2020年09月03日
これからの共同体社会はどのように創られていくのか-13
このシリーズも回を重ねてきたが、現状の政治状況や行政の体たらくを見るにつけ、共同体を創造していく必然性を、まさに強く感じる今日この頃である。
前回は、まともに外圧をとらえそれに適応していくためには、自立した集団で受け止め、課題を乗り越えることが不可欠だあることを述べた。現政権とは対極であろうことは皆さんも同意されるところではないだろうか。
今回は、共同体としての課題として教育(学び)のあり様に踏み込んでいく。人類史上、自集団が教育機能を包摂していることが当然のことであり、哺乳類一般に拡張しても、この事実は当てはまる。ところが、現代の学校制度は、集団が解体されて肝心の教育機能が外注化されてしまったことを示す。
逆に、生産集団としての企業などには社訓や掟などの規範を共有することや実際仕事上での指導により教育機能を残しているところもある。これは均一化、平準化して本当に必要な追求力を奴隷を再生産するたぐいの学校制度では現実の課題に対して役に立たないことを示唆している。
やはり、教育は共同体の核心をなし、絶対に手放してはならない集団の課題と捉えるべきである。そこで、かつての村落共同体の「寺子屋」、そして「職人」の技能における学びを探っていく。
- posted by KIDA-G at : 2020年09月03日 | コメント (0件)| トラックバック (0)