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2007年12月27日

村の働き手~海女

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今では婚姻と言うと男女がいっしょに住むことを当たり前のように想像しますが、婚姻関係を結んだあともしばらくの期間、または一生別々の家で暮らす形態があったようです。
しかもその理由を調べてみると、嫁が村の働き手として非常に重要な存在であり 、その意味で生家から”嫁”に出すことをしなかったようです。
今日は能登半島の北、日本海に浮かぶ舳倉島(へくらじま)の海女のことを書いた本からその様子を見てみたいと思います。
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舳倉の海女は、今では映画にもなって一般によく知られているが、本拠は石川県輪島町にあって、戸数は三百戸足らずであるが、夏、四ヶ月間の間が、この人達の鮑や海藻の取入れ時で、北方の日本海の孤島、舳倉島に全村移住するのである。この村の主業は、寒天の材料になるエゴという海藻や鮑を採取することで、それがどちらも海女-女の潜水作業でとるのである。

「婚姻覚書」(瀬川清子著)
なぜ男性ではなく女性が潜り手なのかは解りませんが、このほかの日本各地でも大抵潜り手は女性ですね。
一説には、
○女性は皮下脂肪が多く潜水に適している。
○また、女性は自分の呼吸の長さをわきまえて潜水するので事故が少ないが、男性は勇気に過ぎて無理して潜るので事故を起こしやすく、潜水を禁止されたと言うものです。

(三重県水産図説)
などという説もあるようです。
いづれにしてもどこの海女さんたちも潜水作業に限らずよく働くと昔から言われていますね。

舳倉島という資源は一村の共有で、その点恵まれているが、家に婦人がなければ、磯の口が明いても潜る人がないので収入がないわけである。だから、母と嫁と孫娘三代の間に、十年の隙があれば-つ
まり家に女の働き手のないような期間が出来る、と予想すれば、灘周りのときに、貧農の女の子を貰って来て、モグリを仕込んだという位であるから、この村で暮らそうと思う男子は、必ず村内の海女のできる婦人をめとらなければならない。

ここからも、いかに海女たちが村の生産の担い手だったかがわかります。
一方の男たちは何をしていたかというと、村の相談ごとに出たり、商人と交渉したり、いわば村の政治方面を受け持っているようです。

普通二十歳前後に、若い者同士で間で婚約をするそうであるが、それで親の反対がなければ、両方の親と親の間で、娘の年季を決めて、長くて三、四年、短くて一年の間娘を生家の為に働かせてから、夫の家に引移りをさせるという契約をする。年季の間は古風な「源氏物語」の光源氏のようなつまどいで、生まれた一人・二人の子供も、妻の里で育てられるのである。
・・・・・・・・・・・ 中略 ・・・・・・・・・・・・・・・
嫁の引移りは、多く盆祭の時に行われるというが、是は結婚式と云っても、子供を一人・二人連れた嫁さんの引移りなのであるから、盛装もしない、唯、鮑を取る盥(たらい)と、貝金(かいがね)だけはなくてはならない第一の嫁入り道具として持ってゆく。
こんなわけで、舳倉の海女は自分に働きがあるので、夫に先立たれても二人・三人の子供は立派に育ててゆく。だから、親は娘をなるべくながく手元に置きたいと思うので、姉女房が非常にたくさんあるそうである。

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(腰に挿しているのが「貝金」です)
この「年季」というのは、婚姻が決まってから一定期間娘が生家で働く期間のことのようで、こういう期間を設けないと生家自身も生産の担い手がいなくなる為困ったのでしょう。
しかもその期間中は婚姻相手の男性が娘のところに通って子供も作る、「妻問い婚」だったようです。
この舳倉の事例では”期間限定”だったようですが、飛騨の白川郷のように一生別々に暮らす事例もあるようですね。
このように、婚姻といってもあくまで自分たちが生まれた村の生産をどのようにして担って行くか、婚姻形態もそのために適したシステムとして存在していたようですね。

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中世の日本の惣村では規範そのものや規範やぶりを罰するのは村人自身だったのに対して、
ヨーロッパではその部分を領主が握っていたってことですね。。。
秩序や規範に素直な日本人の気質はそもそもそういったものを自分たちで作り出してきたという風土があるからなのかなとおもいました。

  • bunchan
  • 2008年2月23日 18:46

共同体社会と人類婚姻史 | 中世ヨーロッパの農村:支配権力による「作られた共同体」~農業システム「三圃制」と農村運営「共同体規制」について~

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