2006年09月11日
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 1
雲南省の西北、四川省との省境に瀘沽湖という湖がある。この湖の周囲にモソ人と呼ばれる人々が住んでいる。母系社会を営む人々として、文化人類学的にも、観光地としても、よく知られた存在となっている。
>観光客の目当ては、母系社会を維持し、妻問いをしている人々への興味である。それに応えて、村人たちも「摩梭人走婚」(モソ人は妻問い)を観光客に積極的に説明してくれる。ある男性が夜道でも懐中電灯なしにすたすた歩いていたので、それを褒めると、彼は始めて我々に会ったにもかかわらず、「我々モソ人は走婚(妻問い)で、毎晩、女のもとに通っているから、道は全て覚えている」などと話しはじめた。(母系社会を営むモソ人の村へ)
>「走婚」とは、中国民族学(民俗学)の学術用語であるが、男女はそれぞれの実家で生活・労働しており、夜になると男が女のもとに通うという子の生産の形態を指している。モソ人は、この形態を”セ”、或いは”セセ”とよぶ。”セ”とは、歩くという意味である。中国語で”歩く”は”走”であるから、中国民族学の用いる「走婚」とは、”セ”をそのまま、一種の婚姻の名称としたものである。(同)
>現在、就学年齢に達した子供の多くは、小学校に通っているが、小学校では、「漢族は一夫一妻制、モソは走婚」と教えられているようだ。民族のアイデンティティは、他の民族との関わりにおいて必要になるものであるが、モソ人の場合、一夫一婦制の漢民族に対して、「走婚」する民族というのが、学校教育やさらに現実的には観光客に代表される他民族のとの関わりにおいて、彼ら自身のアイデンティティとなってきているようだ。(同)
>後にも触れるが、彼らにとって妻問いは本来秘密にすべきことであり、個人的な妻問いを語ることは恥ずかしいというのが、彼らの伝統的な感覚である。学校教育や漢民族との接触において、妻問い相手を「妻子」(中国語で「妻」のこと)として紹介されもしたが、こうした新しい感覚ができあがってきている。(同)
共同体の人々にとって、自分達の婚姻様式は、秘密にするものでもなければ、あえてアピールするものでもない。それは、集団にとって不文律の規範だからだ。
秘密にする必要が生じたということが、漢民族からの婚姻制度の強制を暗示している。また、民族固有の婚姻様式を破壊する必要(一夫一婦制の強要)があったことは、それが国家を統合する意味でどれだけ重要な位置にあったかを示している。
モソ人に対する興味とは、単に異文化に対する興味というよりは、先進国では徹底的に破壊されてきた共同体規範を現在形で保持している点にあるのではないだろうか。(by石野)
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共同体社会と人類婚姻史 | 「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 1
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