2007年01月27日
一夫一婦制って現在でも少数派だった!
ランダムに選択した約100の民族の婚姻制度をまとめたという興味深いデータを見つけました。
(Frayser, 1986より作図)
明治大学情報コミュニケーション学部の蛭川 立助教授 のページより
多くの社会が一夫多妻婚を許容しており、正式な制度としての一夫多妻制を持たない社会でも、男性が妻以外の女性と性関係を持つことを許容する社会も含めると、厳密な一夫一妻制の社会は非常に少ない。ただし、一夫多妻制が許容されている社会でも、複数の妻を持つことができるのは一部の男性に限られることが多い。
地域別の内訳などが分からないのが残念ですが、昔はともかく、現在は一夫一婦制が多数派だと思っていたのですが、実は少数派だったのですね。ちょっと驚きです。
このデータを見て、 意外だったと言う方はクリックをお願いします。
ところで、日本が入るとしたら、一番下の分類の「婚外性関係不可」なんでしょうか? by Tama
- posted by tama at : 2007年01月27日 | コメント (7件)| トラックバック (0)
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彼らは何をきっかけに双系になっていったのでしょう?
母系→父系の様な理由が気になるところです^^
「苗字の無い世界」というと不思議な感覚もしますが、日本も明治以前、庶民は姓を名乗っていませんでした。夜這いの習慣もあったようですし、実質的に双系に近い社会だったのかもしれません。そのあたりの意識について詳しい方がいれば教えてほしいと思いました。
日本の明治以前の民衆は双系的要素が強く、それは“たかな”さんがおっしゃるように、母系→父系の転換期だったからだと思います。
実際、農民は母系を基盤とした生活をしており、徴税のための戸籍は父系制というちぐはぐさ。結婚・離婚も頻繁で重婚も珍しくなかった。勿論、夜這いも。
ところが農民も開墾すれば末代まで土地私有が認められるようになって、はじめて父系制の実質的基盤が整うことになります。これ以降上位層から父系制に転換します。
インドネシアも、この地域には母系制の部族から父系制に転換した部族まで並存しており、その途上の部族もいます。実際、母系制に父系制が混入し、両方の原理を両立させている(またはせめぎあっている)部族もいます。
ところで、双系制といわれるもう一つの形態があります。こちらの方が古くて原始的ですが、縄文人も双系だったといわれることがあります。
これは、縄文人が母系に集団分割する以前の単一集団=兄妹婚だったことを意味します。つまり、母系も父系もない極限時代の人類に最も近い状態です。
縄文人以外にもバンドという最も単純な集団組織をとる狩猟・採集部族にも見られます。
以上、双系といわれる場合、この二つの状態のいずれかではないかと考えています。
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