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2007年12月25日

婚姻形態と生産形態(白川村等)

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一対婚と夜這いの併存形態(白川郷)
で白川郷の夜這い(婚姻形態)を紹介していますが、今日はそれに関連して農村部における婚姻形態(嫁取りの位置づけ)となるヒントを紹介します。
突然ですが“テマ”って何のことを指していると思います?
実は“テマ”とは“嫁”のことなんです!
なんで嫁のことを“テマ”って言うんでしょうかね?
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以下『婚姻覚書―― 著 瀬川清子』から紹介します。

家では昨年兄に嫁をとりました。テマと言うのは嫁のことで、嫁を貰ったことをテマを取ったと云います。テマは働く人、ということですが、御祝に来た人達は、「こなたでは今度、テマを取られたそうでおめでとうございます」と云うのです。(白川村の娘の手紙から)
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広島県の山県郡では、嫁婿を貰うことを、テマヲカマエルと云い、兵庫県ではテツダイヲトルという。一般に農村では、手が足りないから早く嫁をとりたいなどと云う。都会では、女手がないから等といって、良妻賢母の労働内容を、家事だけに限っているようであるが、村の家では、家事と野良仕事は一つながりのものであった。
山形県や福井県には、離縁状をテマ状という風もあって、とかく娘は立派な働き手で、嫁を出すのは一つのテマを失うことだったのである。東北にはテマトリ婿というものがあって、幾年かの間、妻の親の家の為に働いて年季が明けて、はじめて女房を申し請けて出る風もあった。とにかく昔は、娘の働きが重要視されて、娘の働きが婚姻の一大条件になって居たのである。
都市で結婚にまつわる経済問題などと云えば、妻の生涯の安全を保証する夫の腕前如何、という形になって居るが、同じ国にこんな地方――否、こんな年代があったのである。海女の村や、養蚕地には、遅くまで古風が伝わって居ただけのことで、決してここだけに行われる奇習異俗ではなかったのである。

“テマ”や“テツダイ”と言った言葉からかつての婚姻形態が生産形態と密接していたことが伺えますね。嫁のことを“オクサマ(奥様)”と言っている時代もあり(現代もですが・・・)それらの生産形態を比較するのも面白いでしょう。婚姻は決して当人の“惚れた腫れた・・・”で決まるものではないことがよくわかりますね!

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