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2008年03月08日

母系・父系の有様と双系の謎

文化人類学的には、日本は母系でも父系でもなく双系であるという点が気になっていましたが、『母系社会』って何?~ちょっと整理してみましたに続けて、再度押さえ直したいと思います。(参照:中根千枝『社会人類学』)
母系制(または父系制)というのは、特定の血縁のつながりを組織概念のシステムとしてもっている社会で、例えば子供は全て母(または父)の血縁成員権を継承するというように、オートマチックなシステムである。両者を総称して単系制といい、血縁関係を使うので生得的なもので一生変わらない。十数世代にも遡って辿ることもできる。従って、結婚して同居しても、母系制の夫(または父系制の妻)はいわばよそ者で、姓も変わらない(夫婦別姓)。この別姓でよそ者というのは、意外に厄介な存在かもしれません。
確かにこの定義に従えば、日本は母系でも父系でもない。日本以外にも東南アジア、エスキモーなどもそうで、双系とか非単系と呼ばれている。(なお、どのような血縁システムをもっているかと、どのような社会構造をもっているかとは別の問題のようです。)
次にこれらの分布を見てみましょう。
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まず出自の規制の下にある分布表を見てください。以下の解説も載っています。

もっとも「原始的」な狩猟・採集社会の約半数はキンドレッドを持たない双系社会である。
(注:キンドレッドとは文化人類学上の用語で、個人を中心に父方・母方の兄弟姉妹までを双方的にたどり、直接のいとこ(第1イトコ)までの親族の範囲を指す。日本語で言う「シンルイ」(親類)。)
また、牧畜社会の約3分の2、集約農耕社会の約半数が父系社会である。
母系出自は全体的に多くはないが、粗放農耕社会にもっともあらわれやすい。これには生産労働における性役割分業のパターンが反映している。根菜農耕に代表されるような粗放農耕の担い手はおもに女性であるのに対し、集約農耕においては男女の協力が必要になる。
また、牧畜の担い手は男性に偏っていることが、出自の規則が父系寄りになる要因のひとつになっている。

「原始的」な社会に双系が多いことから(縄文時代も双系とされる場合がある)、双系(非単系)とは人類史のほとんどを占める単一集団時代の名残かもしれません。集団分割以降、氏族集団が登場し、氏族が血縁のつながりを重視した母系(または父系)制へと発展してゆくが、一部の(ある地域の)集団は血縁システムを重視しなかった。血縁つながりをいつまでも引きずらないで、容易に他の集団の成員になってしまう(溶け込んでしまう)という感覚か。ただ何故そうなったのかは不明で、今後の課題です。
さらに民族史的に分布を見ると、母系制は数は少ないが、アフリカ、アジア、アメリカの諸大陸、太平洋地域の島々など、世界の各地域にわたって見出される。ただどちらかというと南方に位置する農耕社会に見られ、北方の遊牧民緒社会(アラブも含めて)がすべて父系制であることと対照的である。(但し、北方のエスキモーだけは双系社会。)
父系制は、中国・インドならびにその周辺の少数民族のほとんどの諸社会に見られ、アフリカ大陸の諸民族も圧倒的に多く、アメリカ・インディアンの諸族にも多く見られる。父系制は大陸、特に内陸地域の諸社会に圧倒的に多く見出される。
母系制は、財産権は女性、その管理・運営権は男性とペアで担当するので、複雑で遠距離だと維持困難なのに対し、父系制は財産権、管理・運営権とも男性にあるので、地理的に広範囲に散在でき、流動性が高くても、血縁関係がネットワークとしての機能を発揮することができる。遊牧民にとって最も適した血縁システムであることは確かなようです。
また、母系制社会が互いに顔の見える比較的小さな社会で閉じざるを得ないのに対し、父系制は遠く離れた集団を(引いては肥大社会をも)統合できるシステムだと云えそうです。父系制の起源や戦争→支配国家にもつながってくる視点があるように思われます。
母系、父系に加えて、双系の謎にも迫っていきたいですね。
ただ双系では考えにくく、実態としても日本は母系(双系的母系?)から父系(双系的父系?)に変わってきたと考えられるので、概念規定から押さえ直す必要がありそうです。文化人類学的定義の背景・意義とともに、他の定義も検討要ですね。
また血縁に縛られない双系的という柔軟性が、今後重要になってくる気がしています。
読んでもらってありがとう。

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 町内会に相当する組織は海外にもあるかもしれないが、現在まで広範囲(国家の隅々まで)でその機能が維持されているのは日本だけである。江戸時代に町内会は確かに日本にも存在したが、全国隈なくあったわけではなかった。その特異性はhayabusa氏の指摘からも読み取れるように日清戦争~第二次世界大戦の間に行政が町内会を下部組織として積極的に利用していたことによって育まれたのではないだろうか。その証拠にGHQは町内会を解散させようとしていた。
「コミュニティ」とか「アソシエーション」はその参加には個人の意思が尊重され、強制的に参加させられることはない。しかし日本の町内会はその土地に引越しせば、参加が義務付けられる。そこが決定的に異なる点であると考えられる。

  • 匿名
  • 2008年6月13日 17:24

欧米とは違って、自主的に地域役割を担う「町内会」と言う組織を機能させてきた日本人。
やはり、農村共同体によって、地域の課題を皆で対処してきたと言う長い間染み付いている共同体の日本文化が、都会にでてきた当時の人々にも、必要だったのでしょう。
それは、個人での充足だけを求めるのではなく、共同体全体での充足(=活力)を必要としてきたからだと思います。

  • 猪飼野
  • 2008年6月16日 09:35

突然訪問します失礼しました。あなたのブログはとてもすばらしいです、本当に感心しました!

カッコいい!興味をそそりますね(^m^)

こんにちは、またブログ覗かせていただきました。また、遊びに来ま~す。よろしくお願いします

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