2007年01月14日
チベットの子供の性教育と縁談のまとまり方
チベットの一妻多夫婚―父系制の特殊形態― の続き。
彼らの生活と縁談について紹介したいと思います(川喜田二郎著『ネパール王国探検記』1957年より)。
7000メートルを超える雪山の間を刻んで流れる川の流域にあるチベット人村、カルチェ村に1ヶ月半住み込んでの調査記録です。
(写真はカルチェ村から見えるガネッシュ・ヒマール)
村は、20度はありそうな急傾斜な段々畑が何十町歩も広がっている中ほどにあり、人家は三ヶ所に分かれてかたまっている。畑にはオオムギやコムギが栽培されており、畑のつきる周囲には森林と荒地(牧場)がある。
(写真は同様な地域の段々畑)
※写真はともに地球一周旅行さんより
●子供たちの放牧と性教育
「近い牧場」には子供たちが放牧に行く。「遠い牧場」にはオトナが、ときに1週間くらい泊りがけで行き、塩をやったりする。マムゾウ(メスのゾウ)や牛を持っている連中は、5月中旬から9月頃までそこに放し飼いにしたままである。
乳をとるマムゾウや畑をすく牛、それから羊や山羊は、畜舎に入れて飼う。彼らの家は一階が畜舎と物置、二階が住居になっており、朝になると子供たちが家畜を階下の畜舎から追い出し、たそがれの迫るころ帰ってくる。
男の子も女の子も8歳になると牧畜に出かける。友達からここで、牛や羊の番の仕方や、困ったときの対処法、他にも氏族のこと、村のこと、恐ろしい悪魔や神様のこと、要するに社会的知識と訓練の万般を教わる。
13歳ころになると、男の子は商業をやる術を人から見習う。女の子は自分の家庭の仕事を一人前に手伝うようになる。
男の子は8歳くらいで性的知識を得る。家畜の交尾を見て疑問を持ち、年上の子供から教わるのである。好奇心からやってみたい衝動に駆られ、女友達のある男の子は、牧場や森に彼女をつれだして実験してみる。女の子も家畜から暗示を受け、主に男友達から強いられて学ぶ。
セックスの第二期の訓練は、男の子が14から16くらいになったときで、彼の兄の妻が手ほどきをしてくれる。(このまま兄弟一妻婚になっていくんですね♪)
●縁談
縁談のまとまり方は、両家の父親の話合いでまとまる場合と、恋愛結婚の二通りある。
1.両家の話合い
息子のほうの意志はある程度打診する。しかし娘の意志は聞かないで事を進める。婚約まで一言も言わない。(☆女の権力の強さを無視して大丈夫?と心配されるが、時にきっちりどんでん返しが待っています。)
婚約は次のようにして決まる。縁談を申し込む父親は、相手方の父を訪問し、もし承知となるとともどもに酒を飲んで歓待される。入れ替わりに今度は申し込まれたほうの父親が相手を訪問し、また一献くみかわす。これで婚約が成立する。もっとも、父親は正式の折衝者であって、それぞれが女房にお伺いを立てないで独断専行すると思ったら大間違いだろう。
婚約後、父母は息子にすすめて、嫁方の家を訪ねて2、3日泊まってらっしゃい、という。息子がやってくると、嫁方の両親は歓迎するが、娘はまだ何のことか知らない。夜になると、両親は自分の娘に、その息子と一緒に寝るようすすめる。そうして、婚約後数日経たないうちに事実上の夫婦関係を結んでしまうのである。
ところが、両親のすすめを拒んで息子と同衾はお断りする娘が時々あるらしい。親はあわてて説得、あるいは強圧的な態度で臨んでも、なお抵抗する娘がある。
娘の切り札は、髪を自らオカッパに断ち切って「ラマ尼になりたい」といって両親を脅かすことである。それでも破談にしてくれないと、最後の切り札「自殺する」といって脅迫することだ。(実際、このようにして破談になるケースがあるのである!)
2.恋愛結婚
霧深い森や牧場の交わりからはじまり、青年と乙女の愛が真実だと感じたとき、彼ら、特に青年は、父親を通じて相手の父親に申し込む。こうして結ばれる夫婦もある。
このようにチベット人の縁談は、あくまで氏族や家族という血縁集団の原理を貫こうとするが、個人(特に女性)が自分を押し通そうとする原理に敗北していく過程を辿っているのである。
読んでもらってありがとう(^_^) by岡
- posted by okatti at : 2007年01月14日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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comments
母系社会では二人(二種類)の父親をもつことになりますね。
一人は母親の夫で、親密さにもとづく個人的愛着の強いきずなによって子供と結びつく父親。
もう一方は母親の兄弟で、子供を指導し教育する責任をもつ父親。
当然、母親の兄弟が主導権を握り、夫は付け足し程度に過ぎない。
それに対し、父系社会での心理的不安の一つは(母親のそれは一旦無視し、父子関係に限定すると)、子供の父親に対する愛憎葛藤にあるとする考え方があるそうです。
つまり、一方では愛情あふれる父親、しかし一方では指導者であり懲罰者という、時には相反する二つの役割をもたざるを得ないところから来るそうです。
ありそうですね。あふれるほどの愛情は母親からもらうので、男親は指導的関係で関わったほうがうまくいくように感じます。その意味でも母系社会の方が優れているように思いました。
ただこの当時のものをそのまま適用すればいいかというと、恐らくダメで(現在は家族と生産集団の間に断絶がある)、両者をつなぐ必要がありますね。
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