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2007年01月13日

タイ族の「ピー信仰」

タイは仏教国ですが、タイ族は仏教に加え古来のピー信仰も残しています。
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ピー信仰とは(Wikipediaより)

ピー信仰とは特にタイ族によるアニミズム(精霊信仰)を指して用いられる言葉である。ピー タイ語において「精霊、妖怪、お化け」の類を説明するために用いられる言葉である。バラモン教、仏教伝来などの外来の宗教伝来以前に顕著に見られたタイ族全般に見られる信仰の形態であり、現在でもそれらの宗教の影響を受けながら、信仰する傾向がタイ族に見られる。

阪市立大学岩田慶治の「タイにおけるピー信仰」によると、ピー信仰の展開の過程は3つの段階に分けられます。

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のぶさんのアジア通信』「第2章 照葉樹林文化 第21項 精霊信仰」より

●第一期「浮動するピー」の時期

そこではピーの性格は未分化であり、山河の自然により、あるいは草木虫魚となって出没した。草木みな物いう時代である。だから、ピーの所在は明かでなく、巨木・巨石のもとに臨時に祭りの場を定め、供物をささげてピーの心を和らげるだけであった。また、この時期にはピーと人間社会を媒介する特別な人、つまり呪者は発生せず、村の信仰、家の信仰という信仰主体の分化もみられなかったかもしれないという。
●第二期「去来するピー」の時期
さらにA,B,Cの3段階に分けられる
<Aの段階>
もろもろのピーの中から村人すべての先祖のピー、村人の守護者としてのピーが選び出され、森の中の小祠に祭られている。しかしピーはこの村祠の中に住んでいるわけではなく、祭りと村人の祈りに応じて出現し、また帰還する。つまり去来するわけだ。また、この段階になると、ピーの未来を占い、ピーの意志を代弁する「巫」があらわれる。しかし、個々の家族の祠はまだみられない。
<Bの段階>
村の守護に任ずるピーのほかに、より広域の「クニ」を守護するピーが祭られるようになり、二棟の祠堂が並び立つようになる。守護神ピーの勢力拡大と地域の分担があらわれはじめるわけだ。呪者や巫女の役割はこの段階では、よりすすみ、神態(かみわざ)、神楽(かぐら)の発生というところまでくる。ただし家ごとのピー祠は、まだ十分発達していない。
<Cの段階>
呪者や巫は、むしろ司祭として祭りの執行を司るようになり、その司祭の後継者の決定にも一定の手続きが規定されて、祭りを行なうものの組織化がすすむ。専門神職の発生まであと一歩というところまできているといえる。また、この段階では村とは別に家ごとのピー祠があらわれ、そこに家の先祖のピーが宿るといわれている。このことは、「稲の生産性の高さ、稲作における個別家族の経営の卓越、父系親族(氏族)の欠如といった現象とあわせて考えるとはなはだ示唆的である。つまり、生活の安定とともに家族単位の生活が強く顕在化したということであって、固有信仰もこれと歩調をあわせて、村落社会の行事と家族の行事とに分化したことを示しているからである」と岩田氏は指摘している。いずれにしてもこの第二期では、ピーは祭りのときにピー祠に降臨し、祭りが終わるとピーの国に去る去来するカミとしての特色を失っていない。
●第三期「常住するピーの時期」
ピーはもう去来するカミでなくなる。この期における典型的なピー祠の形態は、バンコック周辺にみられるプラ・プーム(屋敷地の片隅に立てられている小さな柱上祠)で、ここではその小祠の中には神像がおかれるようになり、ピーがいつもそこに宿っていることを示している。またこのプラ・プームの信仰は純粋に家ごとの信仰であって、一族のそれではないことも重要である。バンコックやその近隣では古い親族組織の結合は解体し、家族単位の生活のみが表面にあらわれ、それに応じて村を単位とするピー信仰も家族的な変貌をとげてしまったというのである。

自分たちを遥かに超えた超越存在たる畏れ敬う対象である「浮動するピー」の時期から、次第に「村」「クニ」そして「家族」単位の信仰対象へと移行しています。
タイ族の発祥は明らかではないのですが、現在の中国南部にいたと考えられており、「揚子江流域で稲作をしていた」というような説や、「広西付近で生活していた」という説があるようです。タイ族が現在のタイへ下って来たのは11世紀ごろだと考えられていますが、その背景には他部族との同類闘争があり、その同類闘争圧力の上昇がピーを「村人の守護者」へと変化させたのではないかと思われます。
また、家族単位の信仰としての「常住するピー」への変化の背景には、文中にあるように『生活の安定とともに家族単位の生活が強く顕在化』が関わっているのだと思われます。生産性の向上などによる外圧の低下に伴い、共同体への帰属意識が薄まり、個別の家族への分化するとともに信仰も変化したのではないでしょうか。
読んでくれてありがとう!(@さいこう)

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