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2009年04月28日

マサイ族の性について③ ~生活編~

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画像はこちらからお借りしました。
マサイ族シリーズ第3回目です。
今回は、マサイ族の『生活』について紹介したいと思います。
マサイ族を調べているといろんなことが分かってきました。
例えば、マサイ族を検索しているとジャンプしている様子を見ます、これはジャンプの高さを競うことが男らしさを計る指標となっているようです。
身体能力で競う点からも、強い自然外圧を感じます。

 

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マサイ族は元々はスーダン南部に住んでいたナイロティック系の部族で、15世紀頃からナイル川に沿って南下を始め、圧倒的な武力で行く先々の部族を服従させ、19世紀末までにケニアの北部、そこから南に続くグレイト・リフトバレーと呼ばれる大地溝帯、更にはタンザニアの中央部にまで移り住んだ。
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☆牛は財産
マサイ族の生活は「牛」中心であり、牛のためにより良い放牧地を求めて移動し、牛を襲う肉食獣には命をかけて立ち向う。主食は牛のミルクと血であり、家は牛の糞と泥を混ぜた物で床や壁を作る。マサイ族は遊牧先でマニヤッタと呼ばれるマサイ村を作って住む。マサイ村はアカシアの木の枝などで回りを囲んだ楕円状の村で、回りに沿って20軒前後の家が建てられ、その内側は牛を飼う丸い広場となっている。牛は大切な財産であり、お嫁さんも牛と交換でもらえるので、男は牛を持っていないと結婚もできない。
マサイ族は世の中の全ての牛は神様がマサイに与えた物であり、自分と家族が所有している以外の牛は昔に彼らの手から奪われたものと信じている。従って、他人の牛を無断で持っていくのは「盗む」のではなく「本来の持ち主である自分の所へ取り返す」ことに他ならないと考えている。このため、いつも他の牛所有農家と争いを起こしている。
牛の病気が悩み?
☆婚姻形態は?
マサイ社会は一夫多妻制で、妻の家に夫が通う通い婚による夫婦生活が営まれている。妻は自ら家を作る外、水汲み、搾乳、家事、子育てなどを全てやらなければならない。妻の数は通常は3人くらいまでだが、全ての妻が同じ村に住むので、関係がややこしくならないか心配してしまう。そのためかどうか、親が決める第1夫人の後については、第2夫人は第1夫人が、第3夫人は第1と第2夫人が決める権利を持っているとのことである。
☆長老が村の決定権をもつ?
政治的にはそれぞれの村ごとに長老がいて物事を決定する原始的な長老制をとる。
戦士階級であるモランはこの長老の下に属し、未だ修行中の身分とされる。
マサイ族の男性は生涯に必ず一度はモランとなる。
モランは槍で武装し、独自の槍術をよくする。このほか相撲に似た格闘技も存在し、彼らはこれらを駆使してライオン、豹をはじめとする猛獣とも渡り合う。
かつては他部族からの略奪もモランの仕事であったが、現在では行われていないという。
★引用サイト
ケニアの部族、特にマサイ族について
マサイ族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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結婚するのも、しないのも「個人の生き方」と言うのが現代の考えに有ります。
しかし、数十年前は「結婚しないなどありえない」、年頃になると「未だ結婚しないの」と白い目の圧力が働くと言う結婚規範があった。
結婚する、しないは選択肢ではなく、生きていく為に必要な通過点であった。
個人の好き嫌いで、結婚するしないが決められると言う現代の価値観の方が、子孫を残すと言う生物的な観点からは、明らかにおかしい。
結婚しなくても良いから、子供は産んで欲しいと、おじさん世代は次世代を憂いてます。

  • 猪飼野
  • 2009年7月16日 18:20

「知合結婚」って初めてききました。恋愛が衰弱していて、お見合いもしない現在の若者の結婚は、まさにこの知合結婚かも?

  • まりも☆
  • 2009年7月16日 22:29

猪飼野さん
>個人の好き嫌いで、結婚するしないが決められると言う現代の価値観の方が、子孫を残すと言う生物的な観点からは、明らかにおかしい。
確かに、その通りですね。
婚姻史を調べて初めて知ったのですが、私たちは、明確な婚姻規範をもっていた歴史の方が遥かに長いのです。それは生きる上でなくてはならない集団の繁栄と直結した重要な規範でした。
集団を前提にすると、個人的な好き嫌いなど無意味です。それ以前に、集団のために子が生まれることこそが重要で、かつ、それが皆の充足だったのでしょう。個人的な充足より遥かに大きな集団充足の位置に、子供を生むことがあったのだと考えます。
逆に言うと、個人的な充足より遥かに充足できるから、規範として受け継がれてきたのだと思います。

  • hayabusa
  • 2009年7月21日 22:48

まりも☆さん
>恋愛が衰弱していて、お見合いもしない現在の若者の結婚は、まさにこの知合結婚かも?
ん~、ちょっと違うみたいです。
本の中でも解説されていないので推測ですが・・・「同じ村の幼なじみの男女が、自分たち以外の意思によって結婚する」というものと読み取れました。
現在でも、幼なじみの結婚はしばしばありますが、それが当事者の意思に関係なく、他者の意思によって行われることはほとんどないでしょう。
とはいえ、当事者はそれに疑問を感じていないという報告があるように、昭和28年当時の地方の村では当たり前に行われていたようです。
ちなみに、厚生省などの白書によれば、現在の若者は、事実婚が増えてきているようです。要は同棲。「結婚すると自分の自由が減る」と感じている若者が増えているようなので、互いを尊重する形で籍を入れない。子供もつくらない。
一方、その対極として「子供が出来たら結婚」というのも増えています。いわゆる「できちゃった婚」です。これは、制度収束なのかなぁ?もうちょっと軽いノリのような気もする・・・。考えてみます。

  • hayabusa
  • 2009年7月23日 22:04

共同体社会と人類婚姻史 | 終戦直後の日本(2):「結婚」の変化

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