2007年03月05日
イロクォイ部族連合~血族の固い絆で統合された共同体社会
『アメリカ先住民:イロクォイ族の母系社会』の続きです。今回は、イロクォイ部族連合の集団統合に迫ってみます。
“連合体”というと、異なる集団同士がお互いの共通する利益や目的のために形成する、というようなイメージを持ちますが、イロクォイ部族連合はそれとは異なります。
現代にみられる、武力や経済力を背景とした序列による垂直統合された連合体でもないし、取引・共生関係による各集団が並列に統合された連合体でもありません。
母系氏族を基盤とした血族の固い絆=性を基盤とする、有機的・複層的に各部族が統合された“連合体”です。
イロクォイ部族連合は、
<1.氏族 2.胞族 3.部族 4.部族連合>という階層により、有機的・複層的な統合された集団。
セネカ、カユーダ、オノンガータ、オナイダ、モホーク、タスカローナの6部族から構成される。時期により異なるが、1部族あたりの氏族数は、最大で8つだった。
『氏族、胞族、部族、部族連合の関係』(クリックで拡大)
【氏族】
集団統合の基盤。共通の氏族名を持つ血族の集合体。母系出自をたどる。
一氏族あたりの構成員は、全体の氏族数のよって異なり、またその氏族が属する部族の盛衰により異なっていた。各氏族の構成員の数は、100人から1000人の範囲で上下していたと思われる。
【胞族】
近縁氏族どうしの集合体。氏族の人口の増加に伴い、氏族が分化⇒氏族郡=胞族に再統合され形成された。
例えば、セネカ部族の8つの氏族は、次の2つの胞族に統合されていた。
第1胞族 : 熊、狼、ビーバー、海亀
第2胞族 : 鹿、シギ、鷺、鷹
それぞれの胞族(デアノンダーヨー)は、文字通り兄弟の関係にある。同一胞族内での氏族はお互いに兄弟氏族であり、他の胞族、他の氏族とは従兄弟氏族である。彼らは、地位は資格は、特典において平等である。
初めのころは同一胞族での婚姻は許されていなかった。しかしやがて、どの胞族員も、他の氏族員とであれば婚姻できた。元来の禁制は、それぞれの胞族内の小氏族は、もともと一つであった氏族がわかれたもので、自分自身の氏族内での婚姻禁止が、その氏族の分化・再統合されたものにまで及んでいた。
セネカ部族の伝承は、熊氏族と鹿氏族が元来の氏族で、他がその分化であることを示している。成員数の増加による分化ののち、集団統合の必要性から再統合がおこった。
【部族】
通常、胞族間で構成された氏族の集合体。集団の人口増加に伴い、胞族が分化⇒胞族郡=部族に再統合された。
まず、居住地域のあいだで人々の分離があり、つづいて言葉の多様化が起こり、胞族が分化し、分化した胞族がそれぞれ独立の部族となった。各部族では、共通の習慣を持ち、多数の氏族に共通の名前が見られる。
名前が同じ氏族は、元は一つの氏族が分化したもの。各部族の同じ名前の氏族すべてを合わせて、一つの氏族を構成する。
【部族連合】
さらに集団規模の拡大に伴い、部族が分化⇒部族郡=部族連合に再統合された。
連合体が結成されたのは、1400~50年ころ。当時、イロクォイ諸部族は独立した5部族からなっており、それぞれの居住地は隣接していた。そしてお互いに通じあう同一方言を話した。ある氏族は数部族に共通していた。
イロクォイ諸部族の証言によると、連合体は、シラキュース遺跡の近くのオノンダガ湖の北岸で、賢人たちと5部族の族長の会議で結成された。今でも彼らは、世襲族長を任命する定例会議で、長いあいだの努力の結果、連合が生まれたと、説明している。
このような連合体の強い結束は、ただ単にお互いの安全のために連合体をつくった、というよりは、血縁によるもっとつながりの深いものである。すなわち、表面上は連合体は部族の上になりたっているようにみえるが、実際は共通の氏族の上に成り立っている。どの部族でも、同じ氏族出身のメンバーはみな共通の先祖をもつ子孫であり、お互いに兄弟であり姉妹である。彼らが会ったとき最初に口にするのは、お互いの氏族名で、つづいて、それぞれの上に立つ世襲族長との血族の関わりである。
各部族で共通する氏族名があるのは、もと一つだった部族が分かれたため、それにしたがって、氏族も分かれている。部族が異なっていても同じ氏族から出たもの同士は、兄弟関係が存在し、各部族を固い絆で結んでいる。
もし、5つの部族のうち一つでも連合体を脱退していたら、兄弟同士で争うことになる。しかし、それは血族の固い絆により抑止された。長い連合の歴史の中で、一度も無政府状態に陥らなかったし、また組織を崩壊することもなかった。
参考:L.H.モーガン『アメリカ先住民のすまい』岩波文庫(原著:1881年)
イロクォイ部族連合の集団統合様式に、武力や経済力による序列でもなく、市場の取引・共生でもない、血族=性を基盤とする共同体社会の集団統合様式を見ることができます。
それと、イロクォイ族の分化・再統合の塗り重ね構造は、まるで生物の細胞分裂のようです。私たちも初めは一つの細胞(卵子)が細胞分裂を繰り返し最終的には60兆もの体細胞に分化し、全体が統合されることで生命体として成り立っています。イロクォイ族の集団統合原理は、生命原理・自然の摂理に則したものなのでしょうね。
次は、イロクォイ部族連合における集団全体の課題や方針の決定方法=共認形成様式に迫ってみたいと思います。(@さいこう)
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- posted by sachiare at : 2007年03月05日 | コメント (4件)| トラックバック (0)
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ミクロネシア・ヤップ島の社会構造は、『タビナウ』という父系リネージと、『ガノン』という母系クランがあるので、「二重単系」と呼ばれるようです。
母系クラン『ガノン』の範疇の方が広く、また外婚集団としての役割も果たしているので、大きく捉えれば母系社会といえそうです。
もともと母系社会であったのが、父-子の土地相続の結びつきが強まり父系的な社会へと転換したということでしょうか。
ものの見事に、サタワルとは男女が入れ替わった形態ですね。男女いずれが婚出したとしても、出身集団への監視権を持っている点もそっくりです。
マフェンは、
>女の存在不安を解消するために編み出された
ものではなく、元々存在していた母系制の仕組みだと思います。
それにしても、妻方居住から夫方居住へダイナミックに転換したのは何で?と考えてしまいますね。
hermes rendsburg 共同体社会と人類婚姻史 | ミクロネシア・ヤップ島の紹介
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