2021年04月01日
閉鎖独占から解放共創へ~核家族の崩壊
前回までのシリーズでは、支配から自主管理へという視点で可能性を展開してきた。今回は、特に社会的にも問題が噴出している核家族に焦点を当てたい。メディアでもしばしば報じられているが、核家族がはらむ問題は深刻で悲惨な事件が示すように社会的に崩壊していく様相である。
その原因は、世代間の断層でもあるが、閉鎖した場で独占意識に根差した場であることに起因する。特に恋愛結婚により、規範意識さえ持ちえず自分勝手な思い込み、独占意識、さらには子供への所有意識がいびつに肥大したことが大きい。時代的には貧困の圧力から脱し、大家族の田舎から都市での核家族が主流となってから家族という集団としての劣化が始まったといえる。
それは核家族というもの自体が、本来子供を産み育てる安心できる場=生物一般でいえば縄張りである家庭という機能がはじめから外注化され社会的な機能を持っていないからである。つまり、仕事=生物一般でいえば縄張り闘争も家庭にはなく、出産、育児、教育も大半は外注化され分業化されてしまった。つまり課題が喪失してしまい、自分勝手な判断が横行し子供への虐待へと進行していくことになる。核家族では、父親、母親が単独で対立しやすく、そして絶対化してしまう構造にある。その危険性を意識している親はどれだけ存在するのだろう?
そういう場に閉じ込められた主婦は自由自在に過ごせるはずだったのに反して、社会空間に出ていく意識が強くなっている一方、子供への管理圧力をますます強めてまさに虐待しているかのような父親、母親も目立つ。そのような場からさっさと家出して放浪している若者も見逃せない現象だ。つまり、核家族という閉鎖した独占欲を満たすだけの空間はすでに崩壊しているのである。そして社会に開放された(つながっている)安心できる縄張りを模索し始めているともいえる。
そういう記事を紹介したい。
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2021年04月01日
白人(欧米人)の意識構造の解明(2) 牧畜→遊牧によって何が変わったか?
近代世界は白人の世界征服によって形成されたと言っても過言ではありません。そして、白人(印欧語族)の出自は、狩猟部族→牧畜部族→遊牧部族→交易部族という段階を経て略奪集団に至ったという流れを、どの集団も例外なく経ていると考えられます。
前回の記事(リンク)では、狩猟部族が牧畜を始めたことによって、
1.常時蓄積された財が登場し、はじめて財産意識が登場したこと。
2.人間がを飼い馴らすという自然の摂理に反する行為が登場したこと。
を扱いました。
今回は、牧畜→遊牧に転換したことによって、集団の意識がどのように変わったをテーマとします。
るいネット『遊牧の段階では、何が変わるのか?』(リンク)より
◆遊牧の起源。何故、牧畜→遊牧に変わったのか?
牧畜という生産様式は世界中の至る所に存在するが、遊牧は中央アジアから東アジアにまたがる広大な草原ステップの帯の地帯にほぼ限定されている。ここは乾燥度が高く、家畜の餌となる植物が少ない。そういう生産力が低い地域で牧畜→遊牧に転換したのである。
遊牧の移動様式として、2つ考えられる。
①牧畜母集団があって(餌が少なくなったので)斥候部隊(男集団)が派遣されるケース。
②男集団だけでなく、女・子供も一体で動くケース。
しかし、女子供も一緒に動いたケースはほとんどないであろう。まず他に餌がある場所が見つかっていない場合は、女・子供も一緒に動くことは、生存確率が非常に低い決死行となり、部族滅亡の危険性が高い。
また、当時の牧畜集団の人数規模は100人程度だったと推定されるが、この規模の女・子供含めた母集団が食っていける場所があるはずがない。だから女・子供連れて移動したとは考えられない、乾燥化などによって食糧生産力が7~6割に落ちた段階で(多くて10人程度の)斥候部隊を何方面かに派遣して、各男部隊が1~2割程度の不足分を遊牧で補っていたはずである。
◆母集団と遊牧男集団の重層社会
遊牧によって史上はじめて人工的な男集団が登場し、かつ、それまでの単位集団とは違う、牧畜母集団と複数の遊牧男集団という重層集団(社会)がはじめて形成されたのである。遊牧部隊の移動距離が1~3ヶ月までならば狩猟時代と変わりがないが、遊牧部隊の移動は家畜の餌となる植物植生によって決まるので年間コースとなって、1年間母集団に帰ってこないことになる。
牧畜集団で財が登場していることは既に述べたが、財は母集団の女ボスが管理している。これは単なる母系ではなく、財の管理→集団の実権は女ボスが握っているということであり、母権社会と呼ぶのが適切である。女の分配も女ボスが差配している。
狩猟部族の時代はその婚姻制は勇士婿入り婚、牧畜に代わっても勇士婿入り婚を踏襲していたが、そこでも実権(選択権)を握っているのは女ボスである。
しかし、1年間に1回しか遊牧男集団が帰ってこないのでは、婿入りという実体はなく、そもそも1年間の禁欲生活は男女ともに無理がある。とりわけ、遊牧男集団の方でそれが問題化する。母集団には男もいるが、遊牧集団は男だけだからである。そこで母集団に対して「女よこせ」要求が出てくる。
◆婚姻制が母系婿入り婚→父系嫁入り婚に転換し、同時に母権集団→父権集団に転換
しかし、それだけでは父系へは転換しない。女・子供を連れて遊牧を続けるための手段が必要で、それが馬の使役である。概ね6000~5000年前に馬の飼育が始まり、荷運びに馬を使役するようになったことではじめて、女・子供を連れて移動することができるようになった。
そうして、遊牧男集団の「女よこせ」要求に対して母集団が女を分配するようになり、婚姻制度が母系の勇士婿入り婚から父系の嫁入り婚(父権多妻婚)に180度逆転する。同時に、財産(家畜)は男のリーダーが管理するように変わり、集団の主導権も男に移行する。
それでも部族全体の統合は必要なので、それぞれの遊牧集団ははじめは母集団に戻ってきたが、母集団を介さず遊牧集団同士で婚姻を結ぶようになると、母集団の存在理由がなくなってゆき、母集団が消滅したことで遊牧部族は完全に母権から父権へ転換する。
但し、母集団がなくなって以降も、それぞれの遊牧集団が単独分離したわけではなく、全遊牧集団が年1回集合したり、早馬で連絡を取り合うなど部族統合は維持され続けた。
人類500万年間、女たちは女集団の中で生きてきた。母系の段階では女たちの生まれ育ちはみんな一緒であったが、父系になるとそれぞれの集団の女たちの出自はバラバラなものになる。女たちの共認充足空間の中に隙間風が吹くようになり、とりわけ、嫁取り交渉では集団の財が多い方が交渉が有利に運ぶので、各氏族の蓄財意識が高まってゆく。こうして出自の違う女同士の間で私益の対立が発生しはじめる。これが相対自我の芽生えであり、遊牧→父権転換(嫁取り婚)から自我が発生したと考えられる。
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