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2013年08月10日

「共同体社会における生産と婚姻」~その6 村落共同体における「性」のありよう

みなさん、こんにちは。
「共同体社会における生産と婚姻」を追求するシリーズ第6回目です。
前回記事では、農村における男女役割について整理しました。
今回記事では、この男女役割に基づいた農村共同体社会における「性」のありようについて追求してみたいと思います 😀
DSCF0010-thumb-600x450-339.jpg
かつての日本の姿を思わせるブータンの田植え
画像はこちらから頂きました

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 「夜這い(婚)」による性充足の共有

(日本の)農村共同体社会の「性」を考える上で、特に重要になるのは「母系制と夜這い婚」です。既にこのブログで何度か紹介してきましたが、古来日本は母系制社会であり、夫婦関係は妻の元へ夫が通う「妻問い婚(通い婚)」と呼ばれる形態を取っていました。特に各地の村落共同体では、一夫一婦制の概念は無く、重婚や婚姻関係に関係なく交わる夜這い(婚)が当たり前でした。

なお、この点でも日本は特筆に値する文化基盤を持っている。日本人は長い間、採集部族として総偶婚(それも、最も原始的な兄妹総偶婚)を続け、一七〇〇年前に朝鮮からやってきた侵略部族に支配され統一国家が形成された後も、長い間総偶婚の流れを汲む夜這い婚を続けてきた(夜這い婚は、昭和30年頃まで一部で残っていた)。国家権力によって上から押し付けられた一対婚が庶民に定着するのは江戸時代中期からであり、現在までわずか三〇〇年間ぐらいしか経過していない。婚姻様式が社会の最基底に位置するものであることを考える時、この総偶婚のつい最近までの残存(or 一対婚の歴史の浅さ)は、日本人の心の底に残る縄文人的精神性を物語る貴重な文化基盤である。
※総偶婚とは、集団ごとの男達と女達が分け隔てなく交わりあう婚姻様式を言う。
「実現論」より引用

農民百姓は、その集落を帰属とする共同体観念のなかにあり、集落に生まれる子供は、誰の子であっても関係なく、「みんなで」育てたのである。そこには家や家族の観念さえ必要としなかった。それが成立したのは、徴税システムの確立した江戸時代以降にすぎない。
奈良時代から昭和初期に至るまで、田舎にゆけば、年に数回は「無礼講」があり、誰と寝ても咎められることはなく、父親を特定する必要もなかった。西日本では、さらに顕著で、「夜這い」習俗が広く定着し、女子は初潮を迎えれば、近所に赤飯を配って、その日から集落の若者が夜這いを行うことが許された。生まれてくる子供の父親は問われず、娘が夜這い者のなかから夫を指名する権利が保障されていた。
こうした「性の解放」が、集落における利己主義を排し、共同観念と連帯感を強固に構築し、人々は家でなく集落に帰属し、「みんなの邑」という差別のない解放された生活が作り出されていた。
「子供の性規制問題の本質」より引用

かつての農村では、「村の娘と後家は若衆のもの」という村落内の娘の共有意識を示す言葉が聞かれることがあった。近代化以前の農村には若者組があり、村落内における婚姻の規制や承認を行い、夜這いに関しても一定のルールを設けていた。ルールには未通女や人妻の取り扱いなどがあり、この辺りの細かい点は地域によって差がみられた。
ウィキペディアより引用

上記引用文中にもありますが、「夜這い婚」の最大のポイントは村落共同体の皆が分け隔てなく「性」の充足を得られる点にあり、その充足が共同体運営(=生産活動)の活力源となり、また共同体意識の紐帯となっていました。
日本の農村共同体とは、この夜這い婚による性充足の共有の元に成り立っていたと言っても過言ではありません。

