2021年04月22日
本源の性教育とは?~ヒントは日本の村落共同体の若衆宿と夜這い~
「性についてすごく興味はあるけど、友達と話すとついついふざけちゃう」
「SEXやHって言葉にするだけで、恥ずかしい」
「家族と性について真面目に話すなんて、ありえない!」
現代の日本で普通に暮らしていたら、“性”という話題に対して、こんな反応が当たり前になっています。さらに、こうした性へのタブー視の結果、性に関して無関心な若者や嫌悪感まで抱くという状況に陥っています。
性に対して、もっとまじめに、真剣に、楽しく話すことができたらいいのに…。
そう思ったときに、でも“性”について、何から学んだらいいんだろう?(学校の教科書はなんか違う)
そもそも学校もない時代の昔の人たちは、どうやって性の営みを伝えてきたんだろう?(親から子へ?)
と行き着きました。
歴史を遡ってみると、どうやら「性教育の最大のヒント」は、日本の村落共同体にあることが見えてきました!
キーワードは、「若衆宿」と「夜這い(よばい)」です。
夜這い婚の情景①より
■若衆宿
その頃は、一人前と認められ、若者宿への参加が認められることが、子供の楽しみであった。十三、四、五歳から参加が認められ、結婚するまでの間、毎年農閑期の何ヶ月間か、そこで共同生活をしたものだ。中には、一年通して、つまり数年間、若者宿で過ごす者も、少なくなかった。彼らは、農繁期の強力な助っ人として、重要な存在であった。共同生活を通じて、親からの躾とは違う、共同体の一員としての ケジメ を先達から教えられる場であった。また、年に何ヶ月かの共同生活を、数年繰り返すことで、自然と仲間内の序列、派閥なども形成されていった。つまり、仕事のときの采配はだれだれ、遊びはだれだれ、交渉ごとのうまい奴、物資調達のうまい奴、情報通のものなど、互いに相手を知り合う機会でもあった。
■夜這い規範
夜這いといっても、誰もが好き勝手に、女の家へ忍び込んだわけではない。通常、相手の娘が、承知してくれた場合のみ、あるいはその娘が、自分の誘いに応じてくれたときのみ、夜這いに行けたものである。相手の望まない夜這いは、無理に忍び込み、ことに及ぼうとするとき、娘に騒がれて、親に捕まった時など、村のさらし者にされる恐れがあった。また、忍び込んだ娘の家で、あまり無茶をしないよう、夜這いの礼儀作法というものも教えられた。先達たちが、四方山話の一環として、面白おかしく話すこともあったが、実際は、ベテラン女性に、手取り足取り教えてもらったものである。
■性の指導
若者宿ではまず、新入りには忍び込みのテクニックを教える。そして筆下ろしのため、先輩が事前に了解を得て、ベテランの女性に、童貞の子への筆下ろしを頼んだものである。上農の場合には、元服の際、両親が相談し、親類縁者のなかから、これという女性を選びだして依頼し、文字通り手取り足取り、女性の体の 造り を教え、扱い方 の指導を任せたものである。娘の場合も、赤飯を炊いて祝った夜、一族の年配者や、主家筋の、しかるべき長老の誰かに、水揚げというか、道を通してもらうのが慣わしであった。そうしておかないと、夜這いされたとき、戸惑うことになる。そして、母親や叔母さん、先に一人前になっていた近所の姉様たちが、具体的に心構えや、手練手管を伝授するなど、共同体の一員としての教育がなされてきたのである。
村落共同体の時代には、共同体の一員として、若者に手取り足取りの性教育が成されていたことが分かりました。
その中身も、現代のような避妊の方法や身体の仕組みを学ぶことではなく、「男女の営みをどのように楽しむか」や「ベテランから若者が実地で学ぶ」など、かなり具体的です。(でもこっちの方が断然楽しそう!)
