2007年06月18日
ミクロネシアの自殺率の増加
ミクロネシアの最近の自殺率の増加に関して興味深いレポートがありましたので紹介します。
やしの実大学 ミクロネシア講座の中の、ミクロネシアの高校で校長などを務めたフランシス・X・ヘーゼル神父のレポート「自殺とミクロネシアの家族」より引用します。
過去10年間以上にわたって私たちはミクロネシアの自殺率が過去最高の水準にまで上昇するのを、手をこまねいて見ているしかなかった。我々は1960年から、ミクロネシアの自殺の実状を把握しようと試み、自殺者に関するデータをさまざまな角度から集め、データベースを作って定期的に情報を更新してきた。(中略)自殺の背景にある文化的理由を探るための調査をより的を絞って集中的に行うために、我々は地理的にミクロネシアの中央に位 置し、約5万の人口を持ち、太平洋地域で最高の自殺率を記録しているトラック諸島に注力することに決めた。
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ミクロネシアで自殺率が目立って上昇しはじめたのは1970年代の初期だった。ここで「ミクロネシア」とはマーシャル諸島、パラオ、ミクロネシア連邦(ヤップ、トラック、ポナペ、コスロ)を指す。不完全かもしれないが、60年代に関するデータでは人口10万人当たりの自殺率は5%だった。20年代、30年代にこの地域を統治していた日本政府がとりまとめたデータによると、20年代、30年代の自殺率は約8%だった。
その中間の40年代と50年代には信頼できるデータがないが、前後の時期と比較して自殺率が上昇したことを裏付ける情報はない。70年代初期には自殺率は10.8%まで上昇し、70年代半ばには21.7%へと急増し、80年代初期に28.2%でピークに達した。その後70年代後半とほぼ同じ水準である25.8%まで下落した。このようなデータを全体的に見ると、70年代を通して自殺率が急増し、90年代に入ってゆっくりと落ちた、と言える。
自殺の特徴
ミクロネシアの島々における自殺率は時期によって大きな相違が見られるが、自殺に関しては共通の特徴がいくつかある。どこでも圧倒的に男性の自殺者が多く、男女比は11:1になること。自殺者は若者が多く、自殺者の平均年齢は22才で、自殺者の60%近くが15才から24才であること。自殺率の上昇がはじまる前と比較して年齢や性別 による差が大幅に縮小されたこと。自殺率の上昇が始まる前は、男女比は3:1から5:1であり、平均年齢は30才前後だった。過去10年間にトラック諸島では、最もリスクの高い、15才から24才までの男子では自殺率が人口10万人当たり70人から206人に増えた。最も一般 的に使われる自殺方法は首吊りだ。立ったまま、あるいは座ったまま輪のなかに頭を入れて前に倒れ、酸素不足で死にいたる、というパターンである。ほとんどどの島でも首吊りによる自殺者が80%を越える。首吊りに次いで多いのが毒薬の注射、拳銃、溺死などである。成人男子のほとんどが泥酔中、あるいは深酒後に自殺をしているが、この傾向は女性や少年にはあまりみられない。
ミクロネシアではどの地域をとっても同じような傾向が見られることは衝撃的である。一例を挙げると、常日頃から家族から愛されていないと感じていた17才の男の子が弟と喧嘩をして怪我をさせ、両親からきつく叱られた。数日後、その青年は泥酔した状態で自宅の外で首を吊って死んだ。別の島の若者は、自分なりの予定があると言ったにもかかわらず父親から畑で働くよう強く言われた。家族がコミュニティで行われるイベントに出かけた後、その青年は庭に穴を掘り、首を吊って死んだ。また別の島では、卒業を間近に控えた18才の青年が、両親に小遣いをねだったがもらえなかったことを苦にして自殺した。
(中略)
ミクロネシアの自殺者に関するデータを簡単に見ただけで、欧米諸国の自殺者の理由とは理由が異なることがはっきりと理解できる。慢性的な鬱病や、人生のむなしさ、仕事での失敗、学校の成績の悪さなど、欧米諸国で一般的に自殺の理由と考えられていることはミクロネシアには当てはまらない。ミクロネシアでは、人間関係、あるいは人間関係の崩壊が自殺の理由である。ミクロネシアの自殺は、特定の、非常に明確な状況に対応して起こる、と考えるべきだろう。ミクロネシアではどこでも、怒りという感情が自殺の理由として大きな割合を占める。両親や兄姉から願いを断られたり、叱られたり、拒否されたことを苦に自殺をする。
