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2022年02月10日

精霊回路は追求力の源泉

画像はこちらからお借りしました。

ヒトは、得体のしれないものを見たり、わけのわからない現象に遭遇したとき、それが何なのか、すっきりしないと気が済みません。

そして、何かしらの理由がつけば(正しいかどうかは別として)安心する。さらに、それを誰かと共有できれば、安心は倍増します。

 

そんなことをやっているのは人間だけです。

動物は、どんな事象に対しても大抵どのように行動するか、本能によって決まっています。

プラスかマイナスか、無関係かしかありません。エサなら食べる、敵なら逃げる、それ以外は無関心。

 

ヒトはなぜそんなに「スッキリしたい」と思ってしまうのでしょうか。

それは逆に言えば、我々人類にとって世界のすべてがスッキリしないものであふれているということです。

どうしてそうなったのか。それは万物の背後に精霊を見出したからだなのです。どういうことでしょうか?

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それは万物が追求の対象になることを意味します。世界のすべてが気になってしょうがない。

そうなると万物について、それが何なのか掴めるまで、つまり「スッキリ」するまで追求し続けることになります。

画像はこちらからお借りしました

それはまさに万物=見たものすべてが追求対象です。

現に、いまでも人類は宇宙についても、地球についても、生命についても探求し続けていますが掴み切っていません。

ましてや始原人類は、ひとつひとつの事象について、一から追求していくことになります。

 

でもある事象について、ちょっとわかっただけで、ちょっとスッキリします。

それは発見であり、なんか嬉しい仲間とも共有したくなる

おそらく、身振り手振りで掴んだ事象を表現し、共感を得る。

そこまでいくと、世代を越えて継承されることになります。

そのようにして、徐々に徐々に、動植物や自然現象に対する認識が、少しずつスッキリしていく。

 

このスッキリと言う感覚は、恐らく脳回路がたくさん=太く繋がった瞬間なんだと思われます。

繋がると同時に何らかの充足物質が流れるようになる。そして、また追求したくなる。

この繰り返しが、始原人類の探求だったのではないでしょうか。

 

まったく分からないけれども、なにかある。それを精霊だと捉えた。

それは自分たちと一体のもの。それをつかみたい。

そのゼロからの探求が、我々人類の追求力の源泉です。

とことん探索して、つながるから充足するし、脳回路も鍛えられる。

その営為を何百年、何千年と続けることで、自然に対する認識群が蓄積していき、ある段階から高度な道具や言葉を生み出していくのです。

 

逆に、現代の学校の勉強は初めから答えがあることがわかっているし、解き方=脳回路のつなぎ方も書いてある。それではスッキリしない=充足しない=面白くない。だからすぐに忘れてしまうのでしょう。

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