では、海外の場合はどうか?他には?引き続き、探索してみます。
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2021年04月22日
閉鎖独占からの離脱~企業の持つ可能性~
前回は、育児に焦点を当てて、現状の家庭や学校の閉鎖性や独占性から離脱しなければ、人はまともに育たないし、本来の共同体社会へ移行できないことを述べた。
その意味で生産課題を担う企業はどうだろうか? 日々生産という闘争局面で社会のまともな圧力=期待をうけている全うな企業であれば人材は育つが、社会情勢として「売上」だけに終始している企業はもはや欠陥だらけとなっている。本来、企業なるものは社会の公器であり、家庭や学校などの機能を包摂した存在であるはず。市場社会での歪んだ売り上げ主義が企業の在り方も変容させてしまった。そこで働いている人々の意識も、本来は社会の役に立ちたいという思いが根底にあるはずであるが、ぶら下がり、指示待ち、展望が見えないなど負の意識が蔓延する状態に陥ってしまったようだ。
それは、自分たちの会社という意識を分断する株主、経営者、社員という欠陥をはらんだ存在にあること。そして、本来の能力ヒエラルキーとは異なが歪んだ体制と局部的な課題しか担えない役割にありそうだ。それでも貧困の時代には目標が明快であったことや、全員でその貧困に立ち向かうことで貧困に勝つという意味で活力があった。その目標が喪失した時代になって変化できない企業から力が失せてきたのである。
社会の役に立つということは個人レベルでは通用しない厳しさとともに壮大さがある。それを乗り越える意欲から生まれる人間力(追求力やまわりを充足させる力)が前提にあり、その志を実現していく組織力、戦略をもつことにつながる。その実現の延長に共同体社会が待ち受けている。
今回もそのような可能性を示す記事を紹介したい。
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2021年04月22日
白人(欧米人)の意識構造の解明(5) 西洋民主主義の欺瞞と異常な性観念
「民主主義(デモクラシー)」の起源をたどると、ギリシャ・ローマに行きつきます。そこでは、自分たちのことを「市民」と称していましたが、これは共同体の成員ではなくなったので、新たに作り出した概念です。しかも平等を口にしながら、市民だけが平等で、一方で市民の人口の数倍の奴隷を使役しているのです。しかも、ギリシャの哲人たちもそのことに自己矛盾は感じておらず、平気でいました。
ギリシアの時代から同じ人間を奴隷として使役してきたのが白人(西洋人)ですが、その発想の原点は家畜を飼い馴らすことであり、人間を家畜同様に飼い馴らすという発想から奴隷制が登場したと考えられます。
白人が侵略性や騙し性が強くなったのは、彼らの出自が略奪集団(山賊・海賊)であり、一貫して、侵略・支配することしか考えていないからです。
◆白人(西洋人)の精神構造はどうなっているのか?
るいネット『西洋人の精神構造と異常な性意識』(リンク)より
自我を制御するのが規範共認であり、西洋人がそれを喪失しているということは、彼らがとことん自我収束し、自我の塊になっていることを意味する。これが西洋と東洋の違いである。
①自我は他者否定と自己正当化の塊であり、
②自我の塊であるということは、「みんな仲間」という感覚を肉体的に喪失しているということと同義である。言い換えれば、本当の意味での平等意識を欠片もないのが西洋人である。
③他人を同じ人間とは見なしていない。他人は家畜同然であり、実際、ユダヤ教の聖典にはそう書かれている。つまり、潜在意識では他人を家畜視しており、「こいつらは人間ではないんだから(家畜なんだから)、騙しても支配しても(殺しても)良いんだ」と思っている。
あるいは、自分たちだけは自由・平等で、その他大勢の人類は自由でも平等でなくても平気で居られる(日本人から見れば、彼らの「思想」には論理整合性が欠片も無い)。要するに、自分たちとその他の人類とは別の基準=己に都合の良いダブルスタンダードになっている。これが西洋人の騙しの構造である。西洋人の観念群は共認基盤たる共同体や規範を喪失したために、(何もない所から)己に都合よく捏造した架空観念なのである。
モンゴルやアラブにおいては氏族共同体や規範共認が残っており、この規範観念群は集団や社会の全員が共認しており、同時に全員に適用されるものである。そこではダブルスタンダードは許されない。だから彼らはダブルスタンダードでは決してない。
◆西洋人の異常な性意識
例えば、女に対する怯え、「良き父親観念」、純潔主義と不倫のタブー、貞操帯、魔女裁判、禁欲主義、男女同権をはじめとして、枚挙に暇がない。
前提条件として、人類は一貫して母系であり、牧畜集団においても母権制であった。女主導であれば性はオープンになる。その象徴が、1000年前のインドの男女和合の場を神殿の壁一面に描いた彫刻であり、アラブの女も一夫多妻で囲い込まれてはいるが挑発性は高く、略奪闘争以前はインドと同じく性文化が豊かであっただろう。これは縄文人→日本人も同様である。
☆それに対して、西洋人の性意識は異常である。なぜ、そうなったのか?
略奪集団は男集団であり、女は現地調達するしかない。つまり略奪婚となる。男たちの女に対する発想は、力の原理で女を調達して、あとは家畜と同じように女を飼い馴らすというものである。この力の原理で支配するという発想は今も全く変わっていない。
ところが、ここに根本的な矛盾がある。力の原理は男の原理であり、女が主導する性原理は全く別の原理であって、力で押さえつけられるものではないのである。従って当然、女たちの反乱が起こる。具体的には不倫や子供の囲い込み(子供を人質という意味で「子質」)。
それで西洋人の男たちは反省すべき所を、あくまで力の原理で女を支配しようとする、その根性は変えなかった。その発想は今も全く変わっていないようで、レディーファーストも男女同権も良き父親も全ては、女を支配しようとする意識の裏返しである。これは、本音では家畜視している他人を支配するために平等を口にするペテンと同じ関係である。
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