2008年04月19日
霊長類学の家族の起源1 霊長類の進化史
初期人類から家族あり?に続いて、霊長類学者から提起されている“初期人類は非母系的な社会で、はじめから父系的な家族を成立させていた”との説を紹介します。
人類だけがもつ“家族”の起源という命題は、文化人類学や社会人類学において19世紀後半から20世紀中葉にかけて社会進化論として盛んに議論されたが、強い批判の眼が向けられるようになり挫折しました。
一方、日本の霊長類学者たちもここ数十年、家族の起源をホミニゼーション(ヒト化)研究の中心テーマにすえてきた。今西錦司、伊谷純一郎、河合雅雄、加納隆至等の各氏の論考を引き継いで、山際寿一氏が提起されている人類進化ストーリーを紹介します。山際寿一著『家族の起源 父性の登場』(1994年)より。
一度では紹介しきれないので、まずは霊長類(現在180種あまりが生存する)の進化史から見てみましょう。
応援よろしく by岡
霊長類┬原猿類…旧大陸のアジア、アフリカの熱帯雨林
└真猿類┬狭鼻猿類…旧大陸のアジア、アフリカ
| └―類人猿(狭鼻猿のうち特に人類と近縁なもの)
| ├―小型のテナガザル・フクロテナガザル…アジア
| ├―大型のオランウータン…アジア
| └―大型のゴリラ・チンパンジー・ボノボ…アフリカ
└広鼻猿類…新大陸の南アメリカ
6500万年前 原猿類がモグラやヒミズなどの食虫類から分岐・進化
①樹上で果実や昆虫を食べる、②夜行性で小型(2㎏以下)、③他の哺乳類と共通な特徴を数多く保有、ex.長く湿った鼻、大きな可動性のある耳、体には匂いを出す特殊な腺、④視覚より嗅覚に頼る
・単独あるいはオスとメスのペアで縄張りを構える種が多い
5000万年前 真猿類がアフリカ熱帯雨林で誕生
原猿類と真猿類の違いで重要なのは、
①夜行性から昼行性へ、②嗅覚から視覚へ、③小型から大型へ、④樹上生活から半樹上・半地上生活へ、といった変化。
植物食を取り入れる→大型化
→森林の樹冠部を占有していた鳥の領域へ進出→昼間の世界へ進出
→果実利用△→色彩認知・立体視が可能な視覚発達
→仲間同士のコミュニケーション能力UP→集団生活へ
・真猿類の多くは性的二型(性による差)を発達させて集団を編成=単雄複雌と複雄複雌の構成をもつ母系社会へ
3000~2500万年前 旧世界ザルと類人猿の二つのグループに分かれる
アフリカの狭鼻猿類は、ニホンザルやコロブスを含む旧世界ザルと類人猿の二つのグループに分かれて進化した
2000万年前 地上へ生活領域を広げる種(旧世界ザル)が登場
これが旧世界ザルでヒヒ類・マカク類・グエノン類・ニホンザル。この頃気温は低下し、熱帯雨林は縮小して多くの森林動物が絶滅したが、旧世界ザルはその後繁栄することになる。
特徴は、①果実ばかりでなく葉・花・樹皮・昆虫、その他の動物などを食べる広範な雑食性、②長距離を移動することがある、③時として大集団を編成する、④四足歩行能力が優れ、四肢の長さが等しくて素早く疾走できる、⑤視覚によるコミュニケーションが発達している。
・単雄複雌、複雄複雌の母系社会が多い
1800万年前 この頃温暖な気候で、類人猿が多くの種に分化
しかしその後急速に冷え始め、熱帯雨林が縮小、類人猿は次々に姿を消し始めた。旧世界ザルのように熱帯雨林を出て乾燥域に進出できなかったためであろう。
類人猿と他の狭鼻猿類との大きな違いは、彼らの独特な移動様式にある。ブラキエーション(腕わたり)で樹間を移動し、地上ではナックル・ウォーキング。この歩行様式は四足歩行に比べて疾走力が劣る。
類人猿は、地上に進出した狭鼻猿類以上に体を大型化させることに成功したが、ヒヒやマカクほどの大集団を発達させることができなかった。
これは、彼らが大型化しながらも果実という不安定な食物資源に頼り、後述するように母系の集団構造を発達させなかったことに原因がある。人類の祖先も、こうした非母系的な集団から出発したはずである。
700~500万年前 人類の祖先が登場
南極にはじめて氷床が形成された時期で、気温が低下して熱帯雨林は縮小し、多くの湖が干上がって乾燥や草原が出現した。アフリカ大陸はこの寒冷・乾燥化の影響を最も強く受け、以後何度も大規模な(類人猿を含む)動物の絶滅や移動が繰り返された。
この頃人類の祖先が類人猿から分岐した。ブラキエーションもナックル・ウォーキングもやめて、二足で立って歩き始めたとき人類の時代が幕を開けた。人類の祖先は原猿類から類人猿に至る過程で獲得した能力を十二分に利用し、それを改良したはずである。家族の成立も、生き残る上で生み出したいくつかの方策の一つだったに違いない。
読んでもらってありがとう。
次回は「霊長類の社会構造」を紹介します。人類の進化ストーリーまで後何回かはできるだけ正確に整理した上で、批判を加えたいと思います。
- posted by okatti at : 2008年04月19日 | コメント (3件)| トラックバック (0)
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comments
この視点には大いに同感です。
霊長類の間で凄まじい種間闘争があったことは、『初期人類は骨を食べていた(番外編)』でも十分に伺えますね。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/07/000417.html
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/07/000418.html
そうでないとあれほどニッチに適した手や口の多様性が生まれないように思います。
岡さん、コメントありがとうございます。
原猿の祖先は、樹上に逃避した食虫目ですが、種間闘争で優位な種は本来の食性の昆虫食を確保、一方負けた種は仕方なく新しい食物を開拓せざるをえず、果物や葉を食べるようになったようです。
ここでも「逆境⇒どうする?⇒新たな可能性の実現(新たな食性・ニッチの獲得)」という進化が見られますね。
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