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2020年10月20日

2020年10月20日

古代遺跡からわかる人類本来の性

いつか私たちの体と心は、別物のように切り離されてしまったのだろうか?男と女んの間でも、「体だけの関係」「体だけ貸している」といった言葉が、いつしか風俗の商売用語としてではなく、日常用語として当たり前のものになってきている。
『なぜ、性の真実《セクシャルパワー》は封印され続けるのか』著者の夏目祭子氏は、現代人の性は歪められれていると論じているます。
以下、同著から引用します。

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歪められる以前の人間本来の性のあり方、(それは、人間の営みが一律・機械的な制度に統制されるのではなく、自然の愛情交流から生まれた共同体によって機能していた頃のこと)日本で言えば縄文時代、海外ならさまざまな戒律の厳しい宗教によって、人々の心と生活が規制される以前の神話にぼかされた時代にまで遡らなければ見えてこないだろう。その頃の世界の共通項は、「性」が「聖」なるものであったということだ。

そして、本来の「聖なるもの」といういうのは、「今ここに生命をいただいているということを、高らかに謳歌する」といった感覚なのだ。男女がセックスをしている時には、自分と相手の命と肉体がここにあることを、さらに二人がこの交わりの場を許されていることを、それらすべてに対する感謝と賛美の思いを、全身から溢れるように発散し、周囲へ放射しながらするものだったろう。

当時の人々にとってセックスは、「大いなる自然現象」の仲間だった。それは、日本はもちろん、世界中の古代遺跡から、女陰は男根の形をした大小様々な塑像や彫刻があれやこれらと出てくるものを見ればわかる。おそらく当時の人々は、互いの性器を、ありがたい自然の延長として取り扱っていたのではないかと思われる。何しろ、女陰や男根の造形は、ある時は大スケールで神域に祀って拝み、またあるときは小型の護符として家内で愛用する「御神体」の扱いだったのだ。

多神教の時代の神々とは、目に見えないが世界の空間に満ち満ちているエネルギーのうち、一定の性質と志向性をもって力を現すものに対して、人格を付与して敬っている。そして、神々のセックスが象徴していたのは、世界を構成する二大要素である「女性エネルギー」と「男性エネルギー」との結合であった。つまり、女性エネルギーの塊である女神と、男性エネルギーの塊である男神とが交わることで、世界にさまざまな事物が現象化したのだと言える。

そしてこの二つのエネルギーは、人間の男女のどちらの体内にも内蔵されている。これは、ヨガや気孔をはじめ、多くの体内エネルギーの鍛錬法が伝えるところでもある。ならば、人間同士のセックスも、互いの持つ女性エネルギー、男性エネルギーの二重の融合によって、あたかも神々が野山を産むように、新しい「命の素」を世界に産み出すものと言えるはずだ。

当時の人々は、その感覚を誇らかに楽しんだのだろう。それは、時には神秘な巡り合わせで子供を産むときもあるが、まずはじめに、ただお互いの生命力を新しくするのに役立つことであったのだ。

「聖なる性」の時代はまた、女が女神でいられた時代でもあった。新しい命を腹から産み出す力を持っていること。また、たとえ産まなくても月経という規則正しい自然サイクルを体が表現するようにできていること、つまり、女性は自然の体現者だった。だからそうではないない男性たちは、女性の力を頼りにした。自分と世界とを結びつけてくれる、その力を。

太古の文明の名残を示す、世界各地の巨石遺跡には、春分・秋分や夏至・冬至という太陽の公転周期の節日にだけ、太陽の光が正確に小さな穴を貫き通すといった仕掛けに造られているものが多い。この事実から、大古の文明では、天体観測や暦に関する知恵がかなり重視されていたことがうかがえる。なぜなら、天体の規則正しい運行と、人の体の生理的な周期が相関関係にあることを、当時の人々は心得ていたからだ。実際、古代の共同体社会では、そこに暮らす女性たちは、満月の日にほぼ一斉に月経が始まったという記録もある。

当時の人たちは、空でも大地でも、自然が人間のコントロールを超えて動くものだという事実に逆らず、自然自身が持っている「意思」を感じ取りながらいきていたのだろう。それをさまざまな「神」として聖別したのだ。

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