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2020年12月15日

2020年12月15日

ジェンダーフリー教育の弊害

リンクにあるように、生物史を遡ればオスとメスに分かれた理由が明確です。
また人類においては、人類初期の過酷な外圧にも生き延びることができたのは仲間の存在があってのこと。
その中でも男女間の充足や互いの能力を生かしての助け合いが生きる上で非常に大きな活力源になっていたと思われます。
生物史においても人類史においても男女が存在するのは自然の摂理であり進化の根源なのだと思います。
それに照らし合わせると、現代のジェンダーフリー教育は、大きな弊害を及ぼすものだと認識する必要があります。

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ジェンダーフリー教育の恐るべき「弊害」
リンク「日本政策研究センター」より引用)

「男らしさ・女らしさではなく、人間らしさ」は空理空論
ジェンダーフリーは子供の健全な人格を破壊し、結婚離れを加速させる。そうなれば、家族が崩壊するだけでなく、社会の崩壊にも直結する。

「男らしさ」や「女らしさ」など、男女の性差を否定・解消しようとするジェンダーフリー教育が全国各地の教育現場に浸透しつつある。例えばピカピカのランドセルを背負って今春入学した一年生たちは、「男の子が黒いランドセル、女の子が赤いランドセルというのは親や社会が勝手に決めただけ」と言われ、ランドセルの色を男女で区別するのは間違いだと教えられる。また高学年の子供たちは、教科書やテレビ番組などの登場人物について、「男子がズボンをはき、女子がスカートなのはジェンダー・バイアス(性別による偏り)があるためだ」などと教え込まれ、そうした「バイアス」に敏感になるよう要求されたりする。

このように、ジェンダーフリー教育とは、「区別は差別」という観点から、男女の一切の区別を許さない極めて偏狭な人間を作るための洗脳教育なのである。そればかりか、その推進者たちが理想とするのは雌雄同体のカタツムリであるともいわれている。つまり、日本の子供たちを男でも女でもない雌雄同体の「無性人間」に改造してしまおうというのが、ジェンダーフリー教育に秘められた目的ともいえるのだ。

これを笑い話というなかれ。現に福岡のある高校では、男子と女子が同じ教室で日常的に平然と着替えをするという驚くべき光景が見られるのだ。その多くは小学生の頃からジェンダーフリー教育を受けてきた生徒たちであるという。つまり、異性に対する思春期特有の恥じらいの感覚のなくなった子供たちがすでに出現しているわけだ。こうして本来の正常な感覚を失ってしまえば、精神的な意味での「無性人間」まではあと一歩といってもよい。

(中略)

ジェンダーフリー教育の推進者たちは、「男らしさ」や「女らしさ」などよりも、大切なのは「自分らしさ」であり「人間らしさ」であると主張する。しかし先のような林氏の見解は、こうしたフェミニストたちの主張がいかに危険きわまりない空理空論に過ぎないかを教えているといえる。結局、性差否定の教育によっては「自分らしさ」は確立できないし、そればかりか「心の病」に陥ってしまい、「人間らしさ」を失ってしまうことにもなりかねないからだ。

ちなみに氏によれば、特にこうした弊害は女子よりも男子の方が大きくなる危険があるという。「心理的に去勢されてしまい、男性の本能行動にとって必要な積極性を失ってしまう者が出てくる可能性がある。 単に本能行動ができなくなるだけでなく、男子が男らしさに欠けると、男性としてのアイデンティティーを明確に持てなくなり、自信喪失、無気力、現実逃避などの弊害が出る」というのである。

(中略)

◆男女の性差は「人類の知恵」
では、このように「百害あって一利なし」のジェンダーフリー教育に対して、われわれはどのように反撃していけばよいのだろうか。まず、何よりも必要なのは、ジェンダーフリーの考え方そのものの誤りを徹底的に国民に知らしめることである。

では、その誤りとは何か。改めて繰り返すまでもなく、ジェンダーフリーとは、「男女の性差は社会的・文化的に獲得されたもの」だとの理由によって、その性差を全てなくそうとする主張である。そこには二つの根本的な誤りがある。第一に「性差は文化や社会によってのみ出来上がる」という誤りであり、第二に「性差は悪であり、なくすべきだ」という誤りだ。
(中略)
さらに強調したいのは、男女の性差は悪であるどころか、人間社会が存続していくために絶対に必要なものであり、それは「自然の知恵」「人類の知恵」とでもいうべき実に貴重なものだという事実である。

人間を含む生物一般には雌雄の区別があり、また雌雄は精神的な態度においても対照的な性質をもっている。例えば大部分の生物において、たいていは雄の方が雌よりも積極的で攻撃的である。これはなぜかというと結局、生殖行為における積極性や外敵との戦いを、主に雄の方が担わなければならなかったからである。この意味で、生物一般に見られるこうした一種の性別役割分担は自然が授けた知恵ともいえる。これを林氏は生物が生き残るための「優れた戦略」であると指摘する。

人間の「男らしさ」「女らしさ」と呼ばれる性差は、こうした生物としての人間が生き残るための性別役割分担の一環として捉えることができる。つまり「男らしさ」「女らしさ」は、男性と女性の理想を概念化したものではあるが、根本的には人間の生存自体のために不可欠な性別役割分担をうまく機能させるために生み出されたものなのである。

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