 アジア圏(南方モンゴロイド社会)における社会制度・性習俗の共通性

このような母系制社会での夜這い婚は、日本以外にもアジア圏で広く見ることができます。
<ブータン>                                 
・ブータンは典型的な母系制社会で、財産相続は姉妹に行われる。都市化した首都ティンプーでは既に行われていないが、農村ではナイトハンティングと呼ばれる夜這い風習が残っていることで世界的に有名である。
参考:国民総幸福量がトップのブータンという国に今も残っている「夜這い」という風習
<中国>
・騎馬民族が入ってくる以前の原初中国は母系制であったと言われ、伝承や漢字文化の中にその名残を見出すことができる。(漢字文字9400字のうち、男部首は3文字しかないのに対し、女部首は238文字ある。太古の中国神話の英雄は、父がなく、母だけが存在することが多い)   
騎馬民族による略奪闘争が起こってからは、中国社会は典型的な父系制私権社会となるが、それでもチベットなど辺境部族の中には現在でも原初の母系制社会及び通い婚・夜這い婚を残している文化が見られる。
・雲南省最北部 モソ族
母系制大家族社会。
走婚と呼ばれる通い婚・夜這い制度を取っており、パートナーも一人とは限らない。  
参考:神秘な女の国・母系社会のモソ人の通い婚(走婚)
・四川省甘孜チベット自治州雅江県 ザバ地区
モソ族に同じく母系制社会で、夜這い風習を残す。
結婚するまでの間、複数の相手と夜這い関係を結ぶ。
参考:ヤロン川畔の夜這い婚
<インドネシア、ミクロネシア>
・世界最大の母系制社会として有名なミナンカバウ族が存在するインドネシア地域やパラオ、チューク、ヤップなどのミクロネシアの島々にも母系制社会における通い婚制度、夜這い風習の名残を見ることができます。
これらアジア圏での事例から考えるに、日本の農村共同体における母系制社会と通い婚・夜這い風習は、アジア圏、中でも南方モンゴロイド社会(騎馬民族に代表される北方モンゴロイド社会は早くに父系制に転換している)の社会制度・婚姻形態を残存させてきたものと考えられます。
(ブータン、モソ、ザバなどは広くはチベット系地域であり、いずれも東南アジア(スンダランド)出自の南方モンゴロイドを起源とする。これは日本の縄文人との共通祖先となる。(なので顔が良く似ている)
参考:るいネット投稿:南方モンゴロイドの拡散と新モンゴロイドの誕生
なお、大陸から支配層として入ってきた弥生人(北方モンゴロイド系)は、父系制社会をとっていたが、その制度は支配層のみに留まり、民衆の間では縄文人の母系制を残存させていく)
アジア圏では大陸騎馬民族系父系社会(≒北方モンゴロイド社会)に組み込まれ、辺境民族以外ではこのような母系制、通い婚・夜這い風習が失われてしまったのに対し、日本は国家規模でこれらの制度を昭和初期頃まで残存させてきたことが注目に値します。
逆に言えば、現代社会で当たり前とされる父系・一夫一婦制度に社会全体が転換してから、日本はまだ1世紀も経っていないと言え、連綿と継承されてきた母系制文化は日本人の奥底に大きな精神的基盤(=共同体意識)として引き継がれているのではないかと感じています。
なお、日本における「夜這い」の生々しい話は、以下の文献に詳しく記されています。ぜひご一読下さい。
赤松啓介(民俗学者。1909~2000年)著作
「夜這いの民族学」「夜這いの性愛論」「村落共同体と性的規範 夜這い概論」他
宮本常一(民族学者。1907~1981年)著作
「忘れられた日本人」「女の民族誌」他

 生産場面における開放的な性~性は日常~

次にもう少し具体的な「性」のありようについて見てみたいと思います。
農村共同体における「性」のありようの最大のポイントは「性は開放的であり、日常であった」と言うことです。
以下、宮本常一「忘れられた日本人」より引用します。

女たちのこうした話(猥談)は田植の時にとくに多い。田植歌の中にもセックスをうたったものがまた多かった。作物の生産と、人間の生殖を連想する風は昔からあった。正月の初田植の行事に性的な仕草をもとなうものがきわめて多いが、田植の時の猥談はそうした行事の残存とも見られるのである。そして田植の時などに、その話の中心になるのは大てい元気のよい四十前後の女である。若い女たちにはいささかつよすぎるようだか話そのものは健康である。早乙女の中に若い娘のいるときは話が初夜の事になる場合が多い。
(中略)
声をひそめてはなさねばならぬような事もあるが、隣合った二人でひそひそはなしていると「ひそひそ話は罪つくり」と誰かが言う。猥談も公然と話されるものでないとこうしたところでは話されない。それだけに話そのものは健康である。そのなかには自分の体験もまじっている。
(中略)
女たちの猥談の明るい世界は女たちが幸福である事を意味している。
女たちのはなしをきいて猥談がいけないのではなく、猥談をゆがめている何ものかがいけないのだとしみじみ思うのである。

実は上記引用文は、あまりに生々しい性表現部分はカットしているのですが、伺い知れるのは、現代社会のように「性」は隠すもの、隠れて二人で行うものではなく、「性」は日常的で皆に開放されたものであったと言うこと、そして生産場面と切り離されたものではなく、生産と一体的であったと言うことです。
このような風習は先ほど紹介した母系制社会で広く見られ、母系性の農村社会では農作業と性が結びついている(田植え行為そのものが性行為を暗示するものとして考えられている)事例が多く見られます。

 まとめ

以上、今回は日本の農村共同体社会における「性」のありようについて見て来ましたが、まとめると
 『「性」の充足は皆で共有する活力源であり、それゆえに開放的で日常的なものであった』
と言うことが出来ます。
途中でも書きましたが、この「性充足の共有」こそが、農村共同体社会の最大の紐帯であったとも言え、共同体社会について考える上で、「性」が非常に重要であることが解ります。
(当ブログのタイトルが「共同体社会と人類婚姻史」となっている理由もここにあります)
さて、前回・今回と日本の農村共同体社会における男女役割と性のありようについて見て来ましたが、次回はこの日本の共同体社会と世界とを比較し、日本の共同体社会の特異性を整理してみたいと思います。
それでは、次回もお楽しみに 😈

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