(中略)
自殺急増の理由として近代化、「若者文化」の台頭、そしてそれが従来のミクロネシアの考え方や慣習の中心であった家族関係に与える影響が頻繁に挙げられるが、我々が調査のために収集したデータからは必ずしもこの因果関係が裏付けられているわけではない。まず、自殺者は、少なくとも従来の基準で図って、人口の中で最も近代化が進んでいるグループの人々ではない。自殺が増えているのは、郊外に住み、近代化の過程の中間ほどに位 置する若者たちである。たとえばマーシャル諸島の首都であり、港町であるマジュロでは、自殺率が最も高いのは、変化にさらされ収入が増えた、長年にわたってこの都市に住んできた人々ではなく、周辺の珊瑚礁 の村々から都会に出てきた新参者だ。ヤップの遠隔の島々、トラック諸島の西部にある珊瑚礁 の島々、ポナペの離島、マーシャル諸島の珊瑚礁の島々など、今でも比較的昔ながらのライフスタイルが残っているところでは、自殺率は非常に低い。また都心の自殺率も低い。これはつまり、文化的に移行段階にいる人々の自殺率が最も高いことを示している。
ミクロネシアの社会形態は基本的に母系制ですが、70年代に入ってから特に若い男性の自殺が急増しています。男女比が11:1というのも世界的に見ても例がない数字です。
自殺に至る理由は些細なことのようにも見えますが、大家族制の崩壊と共に核家族化が進行し、権限の分散化や相互扶助的な役割の消滅による収束不全という社会的背景が深く関わっているように思えてなりません。もう少し突っ込んで調査してみたいと思います。
- posted by yuji at : 2007年06月18日 | コメント (6件)| トラックバック (0)
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comments
直接呼びかけたり、歌垣や文を使うだけではないんですね。木の棒は驚きでした。
木の棒を使う風習はトラック社会にもあって、50年ほど前までは、男性が女性を誘い出すのに「夜ばい棒」が使用されていたようです。(鹿児島と民族的に関連しているかもしれないですね。)
夜ばい棒は、先端に精巧な刻みや彫刻が施された1メートルほどの棒で、男性が昼間、気のある女性に会うと、自分の棒を見せたり触れさせて、特徴をしっかり頭に入れておいてもらう。
夜になって人々が寝静まった頃、男は好意をもつ女性の家に行き、壁の隙間から夜ばい棒を差し込む。棒の先端を彼女の髪にからませて手で引っ張り、寝ている彼女に合図を送る。
彼女は好意をもつ男性であればその棒強く引き、家の中に入ってこいとの合図。
棒を2~3度ゆすると、外へ出てゆくからしばらく待てとのサイン。
棒を強く押し返すと、気がないから立ち去れとの返事。
ついでに、ブッシュマンは求婚に弓矢を使用したようです。
男が夜、娘の小屋に自分の弓矢を差し入れるのが求婚の印で、女がそれを一晩中小屋の中におけば婚約が成立したそうです。
木の棒や弓矢は、男の象徴として見られていたかもしれないですね。
100本木の棒が立った場合、男宿の連中が女の子をさらって、結婚をさせるって、いささか強引な感じもしますが、村々や集団によって、いろんな手法があるんですね。
妻問婚や夜這いの世界観が、かなりイメージできるようになって来ました。ヽ(*^。^*)ノ
単純な疑問なんですが、求婚を行う行為が“言葉”ではなく弓矢やら棒やら何かモノを使って合図するんでしょうか?
100本の木の棒=100回も通っているんだから、最後は相手として認めてあげなさいって、みんなから諭されるってことですね♪
ほんとにダメな男だったら、周りのみんなが認めないだろうし。みんながお互いに信頼しあっているからこそできる婚姻制度だな~って思いました。
>まりもさん
そういうことなんですか~!?
“さらう”という言葉から多少略奪的なニュアンスも感じましたが、共同体内において考えれば、そういったおおらかな解釈の方があっている様な気がしますね。(^^ゞ
共同体社会と人類婚姻史 | 妻問婚のイメージとは?
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