2010年11月11日
西洋人(白人)はいつからどの様にして『一対婚』に転換していったのか?
「クレタ島の女性」(こちらより)
こうして考えてゆくと、世界的には西洋の方が特殊であることが浮かび上がる。
掠奪・皆殺しによって、共同体=共認の基盤が破壊され、あるのは自我だけであり、共認の中核である規範共認がほとんど失われている。そこでは集団や社会を統合するには観念機能に依拠するしかない。
日本人・中国人・インド人・イスラム人が共認収束⇒規範収束したのに対して、西洋人は自我収束⇒観念収束⇒唯一絶対神に収束したのである。この唯一絶対神は、現実の富の拡大や私権意識を捨象した奇麗事の結晶物である。このように、現実共認と宗教共認の分裂(二元化)は西洋の特徴なのである
「10/17なんでや劇場(4) 西洋の自我収束⇒観念収束⇒唯一絶対神信仰」より
強力に観念収束している西洋人(白人)。彼らの信仰するキリスト教では、厳格な一対婚が規範観念化されています。
そこで、「西洋人(白人)はいつからどの様にして『一対婚』に転換していったのか?」について、改めて追求していきたいと思います。まずは、基礎情報の集約から進めていきます。
いつも応援ありがとうございます。
↓
■対象とする地域と時代
・地域:ヨーロッパ(白人)
・時代:1.古代ヨーロッパ→2.ギリシャ→3.ローマ までの3段階
※これらの時代で、婚姻様式はどのように変わってきたのか?
■基礎情報と課題抽出
・各時代の 生産様式、集団様式、婚姻様式、宗教は?
[参考]
1.世界史年表
2.ギリシアの私有婚(知られざる人類婚姻史と共同体社会)
3.古代ギリシャの婚姻形態(るいネット)
4.スパルタ 奴隷人口は市民の5倍~10倍(るいネット)
5.部族連合から国家へ① ~ローマの事例より~(るいネット)
6.宗教とセックスの壮絶なる歴史2(るいネット)
【8000年前(BC6000年)?~3450年前(BC1450年)】
BC6000年頃 :ギリシャに農耕が伝わる→BC4500年頃:東欧に農耕が伝わる
BC2600年頃~:クレタ文明(先住民文明)
BC2000年頃 :印欧語族ギリシャ人の侵入
BC1450年頃 :クレタ文明滅亡→ミケーネ文明(ギリシャ人の文明)
(1)クレタ文明 4600~3400年前
ギリシアに先行するクレタ島の先住民文明。強力な海軍を擁し島々を支配、最古の通商航海民といわれている。女性の地位が高く、女神の方が重要であったことから、父系制に転換していても直近まで母系集団だった可能性が高い。
(参考2.)
クレタ文明以前のヨーロッパについては、文献もほとんど無く詳細は不明だが、おそらく母系制農耕部族であったらしい。この頃の宗教は自然崇拝(太陽神信仰)? 婚姻制は総偶婚or勇士婿入婚?
クレタ文明時代には通商航海民(掠奪集団?)となり父系制に転換していたが、母系制の名残がある。クレタ文明移行期にいかにして母系制から父系制に転換していったのか?この頃の宗教は守護神信仰? 婚姻制は私有婚:勇士嫁取婚?
【3450年前(BC1450年)~2200年前(BC200年)】
BC1450年頃 :クレタ文明滅亡→ミケーネ文明(ギリシャ人の文明)
BC1150年頃 :ギリシャにドーリア人南下
~暗黒時代~
BC 900年頃 :ポリス(都市国家)の形成
BC 508年 :アテネの民主制成立
BC 344年 :アレクサンドロス大王の遠征開始
BC 272年 :ローマの半島統一
BC 168年 :マケドニア滅亡(ギリシャがローマの属国となる)
(2)ミケーネ文明 3600~3200年前
4000年前頃インド・ヨーロッパ語族の一派ギリシア人が本土に侵入、先住民を支配したり混血する。非常に戦闘的で、3600年前頃堅固な城壁をめぐらした王宮が成立。この頃の戦闘は英雄伝説として後世に口伝される。
(3)ポリス=都市国家(共同体国家)時代 2800~2300年前
3200年前頃ギリシア西北部からギリシア人の一派ドーリア人(原始的で素朴)が南下。ミケーネの諸王宮は破壊され、諸部族が玉突き移動する暗黒時代(3200~2800年前)の後、ポリスと呼ばれるギリシア独特の国家が成立する。それぞれが独立国家で、大きいものはアテネの30万人、スパルタの40万人、小さなものは数千人程度。
ポリス時代のギリシア人は一夫一婦制で、夫は妻に貞操を要求し、ある程度の隔離によって、それを強要しようとした。しかし夫のほうはその義務を負わなかった。
ギリシアの私有婚(一夫多妻→一夫一婦制)は、英雄伝説時代の略奪婚(女奴隷)を経ている点が注目されます。
また、新たな侵入者ドーリア人が再び掠奪闘争の嵐を巻き起こし(暗黒時代)、生き延びた氏族集団も破壊され、他集団から組み入れた人々を多く抱えていたと想像されます。
従って、ポリスもかつてのような氏族→胞族→部族といった連合体ではなく、人工的な寄せ集まり集団といった様相を呈していたと思われます。
このようにして氏族集団の婚姻制が維持できなくなり、私有婚(誰々のモノ)へ移行していったと考えられます。
私有婚では女の浮気って、なかなかなくならないようで、次のローマ時代はもっとすごいことになったみたいです。
平和と繁栄がよみがえるにつれ貞節道徳が崩れ、男女は奔放さを互いに競ったと報告されています。(以下『古代社会』より)
(参考2.)
