは「腐るお金」って言っているんだけど-、「すごくいい人だったので全部渡します。あなたが好きだから。あなたのサービス、最高によかった」っていって渡したら、それはつくる側は嬉しいし、「あ、こういうお客さんいたな。このお金を使う人ってこういう思いで使ってるんだな」っていうのが見えてくるわけじゃないですか。そういう経済圏をつくったほうが僕は豊かになるなって思っていて。僕は健全なインフレをつくりたいっていうふうにあちこちで言っています。

高橋)つまり、お金はお礼だと。

新井)お礼なんです。「ありがとう」なんですよ。

高橋)自分の暮らしを豊かにしてくれるものをつくったあなたに、ありがとうっていうお礼をお渡しすると。

新井)そう。

高橋)そこで値段は、主観的に「あなたのしてくれた仕事はこれぐらいですよ」って示すものになる。そうすると、定価じゃないから、「俺、こんなにもらっていいのかな」って。次、今度はこの人がまた別の人から買うときには、同じように考えて渡す…。
そうか、これが関係性が紡がれていくっていうことか。

新井)そうそう。ギフトをたくさんしあう贈与経済に持っていく。

 

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