古代ギリシャの前期における、妻の存在とは、夫にとって、彼の相続者である嫡出子の母であり、彼の家政婦長であり、また彼が意のままに妾にすることができるし実際にそうする女奴隷たちの監督者であるにすぎない。
(参考3.)
この時代の宗教は多神教、ギリシャ神話でエロス登場。性に対してはおおらかだった? BC1300年頃発生のユダヤ教も性に対しては比較的おおらかだった?
ギリシャ人は、なぜかくも大量の奴隷を所有していたのか?(参考4.)
【仮説】ギリシャ時代安定期に性欠乏が肥大化し性は乱れて(堕落して)いった。→ローマ時代の安定期には、さらに性の堕落(女の浮気)が進んでいった。
【2300年前(BC300年)~1600年前(AD400)】
BC 272年 :ローマの半島統一
BC 58年 :カエサルのガリア遠征
AD 117年 :ローマ帝国の領土が最大になる
AD 180年頃:ゲルマン人のローマ帝国への移住
AD 313年 :ミラノ勅令(キリスト教公認)
AD 392年 :キリスト教がローマの国教となる
AD 395年 :ローマ帝国が東西に分裂
始原ローマは、掠奪闘争に敗れた生き残りや、部族のはみ出し者の男達が集まり、ロムルスという指導者を中心に建国したことから始まります。
彼らはまず、男だけの集団統合のためにも、女の掠奪を図ります。近隣のサビーニ族を誘いだし宴会で安心させたところで襲撃して女を奪います。
女を奪われ怒ったサビーニ族と戦いつつ、ついに和睦し連合を組みます。部族連合です。これはローマに掠奪された女達が、掠奪された身であっても、自分の夫と肉親が戦うのを見ていられずに仲介したこと、そして強い部族と組むことで生き残り図ることが目的だったと考えられます。
このようにしてローマはサビーニ族、次いで周辺のルケルス族を引き込み、3つの部族(約300の氏族)が100年の間に連合を組みローマに集合したのです。彼らの最大の目的は、軍事的集団として近隣部族に勝っていくことでした。
彼らの政体は、氏族の長の集まり=族長会議としての元老院、民衆会議(市民集会)、軍事指揮者としての王(民衆会議での投票で決定)から成っていた。
(※民衆会議には政策立案の権利はなく、元老院の助言を受けて王が考えた政策を承認するか否認するかの権利でしかなかった。ただ戦争するときも彼らの承認が必要だった。)
私有制については、当初は、土地や財産は氏族による共有、墓地も共有であり、古代的な氏族制度に拠っていた。
しかし土地は次第に個人所有に変わっていったようだ。
(参考5.)
【仮説】ローマ時代初期は部族連合・氏族集団で宗教は多神教だった。しかし、帝国時代になり私有権が共認され氏族集団が解体され、そして、ローマ帝国が繁栄し安定期になると(ギリシア時代と同様に)性欠乏が肥大化し性は乱れて(堕落して)いった。⇒この性の乱れ(堕落)に対する支配者層の対策として、キリスト教という強力な「一対婚・性忌避観念」が導入されたのでは?
以上、古代ヨーロッパ→ギリシャ→ローマの各時代について、疑問点や仮説を抽出しました。これらについて次回より追求していきたいと思います。 🙂
- posted by echo at : 2010年11月11日 | コメント (6件)| トラックバック (0)
trackbacks
trackbackURL:
comments
人類史の遺伝子工学 頑張って下さい。
一つ気にかかります。
2万年前の黒潮は、ベーリング海が閉ざされています。
遥か高緯度または北アメリカまで行っていると思われます。
参考にしてください。
moncler kindermode outlet 共同体社会と人類婚姻史 | 日本人の起源を探る 7~日本人は、どこから来たのか?
hermes belt clearance 共同体社会と人類婚姻史 | 日本人の起源を探る 7~日本人は、どこから来たのか?
モンゴロイドは中米(メソアメリカ)と仮定、南下して太平洋を島伝いに移動したのが、縄文人(古モンゴロイド)北上してベーリング海を渡ってきたのが新モンゴロイドと言う仮設はいかがでしょか?
共同体社会と人類婚姻史 | 日本人の起源を探る 7~日本人は、どこから来たのか?
hermes dubai website 共同体社会と人類婚姻史 | 日本人の起源を探る 7~日本人は、どこから来たのか?
comment form